11月23日まで開催されている世界最大規模の芸術祭『第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展』。その日本館展示「中立点」(英題:In-Between)のキュレーションを手がけた建築家・青木淳に話を聞いた

BY CHIE SUMIYOSHI, PORTRAIT BY SHINSUKE SATO

「人間と生成AIの関係も、主体がどちらかということではなく、
序列や分け隔てのない中立点をベースに考えられないかと思ったのです」

画像: 青木 淳(あおき・じゅん) 建築家。1956年神奈川県生まれ。東京大学大学院修了。1991年青木淳建築計画事務所(2020年ASに改組)設立。主な作品に1999年〈LOUIS VUITTON NAGOYA〉、2005年〈青森県立美術館〉ほか。〈潟博物館〉で1999年日本建築学会賞、2021年〈京都市京セラ美術館〉改修設計で同受賞。2019年より京都市京セラ美術館館長を務める。

青木 淳(あおき・じゅん)

建築家。1956年神奈川県生まれ。東京大学大学院修了。1991年青木淳建築計画事務所(2020年ASに改組)設立。主な作品に1999年〈LOUIS VUITTON NAGOYA〉、2005年〈青森県立美術館〉ほか。〈潟博物館〉で1999年日本建築学会賞、2021年〈京都市京セラ美術館〉改修設計で同受賞。2019年より京都市京セラ美術館館長を務める。

 現在開催中の『第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展』は、総合テーマとして「Intelligens.Natural. Artificial. Collective.」(知性、自然、人工、集合体)を掲げている。66カ国のパビリオンと企画展の主流となったのは、建築に蓄積された人類の「知性」を総動員し、地球規模の気候変動に挑もうとする実践的なソリューションの提示である。一方、日本を代表する建築家・青木淳がキュレーターを務める日本館展示「中立点」(英題:In-Between)は独自の方向性を展望していた。急激に進化する生成AIが生身の人間を凌駕する地点が近づき、「正しさ」だけがまかり通る、凡庸で殺伐とした世界が迫りくる現代。本展では「知」のあり方を問い直し、その主体を人間か外部知性かの二択ではなく、両者のあいだの「中立点」に置こうとする。さらにその仮想の緊張関係の中で、対話から生まれる「第三の知性」に賭けてみようというみずみずしい提案を示す。

主役の〈穴〉の存在をめぐる
生成運動としての日本館

SUNAK(I 木内俊克+砂山太一)が手がけた1 階の半屋外空間では、フロアをつなぐ〈穴〉が担う意義や、日本館全体を巡る〈動線リング〉との関係性を抽出した。2 階で展開する〈穴〉の発話に連動して明滅する光を反射する銅板のオブジェや、動線を断片的にトレースする植物のポットなどにより、これらの建築的要素を可視化している。

 主会場に林立する各国のパビリオンの中でも、日本館は数少ない二層構造をもつ建築である。2 階の屋内空間では、藤倉麻子+大村高広のチームが、実写とCGと音声が交錯する映像インスタレーションを制作した。日本館建築を構成する要素(天井の穴、柱、植栽、動線リングなど)に憑依した生成AIと人間との対話から、主人公である〈穴〉=中立点の存在意義を見いだそうとする。SUNAKI(木内俊克+砂山太一)が手がけた1階の半屋外空間では、フロアをつなぐ〈穴〉と館全体を巡る〈動線リング〉の関係性を探り、さまざまな物質のオブジェの配置や呼応を通してそれを可視化しようと試みる。
「展示を構成する要素を、人間/非人間を超えて同列に、ときにはクロスする緊張関係に置こうとしました。植物や動物は化学物質など特有のネットワークで情報交換しているといわれ、コンピュータ同士もデータ交信することは可能であるといわれています。人間は言葉に頼るしかない生き物ですが、生成AIが知性を拡張し翻訳してくれることで、身体をもつ世界ともたない世界が軋きしみ合いながらも共鳴する未来に希望を抱けないか、という可能性を提起しています」と青木は視点を示す。
 今回の展示でもっとも重要な役割を演じる主人公が、1 階と2 階を隔てる天井/床の真ん中にもともと開いている〈穴〉である。本展の空間構成では、毎年出展者が手を焼くというこの〈穴〉をふさいでいない。これによって、上下の空間を移動すると空間認識が反転するという発見があった。それは〈穴〉というフレームで風景が切り取られることにも起因するだろう。
「建築空間の中心にある〈穴〉を介して、インテリアとエクステリアが入れ替わり、主客や因果の関係を交代しつづける状態を作ろうとしました。上から見るとこちらがリアルで下の世界がフィクショナルに見え、下から見るとこちらがリアルで上がフィクショナルに見える。このメビウスの輪のような生成運動自体が日本館の存在であるともいえるでしょう」と青木は展示の意図を語ってくれた。

