現在建造中の新国立競技場を手がけ、世界の注目を集める建築家、隈研吾。彼は建築の可能性を問い直す一方で、資源が減少する今「建築はどうあるべきか」を模索しつづけている

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY STEFAN RUIZ, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

画像: 東京都心にある隈の事務所のデスク

東京都心にある隈の事務所のデスク

 隈が前世代の建築家たちといかに違ったことをやろうとしたかを示す、こんなエピソードがある。1994年に父親が亡くなり、墓をデザインすることになった隈は、ある建築家のモニュメントとあえて違うものをつくろうと考えた。メタボリズム・グループの偉大な建築家、黒川紀章の墓である。隈は、複雑で派手なことで知られる黒川のデザインに反発していた。2007年に没した黒川が(文字どおりの意味でも、また比喩的な意味でも)"埋葬"された墓地は、隈の事務所に隣接していた。「黒川さんの墓を見に行って、彼とは逆のことをやりたいと思ったんです」と隈は言う。

彼は疲れを知らない、集中力のある人物で、あっちからこっちへと駆け回るのについていくのがやっとだ。取材中に突然、ほとんど走るような勢いで事務所から墓苑を抜けると、隈は黒川の墓に向かった。オベリスクのような堂々としたデザインで、周囲の墓石よりひとまわり大きい。「私は御影石は好きじゃないんです」と言って、彼はその近くにある父親の墓を指した。区画を石の壁で囲っただけのその墓は、米国の建築家マヤ・リンが設計した「ベトナム戦争戦没者慰霊碑」を彷彿させるもので、モニュメントというイメージの対極にあった。使われているのは、スキーリゾートとして知られる栃木県那須町蘆野で産出される柔らかな石、蘆野石だ。

この産地に隈が建築した「那須蘆野・石の美術館 STONE PLAZA」は2000年に完成した彼の代表作のひとつで、美術館をはじめ、蘆野(るり)石を使ったさまざまな建造物が配置されている。「石は経年変化で変色します」と、瑪瑙色になった墓石をチェックしながら言う。蘆野石は、年月がたつと赤みを帯びた暗褐色になるそうだ。父親の死というきわめて個人的な経験は、隈にとって伝統と向き合う時間だった。しかしそれは同時に、彼の建築哲学を実践する機会にもなった。すなわち、伝統的な素材を使うこと、そして過去の建築にひそかな戦いを挑むことだ。隈研吾は、絶えず過去の建築を否定しつづけてきたのだから。

PRODUCTION BY AYUMI KONISHI AT BEIGE & COMPANY

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