三島喜美代は1932年大阪生まれのアーティストだ。70年以上のキャリアをもち、国内外での人気と評価が近年さらに高まっている三島だが、2023年9月に岐阜県現代陶芸美術館で行われた「三島喜美代―遊ぶ 見つめる 創りだす」が自身初めての個展で、本展は2回目、東京の美術館では初めての個展開催となるという。
本展の図録で練馬区立美術館館長の伊東正伸はこう書いている。
“今でこそ現代アートの工芸化、工芸の現代アート化により、両者はますます近接してジャンルを隔てる垣根も低くなっていますが、かつての前衛陶芸家としての固定化した見方は、三島さんの現代美術家としての正統な評価をこれまで妨げてきたように思います”
三島が1970年代から取り組んできた素材が陶だということが、これまで個展が開催されてこなかった理由のひとつのようだ。
そのため、初期の作品、1950年代の具象画から抽象画、60年代の印刷物を用いたコラージュ作品やシルクスクリーン技法を取り入れた平面作品はこれまで鑑賞のチャンスが少なく、本展の大きな見どころのひとつといえる。
三島が絵画を始めた1950年代の大阪は、戦後復興のなかで新たな時代にふさわしい表現を求めるエネルギーに満ち、多くの美術団体が設立されたという。そんな時代の熱気のなかで絵筆を取った三島は、いくつかの賞を受賞し、アーティストとして着実に歩を進めたが、一時期所属した独立美術協会を除いて特定の団体に長く所属することはなく、独自に創作を続けた。
そして70年代に入ると、突如、絵画を描くことから作陶へと移行する。筆者が2021年にインタビューした際にその理由を尋ねると、三島は開口一番、「なんかおもろいな、と思って」と楽しそうに答えた。陶芸については一切学んだことがなく、すべて独学で、失敗しながら、「うどんみたいに」薄く伸ばした土に印刷物をシルクスクリーンで転写し、焼成する手法にたどりついたと語ったあと、「高度経済成長の時代に入り、社会に情報が氾濫して、どんどん流されてしまうことが恐ろしかった」と付け加えた。そして、それを陶器に定着させたらどうだろうと思いついたのだという。パリンと割れるのも「おもろいでしょう?」
加えて、同時期に大阪・十三(じゅうそう)のアトリエの近くで、よく散歩する淀川の土手にどんどんゴミがあふれるようになっていった。それも、「おもろいなあと思って、私、すぐに拾って持って帰って来ちゃうんですよ」と笑った。高じてさまざまな粗大ゴミを集めるようになり、アトリエには収まりきらなくなって、岐阜にもうひとつ広いアトリエを構えたという。
現在でも平等とは言いがたいが、三島が作品を発表し始めた50年代からの数十年間はとくに、アート界も圧倒的に男性が優位な社会だっただろう。現在92歳の女性アーティストが、表現において常に女性性に付きまとわれてきたであろうことは想像に難くない。しかし三島の作品からは、そうしたジェンダーの匂いがしない。情報過多やゴミ問題など、社会の急激な変化に伴う負の側面に光を当てながらも、作品はからりと明るく、どこかユーモラスだ。
その魅力の源泉が三島のキャラクターそのものにあることは、本展で放映されている三島を追った2つのドキュメンタリー動画を見ればわかる。チャーミングで、女学生のように瑞々しい人柄が伝わってくる。
本展のクライマックスは、1984年頃から制作を始め、2013年に完成した《20世紀の記憶》のフルスケール展示だ。三島が20世紀の100年間に発行された新聞から抜き出した記事を、1万個余りのレンガに転写し、約200平方メートルの床に並べた本作は、通常は東京大田区のART FACTORY城南島に常設展示されている大型作品。これがそのまま練馬区立美術館に運び込まれている。さまざまなニュースの断片がこちらに迫ってくるようでもあり、役目を終えて静かに眠っているようでもある。
前述のインタビュー時、三島は足を痛めていて、制作が大変なのだと語った。そして、「でも私ね、次に音楽やりたいなー思ってるんですよ」というのだ。意外な言葉にこちらが驚くと「ほら、音楽やったら寝たきりでも頭のなかで考えればできますやん。私、好きなんですよ前衛音楽」と、また嬉しそうに笑った。なんという好奇心、なんという健やかさなのだろう。
三島のこの健康的なまなざしによって生み出された作品だからこそ、鑑賞者を明るく励ますのだろう。見ると元気になれる現代アートだ。
「三島喜美代―未来への記憶」
会期:7月7日(日)まで
会場:練馬区立美術館
住所:東京都練馬区貫井1-36-16
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