いずれは訪れる死、映画『アイリッシュマン』で描いた女性像、Netflix時代の映画製作などマーティン・スコセッシ監督のロングインタビュー

BY DAVE ITZKOFF, PHOTOGRAPHS BY PHILIP MONTGOMERY, TRANSLATED BY IZUMI SAITO

 マーティン・スコセッシの最新作にして、ギャング映画の最高傑作と称される『アイリッシュマン』。その公開記念レセプションパーティーで、スコセッシは未だかつてない気力と映画製作への新たな情熱に満ち溢れていた。

 そんな彼が今語りたいこと、それは死についてだ。
 誤解のないように言うと、それは彼の映画のワンシーンや他の誰かの死についてではない。「身も心もゆだねる、それだけだよ。もうこの先の人生が見える歳になったらね」。2019年12月のある土曜日の午後、彼はそう語った。

 77歳になるスコセッシ監督は、マンハッタンにあるマンションのリビングルームにある座り慣れた椅子で手足を伸ばし、気まぐれに何度も立ったり座ったりしながら、死とその不可避性について熱心に語り続けている。
「もう、ゆだねるだけだ」そう語ったように、映画『アイリッシュマン』への期待も、スコセッシにとっては、すでにどうでもよくなっていた。だが彼は同時に、物質的な所有をも放棄しようとしている。「要するに、すべてを手放すということだ」、スコセッシならではの早口で言う。「誰が何を手に入れ、そして手に入れられなかったのか。それはいずれわかることだ」。そして最終的には、誰もが存在そのものを手放さざるを得ないのだと。
「たいてい、死は突然訪れる」と彼は続けた。「幸運にも仕事を続けていられるのなら、伝えるべき何かを見つけるべきだろう」

画像: スコセッシが『アイリッシュマン』をNetflixで製作することに同意したのは、「(Netflixオリジナル作品としてストリーミング配信された後に)いつかは回顧作品として、劇場で上映されるかもしれない」という理由からだ。「それは十分にあり得ると思う」と彼は語る

スコセッシが『アイリッシュマン』をNetflixで製作することに同意したのは、「(Netflixオリジナル作品としてストリーミング配信された後に)いつかは回顧作品として、劇場で上映されるかもしれない」という理由からだ。「それは十分にあり得ると思う」と彼は語る

 全米トラック運転手組合委員長のジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の殺害を告白した、殺し屋フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)の人生を壮大なスケールでドラマ化した『アイリッシュマン』で、彼はそのインスピレーションを得た。
 スコセッシにとって『アイリッシュマン』は――これまでの映画もそうだったように――決して不安のない仕事ではなかった。すでに描いてきた組織犯罪の世界を舞台に、まったく新しい映画を作るというアイデアに頭を悩ませていたし、昔ながらの映画制作会社ではなく、Netflixとプロジェクトを進めることへの躊躇もあった。

 しかし、いろいろと確信が持てない状況で彼を踏みとどまらせたのは、映画『グッドフェローズ』や『カジノ』で描いたてきたことをはるかに上回るストーリーだ。自分のこれまでの行いを振り返りながら、一人残され、年老いていくシーランの人生の物語は、『アイリッシュマン』という作品の枠を超えて人々の心に響くということが、スコセッシにはわかっていたのだ。
「つまり、いかに死と向き合うかという話なんだ。人生の終幕にどのように振る舞うのか、というね」と彼は言った。

 スコセッシがコミック原作の映画への率直な意見や、自身の映画における女性たちの描き方、または昨今の映画業界で感じる所在なさについて歯に衣を着せずに語る時、彼には失うものなど何もないように見えるだろう。
 しかし、スコセッシは半世紀以上も費やしてきた自身の仕事に、今も人生を深く注ぎ込んでいる。『アイリッシュマン』をキャリアの美しい幕引きとすることはたやすいが、彼はここで終わりにするつもりはなかった。

画像: 『アイリッシュマン』最終予告編 youtu.be

『アイリッシュマン』最終予告編

youtu.be

 いま彼を突き動かすのは、死への恐れではなく、むしろ死が誰にでも訪れるものであることを受け入れることだと言う。それが自身に見通す力を与えてくれるのだと。「私の映画のセリフにもあるだろう『変わらないものは、変わらない』。それを受け入れなければならないんだよ」

 

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