BY MARI MATSUBARA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA

安藤忠雄(あんどう・ただお)
1941年大阪市生まれ。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。日本建築学会賞をはじめ、プリツカー賞、アメリカ建築家協会ゴールドメダルなど受賞多数。1997年より東京大学教授、現在名誉教授。住宅から美術館まで、国内外で多くのプロジェクトを手がける。一方、植樹運動や震災復興支援など社会活動にも尽力。5月には、90年代初めから建築家として関わる直島で10番目の建築となる「直島新美術館」がオープンする。
「『中之島公会堂』建設に私財を投じた岩本栄之助に感銘を受け、私も一人の大阪人として大阪の街に貢献したいと思いました」
JR大阪駅から車で5分ほどの中心地ながら、住宅や寺が密集する界隈に安藤忠雄建築研究所はある。ここは安藤が1973年に手がけた最初期の住宅「冨島邸」があった場所だ。建築家としての一歩を踏み出した現場を本拠地に、半世紀余り。国際的なプロジェクトを何本抱えようが、安藤はこの場所を仕事場としつづけている。
ここ数年、安藤の活躍とともに都市・大阪の躍動が際立っている。2020年には安藤の企画・設計による「こども本の森 中之島」がオープン。また2024年には大阪駅北側の梅田貨物駅跡地に展開する大規模再開発の第二弾としてグラングリーン大阪が開業、その中の文化施設「VS.(ヴイエス)」は安藤が設計監修を務めた。そして今年4月には、安藤がシニアアドバイザーとして関わる「EXPO 2025 大阪・関西万博」がいよいよ開幕する。ますます注目度が高まる大阪という街に、安藤はどんな思いを抱いているのだろう?
「大阪・関西万博は後ろからサポートする立場で、直接的には関わっていませんが、人工島(夢洲)での開催というのは、万博の歴史上珍しい例ですよね。そこは大阪らしいアピールができてよかったかと。古くから海上交通の要衝として発展し、淀川が内陸との物流を支えてきた“水の都”ですから。私は大阪北港や西宮など近隣のハーバーからヨットや船を集め、会場へのアクセス手段にするのはどうかと提案しました。あまり相手にされませんでしたが(笑)」

住吉の長屋(大阪市住吉区 1976年)
三軒長屋の中央の一軒をコンクリートのコートハウスに建て替えた。住宅の中心で光と風を室内に取り込むヴォイド(中庭)が、狭い住居に無限の奥行きをもたらす。
© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

光の教会(大阪府茨木市 1989年)
少ない予算ながら信者の熱意、施工者、建築家が一丸となって完成した教会。コンクリート打ち放しの箱に十字の切り込みを入れることで印象的な光の十字架が出現する。床は黒いオイルステインを塗った足場板。
© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES
民の力が支えてきた大阪の発展
「大阪には『八百八橋』という言葉があります。これは大阪が水運の要衝として発展し、多くの橋が架けられてきたことを示しています。川沿いには古くから多くの商人が店を構えていた。江戸時代には豪商たちが架橋事業を推進しました。大阪の街づくりには、民間の力が大きな役割を果たしてきた歴史があるのです」
その代表例が「大阪市中央公会堂」、通称「中之島公会堂」だ。淀川に浮かぶ中之島の東端に立つネオ・ルネサンス様式の建物で、1918年に竣工し大規模な改修を経て今もなお威風堂々たる姿を見せている。この建設費全額を寄付したのが、株式仲買人の岩本栄之助という人物だった。
「岩本は渋沢栄一率いる渡米実業団に参加し、明治42年にアメリカを視察します。そこで公共施設の充実ぶりや篤志家の寄付の精神に感銘を受けるのです。そして帰国後、私財100万円、現在のお金に換算すると数十億円相当を一括寄付しました。ところがそのあとに岩本は株の取引に失敗してしまった。周囲からは寄付金返還を申し出るよう勧められましたが、一度寄付した金を取り戻すなど恥だと言って断り、公会堂の完成を見る前に自殺してしまったのです。その選択を称賛するわけではありませんが、岩本の誇り高い公共精神には心打たれます。こうして民の手でつくられた建物が、今なお街に息づき、市民の心の風景を形作っている。私も大阪人の一人として、この街をつくってきた先人たちの心意気に倣いたいとつねづね考えてきました。『桜の会・平成の通り抜け』は、そんな気持ちから始めた取り組みです」
中之島を中心とする淀川沿いにはもともと4000本の桜の木があり、造幣局の「桜の通り抜け」として有名だった。ここにさらに3000本の桜の木を植えようという安藤発案の取り組みは、大阪の企業や市民の寄付を得て実現。20年余りの時を経て、毎春見ごたえのある風景が人々の目を楽しませている。

