ベイルートの片隅で生きる少年ゼインは、「僕を産んだ罪」で両親を訴える。救いのない現実とフィクションをオーバーラップさせ、絶望の中の希望と人々の生命力を美しくも力強く描ききったナディーン・ラバキー監督に、作品への思いを聞いた

BY REIKO KUBO

 レバノンの法廷、12歳のゼイン・アル=ハッジ少年が「僕を産んだ罪」で実の両親を訴える場面から始まる映画『存在のない子供たち』。シリア難民のゼイン少年(本名:ゼイン・アル=ラフィーア)をはじめ、キャストの大半が、中東やアフリカからの移民、難民や、レバノン人でありながら“第二級市民”として扱われる人々。ベイルートの片隅に追いやられる彼らの背景ごとキャスティングし、その生の心の叫びをフィルムに焼き付けた、昨年のカンヌ国際映画祭審査委員賞受賞作だ。この驚くべき映画を監督したのは、2007年に初監督作『キャラメル』を発表し、“世界で最もパワフルなアラブ人100”の女性トップに輝いた、レバノン出身のナディーン・ラバキー。今回、新作の公開に際し、2人の子供をともなって初来日を果たした。

画像: NADINE LABAKI(ナディーン・ラバキー) 1974年、内戦のさなか、レバノン、ベイルートで生まれる。大学でオーディオ・ビジュアル学の学位を取得。卒業後はCMやMTVを撮り始め、いくつかの賞を受賞。2005年、内戦下のヘアサロンを舞台にした初監督・主演の長編作『キャラメル』がカンヌ国際映画祭の監督週間にて上映され、ユース審査員賞を受賞。一躍、新しい才能と絶賛を浴びた。『チャップリンからの贈り物』(2014)など、女優としても活躍している PORTRAIT BY KEISUKE ASAKURA

NADINE LABAKI(ナディーン・ラバキー)
1974年、内戦のさなか、レバノン、ベイルートで生まれる。大学でオーディオ・ビジュアル学の学位を取得。卒業後はCMやMTVを撮り始め、いくつかの賞を受賞。2005年、内戦下のヘアサロンを舞台にした初監督・主演の長編作『キャラメル』がカンヌ国際映画祭の監督週間にて上映され、ユース審査員賞を受賞。一躍、新しい才能と絶賛を浴びた。『チャップリンからの贈り物』(2014)など、女優としても活躍している
PORTRAIT BY KEISUKE ASAKURA

「撮影当時、私の上の息子はゼインとほとんど背丈が一緒でした。現実のゼインは幼少期の栄養失調が原因で、本当なら12歳くらいのはずなのに、9歳くらいの身長しかなくて。12歳ぐらいと不確かなのは、彼には戸籍がなく、正確な生年月日がわらかないから。作中でゼインが身を寄せるエチオピア女性ラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)の赤ちゃん、ヨナス役のトレジャー(ボルワティフ・トレジャー・バンコレ)も、私の娘と同じ年でした。当時、私も授乳中だったからラヒルという登場人物に自分を見たのかというと、正直それはわからない。でも時に気づかないうちに、パズルのピースが自然に嵌ったりするものです」

 そのひとつの例が、ゼインと出会う3年前に路上で見かけた母子の姿。「真夜中の午前1時、物乞いをする母親の腕の中で、窮屈で眠れない様子の赤ちゃんの姿を見て強い怒りを感じたんです。それは、眠るという基本的人権すら剥奪されている姿でした。帰宅してすぐ、大人に向かって叫ぶ子供の絵を描いて、そこに気持ちをぶつけました。それは3年後、判事や弁護士ら、大人たちに向かって訴えを起こすゼインの姿に実を結びました。その情景は、あのとき描いた絵とまったく同じだったんです」

画像: ゼイン少年を演じたゼイン・アル=ラフィーアは、シリアから家族とともにベイルートに逃れ、学校にも行かず、10歳からスーパーマーケットの配達など、多くの仕事で家計を助けてきた。ラバキー監督は、類い稀なる彼のカリスマ性を「宝石」と呼ぶ © 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

ゼイン少年を演じたゼイン・アル=ラフィーアは、シリアから家族とともにベイルートに逃れ、学校にも行かず、10歳からスーパーマーケットの配達など、多くの仕事で家計を助けてきた。ラバキー監督は、類い稀なる彼のカリスマ性を「宝石」と呼ぶ
© 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

 この夜の怒りを原動力に、社会の片隅に放り出された人々の背景について、徹底的にリサーチを重ね、不当に扱われる子供たちを中心に描くこと決めたという。そして主人公となるゼイン、ラヒル、ヨナス、そしてゼインの両親や妹たちを“見つけた”。

