作家のイアン・マキューアンとアナレーナ・マカフィー夫妻がイングランド中央部の丘陵地帯につくりあげた庭園は、自然の喜びに満ちあふれている

BY MARY KAYE SCHILLING, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 ニュージーランドでは、人間より羊の数がほうが多いといわれるが、何世紀にもわたって羊毛産業の中心地として栄えた、イングランド中央部のコッツウォルズもかつては同じだった。曲がりくねった道沿いの、高い生け垣越しに見える独特の切妻屋根の瀟洒(しょうしゃ)なマナーハウスは、かつて羊毛取引で途方もない富を築いた商人たちが建てたものだ。

画像: コッツウォルズの9エーカーもある敷地の生け垣で仕切られたスペース。 マキューアンとマカフィーがつくった楽しげな花壇には、 ジギタリスやハゴロモグサ、アイリス、アリウム、カラマツソウが ところ狭しと咲き乱れている

コッツウォルズの9エーカーもある敷地の生け垣で仕切られたスペース。
マキューアンとマカフィーがつくった楽しげな花壇には、
ジギタリスやハゴロモグサ、アイリス、アリウム、カラマツソウが
ところ狭しと咲き乱れている

 12~16世紀頃の中期英語で「羊の囲いのある緩やかな丘陵地帯」を意味するコッツウォルズは『ハリー・ポッター』の舞台としても知られ、中世にタイムスリップしたような感覚にとらわれる、牧歌的な農村地帯だ。非国教徒のプロテスタントの伝統が根づき、織物工場が閉鎖されたあとの質素な暮らしぶりがうかがえる。かつての繁栄を偲ばせるマナーハウスや、ロンドンの富裕層が週末に訪れる観光名所は今も残っている。だが、地元の英雄として愛され続けるコッツウォルズ出身の詩人ローリー・リーが少年時代の思い出を綴った『ロージーとリンゴ酒』(1959年)(英国の多くの学校の必読書)に描かれているような魅力あふれる景観は、耕作地を拡大させたせいで損なわれてしまった。

 ありのままの自然の美しさをこよなく愛する作家のイアン・マキューアンは、多くの牧草地や生け垣が破壊されてしまったコッツウォルズ地方の現状に、警鐘を鳴らしていた。マキューアンと、妻のジャーナリストで作家のアナレーナ・マカフィーは、手つかずの自然に囲まれたカントリーハウスをかれこれ8年も探し続けていた。候補地を探してあちこち旅して回った夫妻は、“無神経な再生計画のもとで、古きよきイングランドの田園地帯の魅力が失われてしまった”ことに気づいたという。

画像: マキューアンとマカフィーが2012年から所有しているマナーハウス。 ツルバラが中庭の石壁に絡まっている

マキューアンとマカフィーが2012年から所有しているマナーハウス。
ツルバラが中庭の石壁に絡まっている

 16世紀に建てられたある邸宅に最後の望みを託してコッツウォルズまでやってきた夫妻だったが、そのインテリアにはがっかりさせられた。ロンドンへ車で帰る道すがら、マキューアンはふと衝動に駆られ狭い道のほうへ曲がった。そこに、希望が待ち受けていた。熱心なハイカーでもあるふたりは常に新しい道を探し求めている。道を曲がったとたん、左手に見えたのは、地元で採石されるライムストーン(石灰岩)でつくられた大きなマナーハウスだった。朝日や夕日を浴びて黄色みを帯びた蜂蜜色に輝く、エレガントなライムストーンに三つの切妻屋根。木々の間から大きな窓と高い天井の部屋が見える。屋敷の向こうにはなだらかな斜面が牧草地や森へ続いている。ふたりは同時に叫んだ。「まさに探していた家だ」。その家が近々売りに出される予定だと知ったのは翌日のこと。2012年、夫妻はその屋敷を手に入れた。

 6月上旬の爽やかな夕暮れ時、夫妻は屋敷の裏庭の木製のベンチに座って、この家との偶然の出会いについて語ってくれた。イギリスを代表する風景画家ターナーが描くような夕日が、目の前の小さな湖を照らしている。「ここで暮らすようになるなんて、まだ夢を見ているみたいです」とマキューアンは言う。

