ジャスパー・コンランは絶え間なく活動し続ける日々を重ねたのち、自然のままに育まれたドーセットの庭で過ごす時間を好むようになった。平穏な田舎暮らしは彼の抑制の効いた美意識とは対極にあるように見えて、インスピレーションの源となっている

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY SIMON UPTON, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 母から贈られたシグネットリングは、イギリス人デザイナーのジャスパー・コンランが最も大切にしているもののひとつだ。指輪にはコンラン家の紋章―― 十字に折り重なる二匹の蛇に鳩がとまっている姿 ――が刻まれ、「平和の中に知恵は宿る」というモットーを表す。確かに愛情は伝わってくるが、博識な彼を生んだコンラン家は並外れた成功をおさめる一方で、平和な家庭ではなかったことは周知の事実なので、母の贈り物にはいかにもイギリス人らしい皮肉が込められていたことは、容易に想像がつく。

 昨年9月に88歳で亡くなったジャスパーの父・テレンス・コンランは、1960年代にライフスタイルショップ「ハビタ」を多店舗展開して一時代を築き、英国の戦後の古臭いデザインを一変させた人物である。無駄のないシンプルな生活雑貨や北欧式の組立家具は、ハビタによって英国のハイストリートにもたらされた。1973年には、チェルシー地区のフルハムロードで高級志向の「ザ・コンランショップ」を開き、1980年代後半になるとこの店を現在の場所にあるミシュラン・ハウスに移した。アール・ヌーボーの贅を尽くした古い建物だ。この店で、テレンスはフランスの伝統的な調理器具や世界中から集めた工芸品とあわせて、チャールズ&レイ・イームズやルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのような作家たちが手がけたモダンな家具を置くなどして、小売業界を変革し続けた(ザ・コンランショップは現在、パリ、東京、福岡、ソウルにも店舗を構え、ロンドン市内にもさらに二つの店舗がある。ひとつは百貨店「セルフリッジズ」の店内、もうひとつはメリルボーン地区にある)。長いキャリアにおいて、テレンスはさまざまな分野で才覚を発揮した。

画像: アリウム、ジギタリス、チャイブ、レディスマントル、バラが育つジャスパー・コンランのにぎやかな庭

アリウム、ジギタリス、チャイブ、レディスマントル、バラが育つジャスパー・コンランのにぎやかな庭

グラフィック・デザインやファッション、インダストリアル・デザインに敬意を表してロンドンにデザイン・ミュージアムを設立しているし、立ち上げたレストランの数は50を超える。ミシュラン・ハウスの1階にあり、今も人気が衰えない「ビバンダム」もそのひとつだ。1987年のオープン当時、この店はモダンキュイジーヌを供する、天井の高いブラッスリーの先駆けだった。その後、同様のレストランがロンドンに次々と誕生する。

 現在61歳のジャスパーは、テレンスのもとに生まれた5人きょうだいの上から2番目だ。彼の母は、『レース』(1982年)などの官能的なヒット小説を連発した、ベストセラー作家のシャーリー・コンラン(テレンスは四度結婚し、シャーリーは2番目の妻である。ふたりが1962年に離婚したとき、ジャスパーは2歳、兄のセバスチャンは5歳だった)。寮生活を始めるまで、ジャスパーは母が次々と住み替えるロンドン市内のマンションと、父が70年代初頭に家族用に購入した約58万7,000㎡を誇るバークシャーの「バートン・コート」とのあいだを行ったり来たりしていた。このほかに、プロヴァンスの農園にも別荘があった。

 複雑で波瀾万丈な子ども時代だったが、豊かな創造力が育まれたのも事実だ。ジャスパーだけではなく、セバスチャンも異母妹のソフィーもデザイナーになった。ジャスパーは英国の義務教育を修了すると、ニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに留学し、19歳でデビューした。初コレクションを飾った10点のウェディングドレスは、かつてマンハッタンに存在した高級ブティック「ヘンリベンデル」のために制作したものだ。以来、父に引けを取らないほどの活躍が続いている。自らの名を冠したウィメンズウェアのブランドと、価格を低めに設定したディフュージョンラインの「J by Jasper」に加え、彼がデザインした食器のシリーズがウェッジウッドから販売されている。