主客を超えた高次元の関係、
〈中立点〉に生まれる創造性

 このように日本館展示のコンセプトを貫く「中立点」の発想は、日本古来の空間的・時間的・意識的概念である「間ま 」から出発しているという。青木は音楽を例にとり、こう解きほぐす。
「能や雅楽など日本の伝統音楽では、指揮者やリーダーがいてリズムをカウントするのではなく、お互いの〈間合い〉をはかります。次の音のタイミングを想像して、一致したところの〈間合い〉で音を奏でる。それは西洋的な人間主体の音楽とは逆のものです。むしろ目に見えない生成運動のような〈間〉そのものが主体であり、そこに人間を巻き込んで音楽が作られていくのです」

画像: 日本館2階では藤倉麻子+大村高広のチームが、人物がシナリオを演じる実写映像、CGによるコンストラクションビデオと音声が交錯する映像インスタレーションを制作。日本館を構成する建築的要素に生成AIが憑依したと想定し、改装案をめぐる彼らと人間の対話から、人間とAIの「中立点」を浮かび上がらせる

日本館2階では藤倉麻子+大村高広のチームが、人物がシナリオを演じる実写映像、CGによるコンストラクションビデオと音声が交錯する映像インスタレーションを制作。日本館を構成する建築的要素に生成AIが憑依したと想定し、改装案をめぐる彼らと人間の対話から、人間とAIの「中立点」を浮かび上がらせる

 ヴェネチアで本展を取材し、「中立点」のあり方について考察を続ける中で、筆者はこの秋公開されるドキュメンタリー映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』の試写を観る機会を得た。最盛期にドラム奏者を亡くしながらもメンバー構成をほぼ変えることなく、ヒエラルキーなき関係を持続してきた彼らが、「レッド・ツェッペリンとは〈In Between〉だ」と発言するシーンがある。音楽性も素養も異なり、決してひとつに溶け合うことのない4人の音楽家の「中立点」。そこで渦を巻き続ける生成運動にこそ創造性が成立するという、彼らの高次元の関係性は大いに腑におちるものだった。
「〈中立点〉というのは、異質なものや対立するものを中和して平均値をとる中庸ではないと思うんです。群島のようにバラバラのものが寄り集まって、ギクシャクとした関係が生まれ、その関係性自体が多様さを作りだす」と青木は語る。「人間と生成AIの関係も、主体がどちらかということではなく、序列や分け隔てのない中立点をベースに考えられないかと思ったのです。日本館で実現しようとしたのは、人間と非人間がどちらかを支配する関係でなく、お互いに作用し合う緊張関係です。こ
れまで私たちは、人間こそが主体であり、そのほかは人間が利用することのできる客体と捉えてきました。主体が客体を操作できるという認識と操作できないという認識、そのどちらにも陥らない「第三の知性」をもつことが必要だと考えます」

