ロシアがウクライナという国のアイデンティティを消し去ろうとしているいま、新たに緊急を要しているのは、ウクライナの文化的遺産を保存し、さらにその上に文化を構築していく努力だ

BY JASON FARAGO, PHOTOGRAPHS BY EMILE DUCKE FOR THE NEW YORK TIMES, TRANSLATED BY MASANOBU MATSUMOTO

画像1: 危険のなかで生まれる救いの力ーー
ウクライナで広がる「文化戦争」

 ウクライナ、キーウ――1000年の歴史をもつ聖ソフィア大聖堂のバロック様式の黄金の祭壇には、約30cm四方の最近描かれた新しい肖像画が台座に置かれている。

 描かれているのは、グレーの長い髭を生やした17世紀のウクライナ・コサック集団(ウクライナや南ロシアに存在した軍事的共同体)の司令官。眉毛はアーチ状で、背後には赤い光輪が見える。11世紀からーーそれ以降、キーウはモンゴルに侵略され、ポーランド領になり、ソビエト連邦の構成共和国となったわけだがーーずっと光を浴びてキラキラと光ってきた巨大なモザイク画の下で、この絵の人物は謙虚な表情をしている。

画像: キーウの聖ソフィア大聖堂に置かれた、17世紀のコサック軍司令官ペトロ・コナシェヴィチ・サハイダクニを描いた新しい肖像画。ロシア軍の残虐行為が行われたブチャから回収された板材に描かれている

キーウの聖ソフィア大聖堂に置かれた、17世紀のコサック軍司令官ペトロ・コナシェヴィチ・サハイダクニを描いた新しい肖像画。ロシア軍の残虐行為が行われたブチャから回収された板材に描かれている

 金や宝石の装飾もない。この肖像画は、木目の見える3枚の裸の板材に描かれている。この板材は、激戦地となり荒廃したキーウ郊外の都市ブチャで回収された弾薬箱から取り出されたものだという。ロシアの民間人に対する恐ろしい残虐行為をきっかけに、ブチャの多くの人が犠牲になった現場から、聖ソフィアに新しいものがもたらされたというわけだ。それは、悲しみと決意、恐怖と勇気、文化というものを手放さないことを暗示するイメージでもある。

 なぜ、批評家が紛争地帯に行くのか? 巡航ミサイルが頭上を通過しているときに、なぜ絵画に注意を払う必要があるのか? キュレーターのレオニード・マルシャックいわく、「これは、(ウクライナの)文化的アイデンティティに関する戦いだからです」。彼は、わたしがこの地で出合った、ウクライナの人々や土地の存続と、歴史や思想の存続が等しいものであるとする多くの作家や音楽家、学者たちのひとりだ。ロシアがこのウクライナという国のアイデンティティを喪失させようとしているいま、この国の音楽、文学、映画、記念碑というものは、心身の癒しではなく、戦いの場なのである。この時代における真の「文化戦争(文化的争点をめぐる価値観やイデオロギーの違いに基づく対立)」とは、民主主義のための戦いであり、そしてウクライナの過去、現在の文化は、リベラルな秩序全体のための重要な防衛線になっている。

 戦争は文化遺産を危険にさらす。今日、キーウやリヴィウ(ウクライナ西部の都市)を歩くと、いたるところに難燃性の毛布に包まれた像が見られる。ハプスブルク家ゆかりのステンドグラスはパーティクルボード(木材の細片やチップを固めた板)に挟まれ、ソ連時代のモザイク画はベニヤ板で一面覆われている。今世紀、シリアやイラク、エチオピア、マリ、アルメニア、アフガニスタンでも文化財の恐ろしいほどの破壊が行われたが、その流れを押し広げるかのように、この4ヶ月の間だけでも、劇場、図書館、宗教施設(とりわけウクライナ南東部の占領都市マリウポリ)に対するひどい破壊行為があった。

 しかし、ウクライナが直面する文化的危機とは、爆撃などに付随した被害だけのことではない。ロシアのウラジーミル・V・プーチン大統領にとって、ウクライナという国は存在しない。彼は、ウクライナはソ連の擬態であり、ウクライナ語はロシアの方言であり、ロシア人とウクライナ人は“ひとつの民族”であると主張している。2月以来ーー実際にはウクライナ東部で戦争が始まった2014年以来、ウクライナが独立国だとする文化的表明自体が、直接、標的にされてきたのである。

