19世紀末から20世紀前半、スウェーデンで活躍した画家カール・ラーション。理想の家を築きながら暮らしそのものを芸術に変え、人々に自国の文化的アイデンティティとその意義を再認識させた。その家は今もスカンディナビアの理想的な住まいの象徴として愛されている。

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY MIKAEL OLSSON,TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: スンドボーン村にある画家カール・ラーションと妻カーリンの家には14の部屋がある。カーリンは、1909年に羊毛と漁網糸で編んだマクラメのタペストリー『The Rose of Love』(愛のバラ)を制作し、寝室の入り口に飾った。その上にある花の絵は、1894年のカーリンの「名前の日」(註:スウェーデンのカレンダーは日付の横に名前が記されており、誕生日のほかに名前の日を祝う習慣がある)を記念してカールが描いたもの。

スンドボーン村にある画家カール・ラーションと妻カーリンの家には14の部屋がある。カーリンは、1909年に羊毛と漁網糸で編んだマクラメのタペストリー『The Rose of Love』(愛のバラ)を制作し、寝室の入り口に飾った。その上にある花の絵は、1894年のカーリンの「名前の日」(註:スウェーデンのカレンダーは日付の横に名前が記されており、誕生日のほかに名前の日を祝う習慣がある)を記念してカールが描いたもの。

 スウェーデンの画家カール・ラーションと妻カーリンが、スンドボーン村(ストックホルムから約230㎞北)にあるログコテージを、カーリンの父親から譲り受けたのは1888年のこと。夫妻は人里離れた場所に佇むこの家を「リッラ・ヒュットネース」(註:岬の小さな精錬小屋の意味)と名づけ、30年にわたって増改築を重ねた。8 人の子どもたちのために14の部屋を装飾していくうちに、この家はメタアート・プロジェクト(註:アートの本質や構造を問う作品や表現で、制作過程や鑑賞体験などを題材にするもの)のようになり、家全体が壮大な芸術作品に変わった。カールはこの家で、アーツ・アンド・クラフツ運動(註:19世紀のイギリスで興った、手工芸の復興を目指す造形芸術の革新運動)の影響を受けた水彩画を100枚以上描いた。その題材は、ステンシルで飾ったオークル色、深紅、ブルーグリーンの壁に囲まれた部屋の、グスタヴィアン様式(註:仏ロココ様式と北欧の素朴さを融合したスウェーデン国王グスタフ3世時代の装飾様式)の椅子の上で丸くなったり、野草の中を駆け回ったりしている子どもたちだ。これらの絵を収めた作品集『Ett Hem』(わたしの家。1899年刊、8カ国語に翻訳)や『Das Haus in der Sonne』(太陽の中の家。1909年刊)が出版されると、北欧の田園地帯の素朴で心温まる雰囲気が世界を魅了した。これをきっかけに、スウェーデンの人々は、それまで見すごしてきた独自の伝統文化や、自然と調和するライフスタイルを再評価し、自国のアイデンティティとしてみなすようになった。

画像: 1912年、カールは「リッラ・ヒュットネース」で最後の増築作業を行い、緻密に彩色された1742年製の装飾品を室内に配した。この装飾品は近くの町の取り壊された家から運んできたものだという。

1912年、カールは「リッラ・ヒュットネース」で最後の増築作業を行い、緻密に彩色された1742年製の装飾品を室内に配した。この装飾品は近くの町の取り壊された家から運んできたものだという。

 時折カールと比較されることがある米国の画家ノーマン・ロックウェルは、時期的にカールより後になるものの、同じように田園生活を理想化して描いていた。だが両者のアプローチは本質的に異なる。マンハッタンで生まれ育ったロックウェルは『サタデー・イブニング・ポスト』誌の表紙用に超写実的な油絵を描く前に、まずアトリエでモデルたちを撮影した。カールの作品ももちろん精巧に上げられているが、彼が描いたのは自らの暮らしと、目の前で生き生きと動く人々の姿だった。

画像: 「リッラ・ヒュットネース」のカールの広々としたアトリエ。赤い長椅子の上の大きな作品は『The Riddle of Life』(生命の謎。1911年)。スカルや地球儀、骨壺が載った飾り棚の前に立つ地元の子どもふたりが描かれている。

「リッラ・ヒュットネース」のカールの広々としたアトリエ。赤い長椅子の上の大きな作品は『The Riddle of Life』(生命の謎。1911年)。スカルや地球儀、骨壺が載った飾り棚の前に立つ地元の子どもふたりが描かれている。

