ポルトガルのサンタル。かつて栄華を誇ったこの村は、1960年代から衰退の一途をたどる。だが、この地で今、大がかりな再生プロジェクトが進行中だ。その一翼を担う造園家は、村にある複数の庭園をつなげて結び、誰もが自由に歩ける緑豊かな空間へと生まれ変わらせた

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

 長くこの村に関わってきた貴族の末裔であるバスコンセロス・イ・ソウザにとって、村の住民にプロジェクトを認めてもらうことは重要だった。「実現に向けて人々を説得するのが、どれほど大変だったことか」と彼は言う。「最初の頃、私は頭のおかしい人間だと思われていたんです」。

新たな村づくりの構想をもとにカルンチョが制作した模型は、バスコンセロス・イ・ソウザ家のマナーハウスの1階に置かれた。石壁で覆われたその広大な空間を訪れ、そこで模型を目にした住民は、おおむね即座にこの計画を受け入れた(現在、このフロアは小さな博物館になっていて、司教や枢機卿の祭服がガラスケース越しに展示されている。バスコンセロス・イ・ソウザの先祖で聖職者だった人たちが着用したものだ。カルンチョの息子で27歳の建築家ペドロは、マナーハウスの門に近接している建物を小さな売店につくり替えた。かつては薪の収納に使われていたが、売店となった現在は、トゥーリガ・ナショナル種、アルフロシェイロ・プレト種、アリカンテ・ブーシェ種などのブドウを使った渋みが強くて舌ざわりのよい赤ワインと、エンクルザード種やマルヴァジア・フィナ種でつくる柑橘系の香りがかぐわしい白ワインを販売している)。

 だが、いちばんの見どころは庭園だ。どの庭も、すぐ下を流れる分水嶺からのみ、水を引いている。カルンチョの過去の作品と比べると、サンタルの庭園に対して行なった造作は控えめで繊細だ。彼がニュージーランドで手がけたプロジェクトでは、エスカロニア(註:ピンクの小花をつける低木)の小山をいくつもつくり、それらが重なり合いながら一面を覆うように配置した。近くの火山から溶岩が噴出するさまを彷彿とさせるためだ。モロッコのマラケシュで手がけたゴルフ場では、モダニズム建築のルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエのような直線を描きながら、水と芝を配置するコースを設計した。カルンチョは、陽光だけでなく影も巧みに活かすように、緻密な調整を行いながら空間をつくることで知られる。造園家の個性を前面に打ち出したスタイルをその場所に押しつけるようなことは、彼はしたがらない。代わりに、それぞれの土地に自然と与えられている輪郭──どんなふうに日が差すのか、どのような歴史が育まれてきたのか――にインスピレーションを求め、時間をかけて、熟慮を重ねながらデザインを決めていく。

そんな彼のアプローチは彫刻家のようであり、学者のようでもある。20世紀以前を生きた人々は、人間はいかに自然と共生していくべきかを心得ていた。これからの社会は、その状態に回帰していくであろうと、カルンチョは確信している。彼は、1979年に弱冠21歳で自分のアトリエを構えた。以来、多くの顧客と接してきたが、近年は依頼される仕事の内容に変化を感じているという。土地を農業に活かすと同時に、景観の純粋な美をも求める顧客が増えているのだ。産業革命以前の社会では実現していたそのバランスは、生産技術の発展がほかのすべてを凌駕するようになってからは、消滅してしまった。その失われた“均衡”を取り戻そうという顧客が増えているのである。「サンタルの事例は、村とその住民が本来もっている尊厳を回復させると同時に、それが21世紀において確実に持続する道を示している」とカルンチョは言う。

画像: サンタル・イ・マガリャエス伯爵邸の庭園を飾るボックスウッドの花壇では、デビッド・オースチンが育種したさまざまなバラが花を咲かせる

サンタル・イ・マガリャエス伯爵邸の庭園を飾るボックスウッドの花壇では、デビッド・オースチンが育種したさまざまなバラが花を咲かせる

 村を統合するために、どのマナーハウスにもそれぞれの特色を打ち出したブドウ園が設けられている。たいていの家が新たに開墾した、もしくは復活させた果樹園を持ち、果物の栽培も行う。エスパリエ仕立て(註:樹木の枝を格子などに誘引する方法)にしたブドウのツタが織りなす幾何学模様と、果樹の整然とした配列。これらが空間にテーマ性をもたせている。広大な面積を誇るフィダルガス邸につくったブドウ棚は、通常であればまっすぐな列にするところを、あえて波を描くように配置した。離れた場所から眺めると、夢の世界を表現した巨大なオプアートのように見える。19世紀初頭に建てられたイベリコ・ノゲイラ邸の敷地には、今では18もの菜園がある。いずれも広さは60㎡で、そのうちの4つは地元の農家が耕しており、ナスやパプリカ、ケールやイチゴを栽培している。それぞれの境界には深紅のグラジオラスが植えられ、衛兵のように列をなして咲いている。180㎝ほどに伸びたアーティチョークは花穂の先に蕾がそびえ、そのてっぺんにはヤグルマギクに似た青紫の花を頂く。「リニャレス」と呼ばれる庭園に並ぶボックスウッドの4つの生垣がポピーやコスモスを囲んでいる。生垣の内側では、5月から10月にかけて、オレンジや黄色の鮮やかな色が一面に咲き乱れる。

