スペイン人の某映画監督は、新作の脚本を書き上げるのにふさわしい、静かな環境を探していた。そこで彼が見つけたのは、フィレンツェの丘の上にあるアパートメントだった。天井から床まで室内のすべてが茶色で、同色のカーペットが敷き詰められた不思議な空間。その物件は、かつて芸術家たちのパトロンとして名を馳せたメディチ家が所有していた「ヴィラ・ディ・マリニョッレ」という別荘の中にある

BY KURT SOLLER, PHOTOGRAPHS BY RICARDO LABOUGLE, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

(アルバート・)モヤが決めた「掟」は「家具もほかのものも、何も置かないこと」だ。例外は、玄関ホールに並べられた数脚のシンプルなダイニング用の椅子だけだ。白樺の木でつくられたこれらの椅子は、コペンハーゲンを拠点とするデザイン会社フラマの製品だ。「とにかく、よけいなものが一切ないピュアな空間をつくりたかった」

画像: モヤのアパートメントの玄関ホールの天井部分には、ルネサンス時代に描かれたフレスコ画がそのままの状態で保存されている。白樺の木でつくられた椅子はフラマ製。

モヤのアパートメントの玄関ホールの天井部分には、ルネサンス時代に描かれたフレスコ画がそのままの状態で保存されている。白樺の木でつくられた椅子はフラマ製。

 メインのリビングのほとんどの空間を占めるのは、床がほかの箇所よりも少し低くくぼんでつくられている団らんのためのスペースだ。このスペースはモヤがここに引っ越してきたときからすでにあったが、彼は、このコーナーの端をぐるりと取り巻くように置かれていたソファを撤去し、ウール素材のカバーで覆われたクッションをいくつも配置した。異国から頻繁にこの地を訪れる友人たちと一緒に床にごろんと寝そべりながら、柱と梁(はり)でできた年季の入った7mの高さの天井を見上げて、ボーッと過ごすためだ。
 そんな来客たちのうちのひとりが、同郷である、スペインのカタルーニャ州出身の建築家、ギレルモ・サントマ(38歳)だ。モヤは彼とともにこのアパートメントをリモデルする計画を立てた。作業の最中に、モヤはサントマひとりをここに残して1週間ほど留守にした。モヤが戻ってきたときには、サントマが、ほとんどすべての空間を――ラウンジや、ダイニングルーム(そこに置かれた円形のテーブルや、丸くカーブした形のベンチも)、さらに、二つある中2階部分や、そこに続くそれぞれの階段や寝室の床に至るまで――モカ色のカーペットですっぽりと覆ったあとだった。蜂蜜色に輝く木製の床や窓枠とぴったり合う同系色のカーペットは、より柔らかく、心地よく感じられた。 
 モヤとサントマは、およそ6m×3.7mの広さの寝室の真ん中に、典型的なベッドの代わりに、低めのマットレスを設置し、白いアルパカの毛皮を毛布代わりにかけた。さらにマットレスの四方をすっぽり囲うサイズで制作したやや高さのある木製の枠を置き、その枠にカーペットと同じ茶色の布張りを施した。「寝室には、コンピュータとスマホは一切持ち込んではいけないというのがルールだ」とモヤは言う。壁の横にある祭壇の上に置かれた数本のキャンドルの灯りを眺めながら、モヤと来客たちがゆっくりと眠りに落ちることができるように。 

画像: 低い位置にあるベッドの上にはアルパカの毛皮の毛布が

低い位置にあるベッドの上にはアルパカの毛皮の毛布が

 だが、この寝室以外の空間は、休息よりも生産性に重きを置いてアレンジされている。バルコニーのひとつには、桃色の光を放つ植物育成用の電灯が置いてあり、大麻の栽培実験に失敗した形跡が残っている。そしてもう片方のバルコニーには、レトロな感じがするウェイト・リフティング用の設備があり、革製のサンドバッグと鉄製の黒いバーベルがある。そのバルコニーの真下は、リビングルームのちょうど角部分にあたり、両側の二つの窓からは、よく手入れされた庭園が見える。そのコーナーに、モヤは可動式の4つのスクリーンを組み合わせて設置し、映画の映像編集をする巨大な作業ステーションをつくった。それはまるで彫刻家のルイーズ・ブルジョワが制作する“蜘蛛”のような形状で、映画『マトリックス』に出てくるロボットのようにも見える。 
 部屋にインテリアと呼べるものはほとんど置かず――絵画は皆無で、ごくわずかなオブジェを飾っただけだ――色彩も茶系のみというこの住居は、どう見ても映画っぽく、まるでディストピアを描いた作品を撮影する現場のように見える。
 だが、モヤはすでに現在脚本執筆中の自作の映画を撮影する場所を、ほかに見つけていた。それは、モヤが育ったスペインの村からそう遠くない、カタルーニャ州のコスタブラバに、スペイン人建築家のリカルド・ボフィルが1973年に完成させたサマーハウスだ。茶色いレンガと真っ赤なタイルのコントラストが印象的な家だ。

 それでも、フィレンツェの地は、モヤに、当初の目的である脚本を完成させるためのインスピレーションを十分に与えてくれた。
「ここでは、地元のクリエイティブな仲間やアーティストたちを強く結びつけるものが存在しないから、お互いが連絡を取り合うことがかなり難しいんだ」とモヤは言う。「僕はそんなに頻繁に外に遊びに行かないし」 
 彼はだいたい毎日夕方すぎまで脚本の執筆をし、近くの木製の棚にラップトップを置いて、彼が着ているコーデュロイのパンツと同じ茶系色のカーペットの上にごろんと寝そべりながら、ベージュ色の街の丘の向こう側に太陽が沈んでいくのを眺める。それがすんでやっと、団らん用のスペースにぶら下がっているアクリル樹脂製ライトの彫刻と戯れることができるのだ。

 この作品はサントマがデザインして、あえて浮遊するように設置したもので、どんな色にも発光させることができ、ジェームズ・キャメロン監督の映画『アバター』シリーズに出てきそうなキャラクターのようにも見える。
「今のところは」とモヤはこのランプを指して言う。「これが僕のボーイフレンドなんだ」

画像: ダイニングルームからは、ヴィラ・ディ・マリニョッレの歴史ある庭園の眺めが楽しめる

ダイニングルームからは、ヴィラ・ディ・マリニョッレの歴史ある庭園の眺めが楽しめる

 

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