画像: キーウのオルガ王女の像を守るために、侵略がはじまった初期、ウクライナのボランティアが土嚢を積み上げた

キーウのオルガ王女の像を守るために、侵略がはじまった初期、ウクライナのボランティアが土嚢を積み上げた

 ウクライナで最も優秀な若手学者のひとりである哲学者アントン・ドロボビッチは、ドニプロ川に浮かぶ島の兵舎の近くで会ったとき、「この侵略行為におけるロシアの動機が、いかに多くの歴史的に誤った正当性に裏付けられているか、ご存知でしょう」とわたしに言った。ドロボビッチは、平時には、共産主義時代を白紙に戻して歴史を検証するウクライナの公的機関「国家記憶院」を率いていた人物だ。彼は、いま、軍服と戦闘ブーツを身につけ、塹壕の中から西側のシンクタンクとズーム・ミーティングを行い、国家記憶院と共同で侵略に関するオーラル・ヒストリー(当事者やその関係者にインタビューなどを行い、記録としてまとめること)の作成に取り組んでいる。「歴史は、軍隊に劣らず重要なものなのです」と彼は言う。「もし、そうでなかったら、(いま兵舎にいる)わたしは対戦車に関する問題だけ取り組むでしょう」

 ソーシャルメディアによるプロパガンダ、プッシュ通知によるミサイルの警告など現代的な要素が見られる一方で、この侵略は文化的な観点から見ると、残酷なまでに古臭い。はっきり言って帝国戦争である。そして、この侵略は現代におけるウクライナの文化のありようを“アーカイブ事業”へと変えさせた。そこでは、あらゆる人にとっての仕事は“保存”することであり、新しいクリエーションは、敵が否定するであろうその歴史に根ざし生まれていく。キーウのステンレス鋼でできた「祖国記念碑」の近くにある博物館で開催されている『Crucified Ukraine』展では、この冬、1カ月以上にわたり120人のウクライナ人が暮らした3つの地下シェルターが正確に再現されている。映画記録係は爆発の危険性に関する専門家となり、図書館員は、いよいよという時にマリウポリから運び出されたソ連時代の写真をデジタル化している。遺産管理当局は、記念碑を3Dスキャニングし、再建が必要になった場合の記録を作成している。これは、シリアの多くの遺産にとってみれば、もっと早く発達してほしかった技術だろう。

画像: リヴィウのポトツキ宮殿は、平時にはウクライナで最も優れた絵画コレクションを展示していた。現在、作品は撤去。壁紙には、作品がかけられていた四角い跡が見える

リヴィウのポトツキ宮殿は、平時にはウクライナで最も優れた絵画コレクションを展示していた。現在、作品は撤去。壁紙には、作品がかけられていた四角い跡が見える

 ポーランドとの国境から1時間の場所にあるリヴィウは、居場所を失った人々や文化の拠点にもなっている。ヴィクトリヤ・サドヴァは、ロンスキー刑務所博物館を、この街に新しくやってきた人たちに案内している。そこはポーランド、そしてナチス、さらにソ連の収容所だった施設だ。(2月24日に開戦し、正規の館長が徴兵された後、彼女はこの博物館の館長代理になった)。占領下のマリウポリやケルソンから来た者は、そのソ連によるウクライナのゲリラ隊への弾圧についての展示物を見ると、すぐにトラウマが蘇ってくるという。「80年経ったのに何も変わっていません」と彼女は言う。「わたしたちは、まだ同じ者に支配されているのです」

 サドヴァは、またキーウやハルキウの美術館と協力し、西部の安全な場所にコレクションを移すことも行っている。文化省の指示もなく、燃料も車もない。ポーランドから段ボール箱の緊急輸送があったときには、彼女は神に感謝した。何が彼女を動かしているのか? 彼女は元刑務所の土色のライトを見上げ、少し笑いながら、ハイデガーが好んだ詩の一部を引用してくれた。「危険があるところには、救いの力も育つものです」

 いま、危険なのは、キーウから離れた場所だ。占領された東部の都市セベロドネツクやリシチャンシクでは、地元の歴史博物館が破壊されたと聞く。ソ連時代の初期、ウクライナの前衛芸術の中心地であったハルキウには、何度もミサイルが飛んできている。しかし、ほかのあらゆる都市も安穏とはしていられないし、どの文化施設も安全だとは言い切れない。先日、ロシアのミサイルがキーウの西、戦線から数百マイル離れた都市ヴィーンヌィツャを襲った。ポップ音楽のコンサートが開かれる直前の音楽会場が爆破され、演奏者のロクソラナは、数十人の死者の中に自身のサウンド・エンジニアが含まれていることをインスタグラムに投稿した。

 ただ、4月、キーウ地方からロシア軍が撤退し、西側に避難していた市民も戻ってくると、この地でも文化活動が一部再開された。オペラでは、ヴェルディの最も感動的な民族主義的な合唱曲を伴う『ナブッコ』が上演され、街角の路上演奏者たちは、今年のユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝したフォークとラップのマッシュアップ『ステファニア』を歌っている。レイタルスカ通りの独立系デザイナーたちは、青と黄色のニットウェアや聖ジャベリン(ウクライナの守護天使)をあしらったTシャツなど、愛国的なスタイルを求める声に応えている。侵略が始まる数カ月前、『ニューヨーク・タイムズ』誌が、キーウを「流行の中心地」と呼ぶきっかけになった有名なナイトクラブも、昼間、踊りたい人のためにそっと営業を再開している。