画像: 17世紀に建てられた館の正面エントランスは、広大な庭へとつながる。エリゲロンが両側に咲き乱れる門の向こうには、自然のままの英国の田園風景が広がっている

17世紀に建てられた館の正面エントランスは、広大な庭へとつながる。エリゲロンが両側に咲き乱れる門の向こうには、自然のままの英国の田園風景が広がっている

さらに、英国ロイヤル・バレエ団が振付師にクリストファー・ウィールドンを迎えて制作した『Within the Golden Hour』(2019年)をはじめ、数々のバレエやオペラ、演劇の衣装デザインを手がけている。2011年には、取締役会からザ・コンランショップのクリエイティブ・ディレクターに任命され、その数年後には父の退任を受けてコンラン・ホールディングスの会長に就任した。ザ・コンランショップがかつての輝きを取り戻せるように力を尽くしたが、自身のブランドに専念するため、2015年に辞任した。そして2020年、ザ・コンランショップは売却されることになった。新しいオーナーは、英国で多数の不動産を保有するイギリス人実業家、ジャバド・マランディだ。オックスフォードシャーにある約40万㎡の私有地もマランディの投資先で、ここには会員制クラブ「ソーホー・ハウス」のリトリート施設「ソーホー・ファームハウス」がある。

 父・テレンスは、その才気を剣のように振りかざした(著書『Q&A: A Sort of Autobiography』(2001年)において、自身を「野心家で意地が悪く、他人に親切だが欲が深い。欲求不満で感情的。扱いにくい。器が小さい。人見知り。太っている」と評している)。ジャスパーも父と同じような熱量で美を追求するのだが、寛容な精神を持ち合わせているため、中和されている。しかし、じっとしていられないところも父からしっかりと受け継いでおり、つねに動き回る生活が長く続いた。英国や海外で家の売買を繰り返し、どの家もいかにも彼らしいスタイルでアレンジした。ストイックな中間色でまとめた中に、さし色を巧みに効かせ、英国のアンティーク家具と16~18世紀のアートを組み合わせるのが、ジャスパーの持ち味だ。「僕が古い家をいくつも持っていることは、隠すまでもないよ」。彼は、少し照れながらそう言う。「母に連れられて、よく大きなおんぼろ屋敷を見に行っていたから、子どものときからの夢だったんだ。あの頃は、『この家ではどんなことがあったのかな? どういう物語があるんだろう?』なんて、想像を膨らませていたね」

画像: 穏やかにくつろぐジャスパー・コンラン。壁に囲まれた庭の中、背高のジギタリスの穂先の間にて

穏やかにくつろぐジャスパー・コンラン。壁に囲まれた庭の中、背高のジギタリスの穂先の間にて

 少なくとも、ジャスパーはこれまでに6つの家を手に入れており、いずれも歴史的に有名な建築物だ。なかでも特に壮麗な建物のひとつが、サマーセットにある18世紀の荘園「ヴェンハウス」だろう。歴史的にもっとも重要な「第一級指定建築物」として登録されている。彼はこの家を2007年に購入したが、2015年に売却している。もうひとつは、ウィルトシャーの「ニューウォードー城」だ。大理石で造られたパラディオ様式の大邸宅で、上部のドームは高さが約18mもある。この城の大部分は居住空間になっており、その面積は約2,136㎡に及ぶ。ロンドンのハイドパークの近くにマンションも所有する。さらにギリシャのロードス島にも家があるが、こちらは2軒を合わせてひとつの家にしたもので、どちらももともとは船長の邸宅だったという。