 コッツウォルズの屋敷は、マキューアンのベストセラー小説『贖罪』のモチーフとなった古きよきイングランドの牧歌的な田園風景を彷彿とさせる。地平線の彼方まで続くキルト模様のような牧草地の上に、低く垂れこめた雲が広がり、荒れ狂う嵐の中から突然太陽が顔をのぞかせ、すばやくスーッと動いていく。夫妻はコッツウォルズで暮らしながら、言葉を紡いで世界を表現している。夫のマキューアンは直近の2作品を、妻のマカフィーは最新作をこの屋敷で書き上げた。その一方で、昔ながらの羊の牧草地が広がる自然あふれる世界をつくりあげるという、共通の夢に向かって、かなりの時間と労力を費やしている。

画像: マキューアンがいくつかの小さな水源から地下水を引き込んでつくった湖。 湖のそばのクルミの木まで続くフランスギクが咲く草むら

マキューアンがいくつかの小さな水源から地下水を引き込んでつくった湖。
湖のそばのクルミの木まで続くフランスギクが咲く草むら

 屋敷の前の湖も、住みはじめたときはごく小さな泥だらけの池にすぎなかった。だが、この泥池に4つの地下水源があることを発見したマキューアンは、これらの水源から地下水を引き込むルートをつくり、ボートをこげるほどの大きさの湖をつくることを思いついた。1年がかりで大量の泥を取り除く作業に取り組んだ。「最高に感動したのは、アヒルやイモリ、カエルがやってきたとき」だという。藻類のように水を浄化して酸素を供給させようと、自生の葦、水草などありとあらゆる種類の水生植物を試した。試行錯誤の結果、数種類の水生植物を組み合わせて、藻類の役割を担わせることになった。「今はこの水中のガーデンでよしとするしかない」とマキューアンはため息まじりに言う。

 マキューアンとマカフィーは結婚して20年になる。ふたりの出会いは1994年、『フィナンシャルタイムズ』の記者だったマカフィーが、児童書『夢みるピーターの七つの冒険』を出版したマキューアンにインタビューしたのだ。ふたりとも離婚歴があり、マキューアンには息子二人と前妻の連れ子である娘二人がいた。マキューアンとマカフィーには多くの共通点があったが、ふたりとも労働者階級の出身で、美しい田園風景に強い憧れを抱いていたことが、ふたりを強く結びつけた。

 軍人の息子として育ったマキューアンは、幼少期を父の駐屯先の海外で過ごした。乾燥した北アフリカの色のない風景に囲まれて暮らしたこともある。マキューアンが11歳のとき、両親は彼を英国サフォークにある、公立の全寮制の学校ウールバーストーン・ホールに通わせた。オーウェル川沿いの緑に囲まれた広大な敷地に建てられた本館は、英国における18世紀のパラディオ建築を代表する建物として知られている。マキューアンは当時をこう振り返る。「オークの木々やシダの葉が生い茂る森、自然の風景に溶け込むような整形式庭園(幾何学的配置の庭園)への飽くなき憧れが、このとき心に刻み込まれたのです。自然に対する憧れは、自分の庭をつくるのではなく、人生の大半を通じて、風景を求めてあちこちを歩き回るハイキングという形で満たしていました」

 マカフィーは、ロンドン北部の郊外にある貧しい地区で幼少期を過ごした。スコットランド系アイルランド人の父は警察官で、一家が暮らしていたのはヴィクトリア朝時代の旧警察署。「独房と約18メートル先まで届く空襲警報機が完備されていた」とマカフィーは言う。それでも外の敷地は広々としており、4人の弟や妹たちと自由に走り回ることができた。両親は花を育て、マカフィーにラテン語の学名を教えてくれた。夏になると兄と一緒に預けられたグラスゴーの叔母の公営アパートには、小さな庭があった。そこで種から植物を育てる方法や、新聞紙で小さな鉢をつくってそのまま土に埋める方法を学んだ。

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