 カルンチョは、それぞれの庭園がつながるようにさりげない工夫を随所に施したのだが、まさにこれこそが、再生プロジェクトがこの村にもたらした鮮烈な変化であろう。ポルトガル人は、土地の所有とプライバシーに関して複雑な考えをもっている。そんな彼らに、カルンチョは“互いの土地をつなげる”という発想で、意識改革をせまったのだ。「ポルトガル人はとても縄張り意識が強いんです」とバスコンセロス・イ・ソウザは言う。「私たちは塀を愛するのです。他人の家の門をくぐるとか、他人の土地に足を踏み入れるなどという発想は、以前の私たちでは絶対にありえなかった」。それが今や、どうなっているか――。サンタル・イ・マガリャエス伯爵邸の庭園から、隣接する「マグノリア館」へとつながる素朴な木の階段が続いている。カルンチョがデザインしたもので、階段を上りきった先に門があるが、そこに鍵はかかっていない。

17世紀に建てられた「マグノリア館」は、中心にある樹齢200年の老木にちなんで、そう名づけられた。もう一方で隣接するイベリコ・ノゲイラ邸とつなげるために、カルンチョは坂のてっぺんに藤のパーゴラを設けた。幾何学的な形状に整えられた景観と豊かな自然がそのままに残る風景を人工的なもので隔てることを、カルンチョは絶対によしとしない。さらに、フィダルガス邸に新たにつくったブドウ園を通り抜ける小道の終点には、高床式のパビリオン(註:庭園内の休憩所)があって、そこから村全体を眺めたり、山々を見渡したりすることができる。花崗岩の柱の上に立つパビリオンは、高さが6m、幅は12mほど。ヨーロッパアカマツでつくられた風通しのよい木製の柵で囲われている。木の幹を柱として用い、その間にくねくねした枝を配して目張りをつくっているので、柱の自然な直線と枝の曲線で幾何学模様が描かれているように見える。パビリオンの前に、カルンチョは縞黒檀とキンモクセイを植えた。花をつけ、豊かな香りを放つこれらの木々が成長して高くなると、やがてブドウ畑との境目が目立たなくなるはずだ。そうすると、まるでこのパビリオンがブドウの木々の上に浮かんでいるように見えるだろう。

画像: 造園家のフェルナンド・カルンチョは、イベリコ・ノゲイラ邸とサンタル・イ・マガリャエス伯爵邸の庭園をつなげる手段として、藤のパーゴラを考案した

造園家のフェルナンド・カルンチョは、イベリコ・ノゲイラ邸とサンタル・イ・マガリャエス伯爵邸の庭園をつなげる手段として、藤のパーゴラを考案した

画像: 庭園を囲む古い花崗岩の塀に沿って続く小道。フィダルガス邸の庭園にあるオリーブの木が見える

庭園を囲む古い花崗岩の塀に沿って続く小道。フィダルガス邸の庭園にあるオリーブの木が見える

 新型コロナウイルスの大流行によって、カルンチョとバスコンセロス・イ・ソウザのプロジェクトには、遅れが生じた。だが、その遅れがむしろプラスに転じた面もある。自然災害により暮らしが脅かされることもあるが、自然はやはり豊かな恵みをもたらしてくれる。カルンチョの指揮のもと、コロナ禍以前に植えられた木や植物の多くが今やほぼ成熟の段階を迎え、ポルトガルのまばゆい日差しを受けて青々と生い茂っている。当初の狙いどおり、もはやカルンチョという造園家が介入した形跡をたどるのは不可能に近い。そして今年のブドウの収穫は、ここ何年かにおける最高の出来になる見込みだ。ただ遊ばせていただけの、埃が舞い上がっていた土地で、今では新しいブドウの木が力強く成長して、果実を実らせているのだ。今年の収穫は、人々に充実感を与える格別なものになるはずだ。

「ここまで大がかりなことをやりとげるには、強い信念が必要です」とバスコンセロス・イ・ソウザは言う。「自分の生きる目的であり、自分はこれをするために生まれてきた――。そう信じ続ける覚悟が必要なんです」

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