いずれは訪れる死、映画『アイリッシュマン』で描いた女性像、Netflix時代の映画製作などマーティン・スコセッシ監督のロングインタビュー

BY DAVE ITZKOFF, PHOTOGRAPHS BY PHILIP MONTGOMERY, TRANSLATED BY IZUMI SAITO

 その後20年間にわたり、彼は犯罪ドラマのジャンルを扱うプロジェクトをおおかた避けてきた。(ついにアカデミー賞作品賞の受賞を果した『ディパーテッド』を除く)。しかし、扱う題材がどうであれ、プロジェクトの最終段階に近づくにつれ頻発する、製作期間の短縮を求める映画制作会社の幹部らとの衝突に、疲れ果ててしまうと彼は言う。
 中でもワーナー・ブラザース、ミラマックスなどと共同制作した『アビエイター』では、編集作業残りあとニ週間というところで、「ストレスのあまり仕事を離れることにしたんだ」と振り返る。「こんな風にしか映画を作れないというなら、もうこれ以上はできないって、言ってやったよ」

 もちろん、実際には辞めはしなかった。この件で映画製作会社と敵対関係になったと感じたスコセッシは、次第に自身のプロジェクトパートナーとして個人投資家と付き合うようになった。「まるで罠にはまった状態で、あらゆる方向から攻撃されるようなものだ。もはや共通言語で会話できていないことに気づいたら、もう映画を撮ることなんてできやしないさ」

 デ・ニーロが『アイリッシュマン』の企画を持ちかけてきた時、スコセッシは最終的には手を引くことになったパラマウント映画の別の候補作品に取り組み中だった。彼は必ずしも、これを彼の全作品、あるいは”マフィアもの”の集大成にするよい機会だとは思っていなかった。
「むしろ危険だと思った」と彼は言った。彼の作品リストに、また一本加わったマフィア映画として片付けられるのではと恐れていた。 スコセッシいわく、『アイリッシュマン』をやる理由があるとしたら、それは、これまで対峙したことのないようなアイデアで取り組めるかどうか、その一点だった。「それは内容の濃いものになるだろうか?」彼は自問した。「私たちは神や来世について知ろうとしているのか? いや、そうではない」

 すべての力を注いで作った映画は、「人が生きる過程や存在意義」について何かを伝えることができると彼は考えた。「作品の中で役者が“生きる”ことで、それを描くことができる」と。そして、長い人生そのものが、自身の悪行を魂に焼きつける呪いとなる、そんな犯罪者たちの物語に、彼自身抗うことができなかったのだ。スコセッシはブルース・スプリングスティーンの曲『ジャングルランド』の歌詞を引用してこう語った。「『怪我をするだけさ、死ぬこともない』、ある意味でそれは、最悪なことだろうけど」

画像: スコセッシは現在、レオナルド・ディカプリオと共に次作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』に取り組んでいる

スコセッシは現在、レオナルド・ディカプリオと共に次作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』に取り組んでいる

『アイリッシュマン』は、これまで彼が撮ってきた犯罪ドラマを否定するものでもないし、横暴な登場人物たちを描いてきたことへの後悔の念を表したものでもないと言う。「後悔だとは思っていない。それとは違うんだ。そう、行き止まりにたどり着いたら、誰もが最期を考えるしかない。もしその時間を与えられたならね。そしてそれこそが、われわれが描こうとしたものだ」

『アイリッシュマン』を作りあげるのに10年以上を費やし、キャストにハーヴェイ・カイテル、ジョー・ペシ、アル・パチーノ(これがスコセッシ作品への初出演)の参加が決まると、スコセッシは、この勝負がどんどん大きくなってきてしまったと感じた。

 その影響からくる不安は、共同製作者で『アイリッシュマン』の脚本家スティーヴン・ザイリアンもまた明白に感じ取っており、彼は脚本が他のスコセッシ作品と似ないように細心の注意を払った。
「スコセッシのこれまでの映画をすべて頭の中から追い払って、過去の作品を連想させないまったく新しいシーンを書くのは簡単なことじゃない。――あぁ、それはすでに『グッドフェローズ』でやった、これは『カジノ』でやった、と言われてしまうんだから」
 しかし、こうしたプレッシャーがまた、これまでにない試みにつながった。『アイリッシュマン』の中で、さまざまな犯罪者がどのような最期を遂げたかを、キャプションを使って表現したのもそのひとつだ。

 アル・パチーノはスコセッシとの撮影は初めてだったが、監督と簡単に意思疎通する方法を編み出し、その独自のやり方で臆する事なく自分の考えを伝えることができたと言う。あるテイクを撮り終えた後の出来事を、パチーノはこう回想する。
「撮影シーンをモニターを見ていたマーティ(スコセッシ)は、テントから頭を突き出して、私に『この野郎、何てことをしやがるんだ?』って言ったんだ。実際にそんな言葉を使ったわけじゃないが、そんな感じに聞こえた。彼がなにを言いたいのか、よくわかったよ」

 アル・パチーノは笑って、自分の演技を認めてくれた監督からのそんな”サイン”を嬉しく思ったと付け加えた。「役者はそういうものなんだ」と言う。「自分をきちんと見てくれる、自分の演技を評価してくれるのはうれしいだろう。それは言うならば、自分たちはここに独りでいるわけじゃない、ということなんだよ」

 ロバート・デ・ニーロは、『ミーン・ストリート』(1973年)以来、9本のスコセッシ作品に出演してきた。実験的、即興的な試みを辞さない監督の姿勢は、数十年間にわたる長いつきあいを通して、一貫して変わらないものだと言う。
「何かが彼の想定する範疇を超えていたとして、それが余りにも的外れだったら、彼はノーと言うだろうが、それすら『OK、やってみよう』と言うことがある。まあ彼は、いつでもそれをやめることができるからね。おかげで彼の現場では、何かとトライできる自由があるし、皆が気持ちよく仕事できるんだ」。『アイリッシュマン』ではプロデューサーを務めるデ・ニーロはそう語った。

 しかし、デ・ニーロはこう続ける。彼がスコセッシと共に映画を製作する際は、ある種の宿命を共有していると――彼らの作品が賞賛されたあとは、すぐにそれを否定する一斉射撃が始まるのだ。世界中で高く評価された『アイリッシュマン』の場合でも。
「いつも身構えているよ。悪いニュースはないか? 間違ったことはなかったか? 何が起きているか? 次は何が起こるか? そしてこう言うんだ。評価されたことはすばらしいけど、興奮しすぎないように、ってね」

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