 カールは脳卒中のため、1919年に65歳で人生の幕を閉じた(カーリンはその9年後に亡くなった)。1940年代以降、「リッラ・ヒュットネース」は夫妻の300人を超える子孫から成る組織によって管理されている。建物の一部は現在も子孫たちが使用しているが、それ以外の場所は一般公開されている。夫妻は「リッラ・ヒュットネース」のそばに、大勢の子どもたちと訪問客のために別の2 軒の家も入手し、改装を重ねた。夫妻の独創的な美学へのトリビュートといえるこれらの家々は、フィンランドのテキスタイル・ブランド「マリメッコ」のデザインや、建築家ヨーゼフ・フランクのユニークなファブリックなど、北欧のインテリアに多大な影響を与えてきた。ロサンゼルスを拠点に活躍する作家でインテリア・デザイナーのデヴィッド・ネットは「ラーション邸の影響はいたるところで見られる」と言う。その例として挙げられるのが、ブルームズベリー・グループ(註:20世紀初頭にロンドンのブルームズベリー地区で活動したイギリス文化人のサークル)の思想と知の拠点だった「チャールストン・ハウス」。この家はイギリスの田園地帯にあり、暖炉や壁には風変わりなペイントが施されていた。また、イタリアの舞台芸術家で建築家のロレンツォ・モンジャルディーノが20世紀に手がけた、舞台セットのようにつくり込まれた華やかなインテリアもその一例といえるだろう。「ラーション夫妻の感性の源が、彼らがこよなく愛したフォークアートにあるのは確かだ。だがふたりは同時に、その素朴で純粋な何かをデザインやアートに昇華させたいという情熱も抱いていたにちがいない」

画像: 「リッラ・ヒュットネース」の2階、カールの寝室。室内窓からは、カーリンの作業場が見下ろせる。ベッドを囲うミニマリズム的なモチーフのカーテンは、カーリンの手作り。

「リッラ・ヒュットネース」の2階、カールの寝室。室内窓からは、カーリンの作業場が見下ろせる。ベッドを囲うミニマリズム的なモチーフのカーテンは、カーリンの手作り。

 今、ラーション邸を目にすると心和らぐノスタルジアを覚えるが、この家を改装した当時、夫妻の胸には革新を目指す強い意志が宿っていた。スカンディナビア上流階級が好んでいた、ドイツ・ルター派(註:ローマ教会の権威を否定し、聖書のみを信仰のよりどころにした)の理想を汲む、堅苦しく味けないスタイルにふたりは一石を投じたかったのだ。当時もてはやされていたインテリア、たとえば重厚なダークブラウンの木製アンティーク家具や、ネオルネサンス様式の過剰なデコレーションは、カールと親交の深かったスウェーデンの劇作家で小説家のアウグスト・ストリンドベリの作品内でも繰り返し批判されていた。夫妻は居住空間における因習的なヒエラルキーにもあらがった。急進的な政治主張を掲げたイギリスのテキスタイル・デザイナー、ウィリアム・モリスや、大量生産を批判し手工芸の価値とデザインの民主化を訴えたヴィクトリア朝の美術評論家、ジョン・ラスキンの影響を受け、彼らは「リッラ・ヒュットネース」(また、その後に改築したほかの邸宅)で、客をもてなす中央のサロンや壮大な玄関ホール、使用人向けの棟を意図的に排除した。一方で、広大なスペースと宝石箱のようないくつもの部屋に通じる狭い廊下には、ギャラリーのように、額装した絵を何枚も飾った。また当時のブルジョワたちの常識に反して、アンティーク家具の出どころや年代にはこだわらず好きなようにペイントし、色とりどりの天井や壁は(ひとつの部屋に複数のカラーが共存する)、だまし絵や反復描写した樹木や蔓、詩節で彩った。家のドアや、煙突の四つ葉模様の間には、ラファエロのプット(註:幼子の天使)を彷彿させる子どもたちの顔がうっすらと描かれている。こうした優美な雰囲気の中にシャープなアクセントをもたらしているのが、カーリンが取り入れたモダニズムの要素だ。彼女はカールと同様に絵画を学んでいたが(ふたりはパリ南部のグレ=シュル= ロワンにあったスカンディナビア芸術村で出会った)、成人してからは妊娠していることが多かったこともあり、当時の社会では家事手伝いの立場にとどまるほかなかった。カールの複数の作品には、自らデザインして縫い上げた、くるぶし丈のマタニティエプロンドレスを身につけたカーリンの姿が描かれている。室内には、カーリンが織り上げ、刺しゅうを施し、かぎ針で編んだファブリックが点在しているが、彼女のインテリアのセンスは、夫カールの独創的で奔放な作風とは対照的だった。ほかに目を引くのは、カーリンが地元の大工の手を借りて制作した、北欧のフォークロアスタイルとジャポニスム(日本の開国後に西洋で起きた、東洋の工芸品や美意識に触発された芸術運動)を融合した一連の家具だ。また、バウハウスや日本の浮世絵、ピエト・モンドリアンやテオ・ファン・ドゥースブルフが広めたオランダの「デ・ステイル」(註:1917年に抽象芸術を追求したオランダの芸術運動)調の幾何学デザインなど、さまざまな芸術運動の影響も随所に見られる。

画像: 「リッラ・ヒュットネース」のアトリエへとつながる廊下には、カーリンの絵画作品9点と、肖像画家アンデシュ・ソーンの銅版画数点が配されている。

「リッラ・ヒュットネース」のアトリエへとつながる廊下には、カーリンの絵画作品9点と、肖像画家アンデシュ・ソーンの銅版画数点が配されている。

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