 だが、近頃のジャスパーにとっての我が家は、比較的質素な風情の家で、それがとても新鮮に映る。英国南西部の田園地帯ドーセットにあるレンガ造りのこの家は、17世紀初頭に建てられた当時のままの姿をしており、「ベティスクーム荘園」という。敷地の広さは約28万㎡だ。このあたりには、人間の手が加えられていない自然が今も残り、その野生の美しさは19世紀の小説家トーマス・ハーディのおかげで不朽のものとなった。

ジャスパーが4年前に買い取る前は、彼の継母でフードライターとして活躍したキャロライン・コンランがこの家の持ち主だった。彼女はハビタの草創に大きく寄与した人物で、ジャスパーの父・テレンスとの結婚生活は、1963年から1996年まで続いた。キャロラインは1986年、週末にくつろぐ場所として、自分自身のためにこの家を購入した。何年もの間、ジャスパーは実母のシャーリーとは険悪な仲だったが(彼は2015年にアイルランド人アーティストのオシン・バーンと結婚する少し前まで、シャーリーとは10年以上も口を利かなかったと報じられている。ちなみに、シャーリーはふたりの結婚式に出席した)、継母のキャロラインとは深く理解し合い、強い絆で結ばれていた。「彼女はおそらく、僕にもっとも大きな影響を与えた人だ」とジャスパーは言う。長年、彼はキャロラインに会うために、ベティスクームに足繁く通った。「この世のものとは思えないほど魅力的な家だと、ずっと思っていた」。それがまさか自分のものになるとは、思ってもいなかった。キャロラインが身辺を整理して身軽になりたいと、2015年に言い出すまでは――。

画像: シデの生垣で隠れているコテージは14世紀の建築で、ジャスパーの書斎とオフィスがある。庭にはオールドローズやウイキョウ、立葵、ラズベリーの低木、レディスマントルが植えられている

シデの生垣で隠れているコテージは14世紀の建築で、ジャスパーの書斎とオフィスがある。庭にはオールドローズやウイキョウ、立葵、ラズベリーの低木、レディスマントルが植えられている

「僕はそのとき、もうひとつ家を買いたいと思って探していたわけじゃないんだ。それにこの家は、単なる『もうひとつの家』なんかじゃない」とジャスパーは言う。400年以上も前からほぼ同じ姿のままの荘園は、彼がこれまでに手がけてきた数々のプロジェクトをはるかにしのぐ壮大な人間のドラマを秘めている。古くてあちこちがきしむが居心地がよく、独特の趣がある。幅広の板を張った床はイグサのマットで覆われており、ベルファスト・シンク(註:白い磁器製の、深く細長い流し台)を取り付けた洗い場の下には造り付けの棚があり、リネンのカーテンで目隠しされている。昔はこの棚に、髪粉(註:おもに17〜18世紀のヨーロッパで流行したカツラにつける粉)をつけたカツラが収納されていた。最後にこの家の全面的な改修が行われたのは、ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治時代のことである。ジャスパーの継母が、ここに住んでいた農家の人からこの家を買った当時は、セントラルヒーティングは取り付けられていなかったという。

 彼ならではの抑えの効いた端正な華やかさで、ジャスパーはこの家の模様替えを行った。飾り棚がついていない暖炉の前には、白いリネンを張った一対の肘掛け椅子が置いてある。ジョージ2 世時代
のデザインで、マホガニーの脚は糖蜜が焦げたような色をしている。淡い色の壁には、金の額縁に入ったクロスステッチ刺繡がひとつだけ飾られている。ウェールズの荘園がモチーフで、彼の21歳の誕生日祝いとして買ったものだ。その下には柔らかそうな白いソファがあり、モロッコから持ってきたすみれ色のクッションがあちこちに置かれている(彼は2016年にモロッコに、ブティックホテル「ロテル・マラケシュ」を開業した)。だが、ジャスパーがようやく平和の中に知恵を見いだした――コンラン家の紋章の訓示のように――ということがいちばんよくわかるのは、やはり庭だろう。