壮大な社会実験が示した
世界認識と展望の入り口

 国際建築展に明快なソリューションを求めて訪れた鑑賞者にとって、日本館はさらっと観ただけでは本質をつかみにくい展示かもしれない。だが、アートの目的は必ずしも「解」を示すことではない。「わからないことをコミュニケーションすることは建築の価値である」と青木が語るように、感覚的に受けとる刺激、誘発された会話、考えることを促される体験。それが本展を訪れた収穫だ。
 人間以外の高い知性が出現したこの世界で、オルタナティブな未来はどうなっていくのか。日本館展示はその可能性を探る、壮大で手ごわい社会実験ともいえる。建物の穴や壁に成り代わった生成AIやぎこちない人間たち、断片的に語りかけるオブジェが展開するオフビートな交信は、異質なもの同士が複雑に絡み合い、ギクシャクとした対話を繰り返すこの社会の行方をも照らし出していた。
「中立点」とは、誰かが力で操作し支配することのできない場所であり、現在の終末的な対立や分断をどうにか乗り越えていくために必要な分岐点なのではないか。アーティストでも賢人でもない私たちも、美しい「中立点」を他者と共有することができるのか。本展が想起させる問いかけは、何通りもの可能性に満ちた世界認識を示唆し、新しい展望の入り口を示してくれた。

画像: 1 階ピロティを起点に作成された日本館の見取り図。階段を上がって入場する2 階展示室と1 階の半屋外空間によって成り立つこの建築は、天井に常設された〈穴〉を通してもう一方の空間を垣間見ることができるのが特徴だ。実体のない自身の存在意義に確信がもてない〈穴〉が、今回の展示のテーマである「中立点」を象徴する主役となる。2 階の映像展示ではほかの建築的要素(柱、壁、煉瓦テラス、階段の庇、イチイの植栽、建物全体を回遊する動線リング)に人工知能(AI)が憑依し、5人の人間と対話を交わす。そのスクリプトは、西洋列強国によるナショナルパビリオン成立の歴史から、日本館建築のユニークな構造、そして〈穴〉=「中立点」の存在意義へと展開する。一方、1 階ピロティの展示では、〈動線リング〉と〈穴〉という目に見えない要素を多彩なオブジェクトの配置や関係性を通して可視化する。

1 階ピロティを起点に作成された日本館の見取り図。階段を上がって入場する2 階展示室と1 階の半屋外空間によって成り立つこの建築は、天井に常設された〈穴〉を通してもう一方の空間を垣間見ることができるのが特徴だ。実体のない自身の存在意義に確信がもてない〈穴〉が、今回の展示のテーマである「中立点」を象徴する主役となる。2 階の映像展示ではほかの建築的要素(柱、壁、煉瓦テラス、階段の庇、イチイの植栽、建物全体を回遊する動線リング)に人工知能(AI)が憑依し、5人の人間と対話を交わす。そのスクリプトは、西洋列強国によるナショナルパビリオン成立の歴史から、日本館建築のユニークな構造、そして〈穴〉=「中立点」の存在意義へと展開する。一方、1 階ピロティの展示では、〈動線リング〉と〈穴〉という目に見えない要素を多彩なオブジェクトの配置や関係性を通して可視化する。

画像: 今回の日本館チーム。キュレーター青木淳、キュラトリアルアドバイザー家村珠代のもと2 組の出展作家が集まった。 (左から右へ)家村珠代、藤倉麻子、青木淳、大村高広、砂山太一、木内俊克。

今回の日本館チーム。キュレーター青木淳、キュラトリアルアドバイザー家村珠代のもと2 組の出展作家が集まった。

(左から右へ)家村珠代、藤倉麻子、青木淳、大村高広、砂山太一、木内俊克。

『 第19回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展』 日本館
タイトル「中立点」(英題:In-Between)
会期:~11月23日(日・祝) 主催:国際交流基金
公式サイト
※2026年1 月、京都市京セラ美術館にて帰国展開催予定

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