BY ADAM BRADLEY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

《Blood Conference, a.k.a. Three Red Linemen(血気盛んなチーム、通称、3 人の赤いラインマンたち)》(1966年)
ERNIE BARNES, “BLOOD CONFERENCE, A.K.A. THREE RED LINEMEN,” 1966, COURTESY OF THE ERNIE BARNES ESTATE, ORTUZAR PROJECTS AND ANDREW KREPS GALLERY © ERNIE BARNES
『グッド・タイムズ』の最初のシーズンの中盤に放送された「The Visitor(訪問者)」というタイトルの回では、J.J.が縦長のキャンバスに向かって絵筆を握り、妹のセルマの肖像画を描いているシーンが出てくる。絵のモデルを引き受ければ、マーヴィン・ゲイのコンサートチケットをあげると約束したのだ。だが、セルマはじっとしておらず、すぐにソワソワし始める。やがて怒って部屋を出ていこうとしたとき、キャンバスを一瞥すると「ちょっと、J.J.、頭がおかしいんじゃない? この絵、私の身長が2 メートル以上あるじゃない」と言った。するとカメラは、バーンズが描いたバーン・ナデッテ・スタニス(セルマ役を演じた女優)の肖像画を映し出す。オレンジ色の半袖シャツを着て短いデニムパンツをはいた人物が両足を交差させ、伸びた脚の部分がキャンバスの半分近くを占める長さに描かれている。「これはジェームズ・エヴァンスの原画に匹敵する作品さ」とJ.J.は言った。「部分的に印象派っぽい手法を使ってみたんだ」。「私が醜く描かれてるじゃない」とセルマが文句を言うと、J.J.は勝ち誇ったように言った。「まさにそのとおりだよ!」
実際にはバーンズは対象を醜く描くどころか、黒人の美しさをより鮮明に引き出した。バーンズは技法的には自身をネオマニエリストと定義づけた。ルネサンス後期に流行したスタイルで、対象を実際よりも長く細く伸びた形に描き、劇的な動きで表現する手法だ。「マニエリスム様式のアートの主な特徴とは」と、彼は自叙伝に記している。「葛藤と矛盾が生み出す緊張だ」。バーンズは具象芸術家として認められていたが──人体を大きく長く誇張して描き、身体の動きに快楽を見いだす──という抽象への衝動は、彼の作品全般にわたって息づいている。「実際、彼は自分だけの言語を作り出していたんだ」と言うのは38歳の美術アドバイザー兼コレクターのガーディ・セント・フルワーだ。彼の顧客にはプロのアスリートたちもおり、彼らの多くはバーンズの作品を蒐集している。フルワーは「彼のような描き方をしている画家は、ほかに誰もいなかった」と言う。バーンズの作品を見るときには、とフルワーは言う。「アートを理解する必要はない。見た瞬間に面白い形だとわかる。どうしてこんなふうに見えるんだろう? どうして手がこんなに長いんだろう?と」
バーンズが描く体つきは、いつも遊び心に満ちていて、時に漫画のようですらある。それに何よりも彼の作品は(少なくとも最近までは)多くの人々にとって手が届くものだった。彼の作品の蒐集家たちの情熱なくしては、バーンズはこれほど多くの人に認識されることはなかっただろう──富裕層も黒人の中流家庭の人々も、バーンズ本人の言葉で言えば「心が痛まない程度」の金銭を払い、彼の作品を手に入れていた。だが、原画の複製プリント版を売ろうと決めたのは彼自身で、それが彼のキャリアの方向性を変えることになった。
「もし自分が『ゲットー街に宿る美』のコンセプトを思いつかず、黒人がどんなふうに、どんな場面で美しいのかを表現しようと試みなければ、複製プリント版を売ろうとは思わなかった」とバーンズは回想している。オーチュザー・プロジェクトで開催されるバーンズの展覧会のキュレーターであり、アリゾナ大学でジェンダー学と女性学を教えている39歳のデライス・カーター教授いわく「バーンズは、彼が作品の中で描く人々が実際にその作品を所有できるような絵画を制作していた」。そして、アートを民主化したいという彼の衝動にはそれなりの見返りがあった。「自分のスタジオに来て入り口の扉を開けようとするんだけど、郵便で大量に送られてきた小切手が扉をふさいでしまって、開けられなかった」とバーンズは記している。「人々は、自分たちがアート作品の中に描かれている姿を見たいし、自分はその機会を彼らに提供した」