「キャストのほとんどは読み書きができないから、台本を読み、台詞を憶えてとは言えません。苦しみや哀しみ、自分たちの経験から感情を掘り下げて、作品に差し出してもらわなければならない。欲しいのは演技とは違うリアリティでした。だから逆に私たちの方が、彼らのリズムやパーソナリティに合わせていくという、画期的な現場でした。普段、監督はキャストから離れ、モニターの側にいます。でも今回は、赤ちゃんの抱っこ紐にモニターとバッテリーを括りつけて、ゼインが駆け出したら、いつでも一緒に駆け出せるようにしていました。とても有機的な現場でした」

画像: モニターを赤ちゃんの抱っこ紐で背中に括り付けて撮影中のラバキー監督。ヨナスと同年代の娘のため、撮影の合間に帰宅して授乳する日々が続いたという。「睡眠時間がほとんど取れなかったとしても、撮影中はずっと、得体の知れない力がみなぎる素晴らしい体験だった」と語っている © 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

モニターを赤ちゃんの抱っこ紐で背中に括り付けて撮影中のラバキー監督。ヨナスと同年代の娘のため、撮影の合間に帰宅して授乳する日々が続いたという。「睡眠時間がほとんど取れなかったとしても、撮影中はずっと、得体の知れない力がみなぎる素晴らしい体験だった」と語っている
© 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

 学校にも行けず、働き通しの日々。唯一の希望だった幼い妹も家主のもとへ強制的に嫁がされ、ゼインは両親に絶望して家を飛び出す。彼は、幼子ヨナスを抱える移民女性ラヒルのバラックに身を寄せるが…。

画像: ゼインは、ラヒルが働きに出ている間、キュートなダンスを披露するヨナスの子守りを任されるが……。愛くるしいヨナス役トレジャーの父はナイジェリア移民、母はケニア移民。撮影中、両親は映画同様に逮捕され、トレジャーは母とケニアに、父はナイジェリアに退去させられた © 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

ゼインは、ラヒルが働きに出ている間、キュートなダンスを披露するヨナスの子守りを任されるが……。愛くるしいヨナス役トレジャーの父はナイジェリア移民、母はケニア移民。撮影中、両親は映画同様に逮捕され、トレジャーは母とケニアに、父はナイジェリアに退去させられた
© 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

 ゼイン少年の大きな瞳に宿る深い陰影。どうやって子供にこんな演技指導を!? と驚かされるが、それは内戦で子供時代を奪われ、過酷な日々を生き延びる中で染み付いた、ゼイン自身の真実の哀しみだった。愛する息子と引き離されるラヒルの流す涙も、またしかり。

画像: 路上での物売りや店の配達など、一日中働いて家計を支える子供たち。ゼインの心の拠り所は、最愛の妹サハルだった。厳しい環境の中でも懸命に生きようとする子供たちのパワーが一筋の光明を映し出す © 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

路上での物売りや店の配達など、一日中働いて家計を支える子供たち。ゼインの心の拠り所は、最愛の妹サハルだった。厳しい環境の中でも懸命に生きようとする子供たちのパワーが一筋の光明を映し出す
© 2018MoozFilms / © Fares Sokhon

「僕を産んだ罪」で両親を訴えたゼイン少年の物語は、ふたたびラストで法廷シーンに戻る。訴えられた両親たちの言い分も公平に掬いとるラバキー監督は、映画の中で誰をも裁かない。この混沌の背景には、一朝一夕には解決しない、長きにわたる負の連鎖があることを差し出してみせる。

「堪え難い状況に置かれた子供たちを見ると、以前は私もその親たちを責めていました。しかしリサーチを始めると、実はその親たちもかつて虐待され、若くして結婚させられたり、売られたり、レイプされたり。飢餓状態に置かれ、教育も受けられなかったり。戸籍があるないに関わらず、“見えざる存在”として生きることを経験した人が圧倒的に多かった。愛したくても愛せない。そんな絶望のサイクルを壊さなければ。何より良くないのは、他人の子供だからと見て見ぬふりをすること。親の責任だけでは済まされない。社会やコミュニティが教育を通して、大変な努力をして変えていかなければいけないと思います。多角的にタックルしていかなければ。そういう思いを感じとってもらえたらとても嬉しいです」

 辛い現実を映し出しながらも、美しき才能が全身全霊を込めて描いた『存在のない子供たち』。この作品からは、生きたいという生命力と大きなエモーションがほとばしる。圧倒される覚悟を!

『存在のない子供たち』
7月20日(土)より、シネスイッチ銀座ほかにて公開
公式サイト

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