中之島プロジェクトⅡ-アーバン・エッグ(大阪市北区/アンビルド 1988年)
1918年竣工の「中之島公会堂」の内部に卵形のシェルに包まれたホールを計画。未完に終わった構想が、歴史的建造物の中に円筒状の展示空間を設けたパリの現代美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」(2021年)に生かされた。
© TADAO ANDO ARCHITECT & ASSOCIATES

桜の会・平成の通り抜け/新桜宮橋(大阪市北区 2004年~)
中之島を中心とする淀川沿いに3000本の桜を植樹する活動。もともとあった4000本と合わせ、壮大な都市景観を創出した。造幣局に近い桜宮橋に並行する「新桜宮橋」(2006年12月開通)も安藤のデザイン。
©SHIGEO OGAWA
子どもの未来を考えた街づくり
「大阪下町の悪ガキとして育った私は、子どもの頃は勉強そっちのけで、相撲をする、川で魚を獲る、原っぱを走り回る、トンボを捕まえる、と毎日遊び惚けていました。おかげで成績は散々でしたが、目いっぱい自由を満喫した分、生きる力、生命力みたいなものは随分鍛えられたように思います。遊ぶ時間も場所も少ない今の子どもたちには、その自由がない。感受性豊かな子どもの時分にこそ、自由に学び成長できる環境をつくってあげないと」
こうした思いから、2020年に安藤の企画・設計による「こども本の森 中之島」が誕生した。
「アメリカの鉄鋼王カーネギーは事業から手を引いたあと、自己資金で全米各地に図書館を建てました。『10代の頃、電報配達の仕事の合間に本を読んだことが生きる力を養った』と。その話に触発されて、土地は大阪市、蔵書と運営資金は市民の寄付、設計と建設費は私が負担するということで実現しました。官と民で力を合わせた、未来を担う子どもたちへのプレゼントです」
階段やブリッジ通路が張り巡らされた吹き抜けの空間に、床から天井まで本棚が続く圧巻の図書館は子どもにも大人にも大評判だ。その周辺は人々が自由に歩き回れる公園になっている。
「完成当初、建物と前の公園の間に車道が通っていました。それでは子どもたちが安心して遊べない。国土交通省に『道路、撤去できませんか?』と問い合わせたら、『難しいです』と取り合ってもらえない。それでもしつこく交渉を続けたんです。すると向こうも根負けしたのか、いつの間にか車道がなくなっていた。どうせ無理だと最初から諦めずに、チャレンジしつづけていれば、意外と無理が通ることもあるんですよ(笑)」
中之島通りの歩行者空間化(公園化)は、他県の知事が視察に来るほど画期的な出来事だった。世の中の常識や既成概念を持ち前の人間力と忍耐力で打ち破ってしまうのが安藤だ。それは「うめきた再開発」においても発揮されている。
「第1期の再開発(グランフロント大阪)では、水に囲まれた広場やアーケードなど、余白のデザインに力が注がれました。続く第2期は緑の公園でいこうと。事業採算性を考えると無茶な提案でしたが、50年、100年先を見据えた都市づくりをしなければとみなで話し合いました。最終的に橋下さん(橋下徹・当時大阪府知事)、平松さん(平松邦夫・当時大阪市長)の賛同を得て、開発面積の半分を緑の公園とする方針が定まりました。ターミナル駅前という立地で、よくこれだけ思いきった決断ができたと、今さらながら驚かされます」