「彼の作品は喜びと前向きさにあふれている」と言うのは47歳のアレス・オーチュザーだ。彼はアンドリュー・クレップスとともにバーンズの遺産管理をしている。「喜びと前向きさという二つの要素はアート界では伝統的に無視されてきた」。確かに、バーンズが世の中を捉える芸術観には皮肉が入り込む余地がない。彼のキャンバスは、真摯に努力する姿や純粋な歓喜や自尊心を表現する場所だ。そんな趣向は、洗練されていないとか、または経験不足だと誤解されるかもしれないが、実際は確固たる倫理観に裏打ちされた精神であり、時には権威に抵抗する信念でもあるのだ。
2枚目の《シュガー・シャック》の原画が、記録的な高値で売れたことにより( 1 枚目の原画は俳優のエディ・マーフィーが所有している)、できるだけ多くの人々に勇気を与えることに生涯を捧げたはずのバーンズのこの作品は、限られた富裕層だけがアクセスできるアート界の経済構造に回収されてしまった。だが、彼の特徴的なスタイルは、カルチャーの中で自由に流通し、壁画やポスターなどの形で存在している。それは、新世代のアーティストたちにとって、痛みに満ちた時代においても、喜びを中心に据えた作品づくりをしようと思わせる動機づけにもなっている。バーンズの作品をじっくり観察すると、晴れやかな光景を描いたキャンバスの中にも、苦痛の存在はちゃんと見て取れる。彼が描くほとんどすべての人物は、その両目を閉じている──彼がよく口にしていた、我々は互いの人間性を見ようとしないのだという自説の象徴である。
「多くの人々が『ほら、彼の作品には22億円の値がついている』と言う」とキュレーターのカーターは語る。「『値段がすごいからきっと価値があるんだろう』と言う人々に対し、私はこう言いたい。『黒人たちはあの作品を所有するのに、22億円も払う必要はこれまで一度もなかった。あの絵画の複製プリント版は、多くの家庭の小部屋や、大学の寮の壁に掛けられていたし、今では色褪せてしまった写真アルバムの表紙にも貼られており、至るところにあった。バーンズの絵画は、お守りのようなものであり、また、家の土台を地中につなぎ止める鉄製の杭のような存在だった」
バーンズの絵画は家庭の中に飾られていることが多い。彼の作品は、かつてはオークションに出されることは稀だった。ほとんどの人々が彼の作品を売りに出さなかったからでもある。NBAバスケットボールチーム、ロサンゼルス・レイカーズの過半数の株を所有する現オーナーのジーニー・バスは、《Fastbreak(速攻)》と題されたバーンズ作品を自分のオフィスに多数の優勝トロフィーとともに飾っている。この絵画は、彼女の父でレイカーズの前オーナーだったジェリー・バスが、1980年代の"ショータイム" と呼ばれたレイカーズの黄金時代の選手たち、マジック・ジョンソンやアブドル・ジャバーが試合でプレーする姿を描いてほしいとバーンズに発注し、できあがった作品だ。1978年のヒット曲『哀しみは心に秘めて(Don’t Cry Out Loud)』で知られる歌手の*メリサ・マンチェスターは、バーンズの絵画を自宅に飾っている。映画『ゴーストバスターズ』のテーマ曲を歌ったレイ・パーカー・Jr.は《Red Guitar(レッド・ギター)》と題されたバーンズ作品を、ネバダ州のリノにある自宅の壁に掛けている。引退したNBAバスケットボール選手でアート蒐集家でもあるエリオット・ペリーは「僕たちは自分たちの文化の保護者のような気持ちだよ」と言う。それはバーンズから直接作品を購入した多くの人々が共通して抱く思いだ。