画像: キーウでは文化活動が一部再開された。7月上旬には、ウクライナ国立歌劇場の舞台に立つため、ダンサーたちが練習をはじめていた

キーウでは文化活動が一部再開された。7月上旬には、ウクライナ国立歌劇場の舞台に立つため、ダンサーたちが練習をはじめていた

 空襲のサイレンの間、前線から最新情報が伝わる中、救いの力が育っていく。「最初の数日間、そして今も、わたしの口には言葉の代わりに砂が入っているような気がしています」。著名な小説家で歴史家のオレナ・スティアジキナは、キーウの直近の爆撃の数日後、一緒にクリミア・タタール料理を食べにいったときにそう言った。スティアジキナはドンバス地方の最大の都市ドネツクに生まれ、2014年、ロシアを後ろ盾にする分離派が支配権を握ろうと戦いをはじめたとき、戦禍から逃れてここにやってきた。彼女の小説は、この地で2月以前に人々が交わしていた多くの会話と同じように、ウクライナ語とロシア語が行き交う。――あるいは、以前の小説はそう描かれていたといったほうがよいかもしれない。今はロシア語を使うのをやめている。

 彼女の友人には、キーウを離れた者もいるが、スティアジキナは、そうする気になれなかった。(すでにロシアとウクライナの紛争で故郷を離れており)2度目はない、ということだ。わたしたちが会ったとき、彼女は強く、そして安心しているように感じたが、10年後に自分に何が起こっているかわからないと困惑している。彼女は、プリモ・レーヴィ、パウル・ツェラン、ジャン・アメリーなど、ホロコーストを生き延びたものの、その何年か後に自殺した作家の話をすると、目を潤ませた。

 いま、彼女を突き動かしているのは、ウクライナを記録し残そうとする衝動だ。「わたしは書くことができます。目撃者として。ただ、書き手としては書くことができません」と彼女はわたしに話した。「だから、毎日、日記を書いているんです。そして、今回は、それを、勝利の日に終わらせるという強い意志を持って書いています」

 2014年、ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ前大統領を倒したマイダン革命(ウクライナ親欧州派がキーウ独立広場などで行った反政府デモ)の後、ウクライナは少なくとも部分的には国家的な再生を遂げた。政治的革命は国内を激しく動揺させたが、文化の急速な発展はとどまることはなく、若い映画製作者、写真家、デザイナー、そして特にDJや電子音楽家の新世代を生み出した。

「マイダンの後、革命的なエネルギーを国家に向けることができなかったぶん、音楽に向けられたのです」と、キーウで最も大胆な独立系アート機関「ビジュアル・カルチャー・リサーチセンター」を率いるキュレーター兼作家のワシル・チェレパニンは述べている。

 この国の社会・文化・政治に変化をもたらす若者たちの行動は、少なくとも当初は、建設的というよりは快楽主義的なものに見えた。(チェレパニンは「ナイトクラブは批評的・批判的思考を深めるのにベストな場所ではない」と認めている)。 しかしいま、そのような文化的な盛り上がりが、この地の人々の非常に勇猛なムードを支えているのだ。ウクライナは、虐殺の中で、自身を勝る軍事力に対し、市民社会が何か変化をもたらすことができることを証明しているのだ。文化の力は真の力である。ウクライナの文化は、武器と同じような力を持ち、わたしたちの民主主義の希望を支えているのだ。

 哲学者のアントン・ドロボビッチは、ウクライナの文化を明確な軍事的資産だと表現した。彼は兵舎でわたしに「それは伝染し、世界中に広がっていくのです」と話した。「敵の真実と正義を捻じ曲げる行為に対し、芸術を創作する人々は感情を爆発させる。そのことが、われわれがこの戦争に勝つ大きな要素になると考えます」

 キーウをナイトライフの中心地として有名にしたクラブのひとつ「クローザー」のダンスフロアで、マイダン革命以前は汚職問題にフォーカスするジャーナリストだった、セルヒィ・レシチェンコにばったり出合った。2014年の革命後、彼は国会に入り、現在はゼレンスキー政権に助言しているが、いまも、クラブの若者たちに混じって意気投合している。しかし、誰も開放的なムードにない。スマートフォンには、南部での攻撃に関するテレグラム通知が飛び込んでくるし、夜11時には外出禁止令も出ている。しかし、キーウのナイトシーンに集まる若者たちは、1分間にちょうど100ビートの音楽に揺れながら、誰もこの地を誰かに手放そうという様子はない。

「わたしたちは、そうする必要があるのです」。レシチェンコは、DJのビートに合わせて、わたしの耳元でこう叫んだ。「この戦争は死についてのものではなく、生きるためのものです」。スピーカーが鳴り響き、航空警報アプリの音を打ち消した。頭上にはウクライナの青と黄色の旗がはためく。黒服の若いウクライナ人たちは互いに素早くハグし、そして(ここに居続けたいと)抵抗するようにゆっくりと踊っていた。危険のなかで、救いの力が育つ。

*この記事は2022年7月18日のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたものです。

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