「大淀のアトリエ・アネックス」2階の応接室にて。大きな窓の外では、大樹に取りつけられた彫刻家・新宮晋(しんぐう・すすむ)のモビールが回っていた。壁を埋め尽くす本棚には蔵書や建築雑誌のバックナンバーが収まる。
「子どもたちに未来を生き抜く力を養ってほしい。その一つのきっかけになればと『本の森』をつくっています」

©SHIGEO OGAWA

こども本の森 中之島(大阪市北区 2019年)
(上2点)国内外から寄贈された絵本や児童文学書など1万8000冊を所蔵。空中に浮いたブリッジ通路、360°本棚に囲まれた読書室など、従来の図書館とは異なる驚きの空間。子どもたちは大階段に腰かけて読書に没頭する。
©SHIGEO OGAWA
建築で豊かさを取り戻す
4万5000㎡の広大な敷地に水辺があり、芝生の広場があり、野外アートが点在するグラングリーン大阪「うめきた公園」。そのノースパーク内に安藤が設計監修してつくられた文化施設「VS.」は、外壁全面が緑化されて、時間の経過とともに木々の緑の中に埋没するという。さらに2027年の全体開園の折には、滝や池を配した「うめきたの森」が完成予定だ。これが1日約85万人が利用するマンモス駅のすぐ目の前なのだから驚かされる。
「この公園もそうですが、私がプロジェクトで『ここにこそ!』と注力するのはたいてい機能のない、経済効果という意味では『無駄』な部分なんです。振り返れば私の最初期の作である『住吉の長屋』は、家の真ん中に中庭をつくり、トイレに行くのに外を通らなければならない。『不便すぎる』と散々批判されましたが、施主は50年たった今も住み続けていますよ。日本人は自然による美しい生活文化を育んできた民族でした。ところが現代社会は快適性や機能性、合理性を追求するあまり、この自然とともに生きる感性を鈍らせてしまった。晴れの日も雨の日もあるのが人生。私は建築でこの豊かさを取り戻し、生命ある建築をつくりたいんです」

VS.(ヴイエス)(大阪市北区 2024年)
ガラスとコンクリート、二つのキューブからなる文化施設。天井高15mのものを含めて3つのスタジオとホワイエがある。建物の半分は地下に埋まっており、地上部分の壁は緑化を進める。設計監理:日建設計
©KENICHI SUZUKI
大阪で生まれ育ち、建築家として街づくりにも関わってきた安藤の50余年の道のりをたどる展覧会が「VS.」で開催される。そのタイトルにある「青春」は近年、安藤が事あるごとに好んで使う言葉だ。
「青春に年齢は関係ありません。目標がある限り、その人は青春のただなかにいる。この青春の象徴である青リンゴのオブジェをのせた『こども本の森』は、大阪から遠野、神戸、熊本と各地に広がり、今後さらに松山、北海道からバングラデシュ、韓国、台湾と展開していく予定です。どこまでいけるかわかりませんが、建築費はすべて自分持ち。誰に頼まれたわけでもなく、ただ自分がやりたいからやっているだけ。ずっと自由を求めて生きてきた、それが私の『青春』です」

『安藤忠雄展︱青春』
安藤の半世紀に及ぶ挑戦の軌跡から現在の仕事までを一望する展覧会。天井高15mの空間に立体映像で代表作を再現する没入型展示が話題に。
会期:2025年3月20日(木・祝)~7月21日(月・祝)
会場:VS.(グラングリーン大阪)
大阪府大阪市北区大深町6の86
公式サイトはこちら
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