ペリーがバーンズから買った最初の絵画は《Lone Basketball Player(ひとりぼっちのバスケットボール選手)》(1973年)と題された作品だ。蜘蛛のように手足の長い黒人が、淡い色の青空をバックに、急ごしらえのバスケットゴールの上にその手をぐっと伸ばし、ダンクシュートを決めようとしている光景を描いたものだ。ペリーは車で旅をしている最中にバーンズ本人と知り合った。「僕たちふたりはその場で友人になった」とペリーは言う。「LAを訪れるたびに、毎回、真っ先にアーニー・バーンズのスタジオに行ったよ」。現在54歳のペリーは《シュガー・シャック》がオークションで売却されたというニュースが報道された後から「ほとんど毎日電話がかかってきて」、彼が所有しているバーンズの4 つの原画を売る気はないかと聞かれるのだと説明した。彼の答えは常に同じで、「売るつもりはない」だ。「彼の人柄を知る機会を与えられて、彼と一緒に食事をし、ともに笑い合った」とペリーは言う。「アーニー・バーンズとの関係は一生大事にしたいから」

バーンズ。彼のスタジオで1974年頃に撮影
PHOTOGRAPH BY BARBARA DUMETZ
バーンズは、作品を描いてほしいという注文を顧客から受けても、そう簡単には承諾しなかった。「もしその人物を好きになれない場合は、彼は仕事を受けなかった」と語るのはドキュメンタリー映画監督のクラレンス・シモンズ、通称、クーディーだ。「彼はその人物の自宅を訪れて、自分が描いた絵をのちのちも見に行くことができると確信できるときだけ、仕事を引き受けた」。52歳のクーディーと、彼の製作パートナーで45歳のドキュメンタリー映画監督のチケ・オザーは、クーディー&チケという共同製作者名で知られている。このふたりはバーンズに関する映画を製作中で、文字どおり、バーンズ作品の蒐集家たちを訪ねて取材をし、彼らが所有する絵画を撮影している最中だ。
クーディーとチケの代表作は2022年のドキュメンタリー映画『jeen-yuhs: カニエ・ウェスト 3 部作』(註:jeen-yuhsの読みは天才を意味するジーニアス)だ。これは、ふたりがカニエ・ウェストを20年以上取材する中で撮影してきた映像をまとめた作品で、彼らがバーンズと知り合ったのもカニエを通してだった。バーンズは《A Life Restored(再生)》(2005年)と題した、ルネサンス時代のフレスコ画を彷彿させるような大規模な作品を描いている。人間たちが死後、天国に昇ってくるのを、黒人天使たちが迎えるという構図だ。ラッパーであるカニエが交通事故に遭って生還した後に発表して大ヒットしたシングル曲『Through the Wire(ワイヤーの間から)』(2003年)のテーマ
は、まさにその「再生」だ。クーディーとチケはすぐにバーンズのスタジオに定期的に通って、インタビューを行うようになった。3 人でフィクション映画を製作する話も持ち上がった。しかし、「彼はその後すぐ病気になってしまったんだ」とクーディーは言う。血液疾患に苦しんだバーンズはその後、死去した。
バーンズの作品はいつでも希望に満ちていたが、それは決してやみくもな楽観ではなかった。彼が描く対象や彼自身も、自己の尊厳を守り抜くために、苦しみや痛みを味わってきた。自叙伝の中でバーンズは、大学生だった頃、人種隔離政策が撤廃されて間もない時期に、ある美術館に行ったときのことを書いている。黒人画家の作品はどこに展示されているかと尋ねると「君たちはそういう形で自分たちを表現しないから」と白人の係員に言われた。バーンズはこれと似た発言を残りの人生で何度も聞いた。「バーンズの作品を見ると、泣きそうになるよ。彼がこうした絵を描けるようになるまでに、我々黒人たちが、どれほどの苦痛を味わわなければならなかったかを思うと」とチケは言う。「彼の作品の魂はそこから来ているから」
*カタカナの人名表記に関しては、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。
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