いずれは訪れる死、映画『アイリッシュマン』で描いた女性像、Netflix時代の映画製作などマーティン・スコセッシ監督のロングインタビュー

BY DAVE ITZKOFF, PHOTOGRAPHS BY PHILIP MONTGOMERY, TRANSLATED BY IZUMI SAITO

 彼自身がそうであるように、スコセッシの自宅も映画製作の記念館そのものだ。暖炉の上に厳かに飾られた、妻ヘレンの祖先でもある建国の父、ガバヌーア・モリスの肖像画を除いて、最も目を引く装飾は、彼が愛するジャン・コクトーとジャン・ルノワールの作品の巨大なポスターで、『大いなる幻影』はこの部屋だけで3枚ある。廊下の反対側にあるダイニングルームでは、『アイリッシュマン』、『沈黙 -サイレンス-』、そして『ウルフ・オブ・ウォールストリート』の一部が編集された。

 そこで彼は映画に関する思い出を振り返りながら、当時はコマーシャルに細切れにされながらテレビ放送された『市民ケーン』に夢中になった話や、彼の英雄的存在で師とも仰ぐジョン・カサベテスが、中年の危機をむかえた男たちのコメディ映画『ハズバンズ』を作るためにコロンビア・ピクチャーズから100万ドルという破格な予算を獲得したエピソードに感服した話などを披露してくれた。

画像: 監督は自分が去った後に誰に何が残るだろうかと思いを巡らせたことがあるという。「身をゆだねる、それだけだよ。もう人生先が見えるこの歳になったらね」

監督は自分が去った後に誰に何が残るだろうかと思いを巡らせたことがあるという。「身をゆだねる、それだけだよ。もう人生先が見えるこの歳になったらね」

 熱烈な映画ファンだからといって、素晴らしい映画製作者になれる保証はない。しかし、スコセッシ監督の5作品で主演を務めたレオナルド・ディカプリオによれば、スコセッシの映画に対する思い入れのせいで、役者たちが何を求められているのかを見失う、ということは決してないと言う。
「彼は、あらゆる芸術的な表現の歴史を可能な限り学び、そのすべてを自身の映画製作のプロセスに取り入れたんだ」とディカプリオは語る。「監督はいつも、役者自身から得るもの、一対一で対峙することのダイナミズムを大事にしていた。筋書きは二の次なんだ。彼の目的は、共に映画を作る役者を通じて物語の核心を見つけだすことなんだ」

 映画に関する思い出と同様に、スコセッシの子ども時代の記憶は鮮明だ。ニューヨークのリトル・イタリーで育ち、両親とカトリックの司祭、そして彼の映画『ミーン・ストリート』に出てくるような地元のチンピラたちが彼の人格形成に影響を与えた。彼の過去の映画が、犯罪者や彼らの暴力を美化する傾向にあることをスコセッシは認める。「だって、実際のところそうだろう? 若く愚かなうちは、暴力は魅力的に見えるものだ。多くの人がそうだし、私もその一人だった」

 少年時代には死が身近なものになった。セント・パトリック大聖堂での鎮魂ミサで侍者を務め(「聖歌『Dies Irae(怒りの日)』がお気に入りだった」と彼は言う)、葬儀に献花を届ける友人の仕事を手伝った。10代には、ひとりは癌、もうひとりは事故で、ふたりの友人を続けて失った。工場近くの墓地で行われた埋葬のひとつが、今でも彼に消えることのない強い印象を残しているという。
「『一体どうなってしまうんだ?』そう言ったんだ」スコセッシは当時を回想する。「この醜悪で破壊的な風景の中の、クイーンズのどこかちっぽけな一画に、私たちはねじ込むようにして埋められてしまうのか? そのショックで私は目が覚めた――何に目覚めたのかはわからなかったが、それはひとつの変化だった」

 スコセッシは、死を連想させるディテールへの審美眼と、それらを描写するためのゆるぎない意欲でも知られてきたが、ラスベガスを舞台にしたマフィア映画『カジノ』(1995年)制作の頃になると―― 特にジョー・ペシ演じる登場人物が無惨に殴られ、トウモロコシ畑に生き埋めにされたシーンーーこの暴力描写は限界までやり抜いたのではないかと思い始めたという。
「もうこれ以上は無理だって言ったんだ」と語ってくれた。

 

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