 17世紀の様式に従い、型どおりに設えたヴェンハウスの庭には、石造りの噴水があり、刈り込まれた緑の木々が左右対称に並んでいる。対照的に、ベティスクームの庭はありのままの自然とその恵みをぞんぶんに活かすことに軸足が置かれている。この地域の田舎らしい大らかな気質と、ジャスパー自身の変化――豪華さが際立つものへの興味が薄れている――を映し出しているかのようだ。ここにはニワトリがいる。毎日羊飼いがやって来て、羊の群れに草を食べさせる。この家で働く常勤のスタッフは、庭師ひとりだけだ。ほかに所有していた、より壮麗な建物では、きちんと維持するために多くの人手を必要としたが、それとは大違いである。

画像: ジャスパーのレンガの家、ベティスクーム荘園を庭から眺める

ジャスパーのレンガの家、ベティスクーム荘園を庭から眺める

「僕の人生において、これまでとは違う時間が流れている」。ジャスパーは、英国のタブロイド紙を盛んににぎわせたパーティ三昧の若かりし日々を振り返りながら、そう話す。「今はとても快適で、心が満ち足りている」。インテリアに関しては、よいものがゆとりを持って配置されるように、何をどう置くかを厳しい目で判断することをいとわない姿勢が伝わってくるのだが(「ものを重ねて置くことはしない」とジャスパーは言う)、庭のほうは無秩序といってもいいくらい、にぎやかだ。「僕自身の無意識の衝動が、僕を極端な方向へ走らせるんだ」。鮮やかな色彩、咲き乱れる花々の甘い香り、自然のあるがままの姿かたち――。そういうものに包まれたいと願う気持ちが、コロナ禍において強くなったという。「自然の中に身を置いて、一夜で変わる景色を毎日外に出て確かめる。それだけで、ワクワクするんだ」

 庭はわざと不完全な状態にしてあるということが、正面のドアから外に出て石畳の小径を歩き始めるとすぐにわかる。視界に飛び込んでくるのは、エリゲロン。大昔からそこにある石と石の間から、デイジーに似た小花が元気よく伸びている。草だらけの小径で仕切られて二つに分かれた花壇も、草花が生い茂りさまざまな色が混ざり合っている。春が終わりにさしかかる頃には、パロット咲きのチューリップが庭じゅうに咲き誇り、ジギタリスの釣鐘型の紫色の花が、ユーフォルビアの黄色い花の群れをかきわけるようにして現れる。花盛りの季節が一段落すると、今度はダリアが姿を現す。うなずくように揺れるダリアの花は、時にフリスビーほどの大きさになる。

画像: ジャスパーの庭の中で野生の樹木が生い茂るエリア。フランス菊が牧草地の一角を覆うように咲いている

ジャスパーの庭の中で野生の樹木が生い茂るエリア。フランス菊が牧草地の一角を覆うように咲いている

そして12月になっても、この庭では花が咲く。ヘレボルス(クリスマスローズ)だ。褪せたようなヴィクトリアンカラーのラベンダーやセージ色に染まった花びらが、大きく開く。さらにこの庭の敷地には、切り花専用の花壇や菜園、温室もある。ジャスパーは、庭から新鮮なパプリカや葉物野菜や豆を採ってきて、アイオリソースをかけたポーチドチキンに添える。食事に招かれた人たちは、森を切り開いたところに彼がセットした優美な年代ものの鉄のテーブルを囲んで座り、よく冷えたムルソーを味わう。

 パートナーのバーン(37歳)は、ここからおよそ90m離れた果樹園の近くにアトリエを構えている。1830年代に造られたこの建物にはりんごの圧搾機があり、今でも秋になるとアップルサイダーを造るために使われる。過去1年間に彼がベティスクームで制作したものは、その大半が大きな植物画だ。みずみずしく、生き生きとした筆致で描かれており、これまでよりもさらに大きく、より鮮やかな作品になっている。バーンが絵を描くためなら、ジャスパーは惜しげもなく花を摘んで、ブーケをつくる。それは、静かなる愛情表現だ。「これまでの僕の人生にはドラマがあり、いくつもの家があった」と、ジャスパーは言う。「そして今、ようやく地に足が着いたと感じているんだ」

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