障害のある俳優たちが、ブロードウェイの演劇やハリウッド映画、そして評判の高いテレビ番組にキャスティングされるケースが増えつつある。彼らは、アーティストであると同時にアクティビストとして活躍する新しい土台を創造してきた。エンターテインメント産業とその観客たちがもつ常識に異議申し立てをし、「インクルージョン」という言葉が、真に何を意味するのかを問い直すために

BY MARK HARRIS, PHOTOGRAPH BY STEFAN RUIZ, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 アリ・ストローカーは、リンカーン・センターのアペル・ルームの舞台裏のスロープを一気に上がり、マイクをつかんだ。彼女の前には満員の観客、後ろにはセントラル・パーク・サウス地区の夜景がガラス越しに輝いている。そして彼女は歌い出す。1時間ほどの彼女のコンサートは、アメリカン・ソングブック(20世紀初頭の最も重要で影響力のある米国のポップスやジャズの楽曲の総称)の曲が中心で、彼女のスケールの大きな、伸びやかな歌声によって20曲以上が披露された。その中にはスティーブン・ソンドハイム作の「Everybody Says Don’t」から「Never Never Land」、さらにドリー・パートンのヒット曲「Here You Come Again」もあった。そして、ロジャース&ハマースタイン作のミュージカル『オクラホマ!』の劇中歌「I Can’t Say No」を、この舞台に出演した彼女は、完璧に自分のものとして歌いこなした。

画像: (左から)俳優のマディソン・フェリス、ローレン・リドロフ、アリ・ストローカー、グレッグ・モズガラ、アレクサンドリア・ウェイルズ。ニューヨーク市内にて、2020年 6月26日にステファン・ルイズが撮影

(左から)俳優のマディソン・フェリス、ローレン・リドロフ、アリ・ストローカー、グレッグ・モズガラ、アレクサンドリア・ウェイルズ。ニューヨーク市内にて、2020年 6月26日にステファン・ルイズが撮影

 車椅子を使用するストローカーは、ブロードウェイで再演された『オクラホマ!』でアド・アニーを演じ、一躍話題になった。観客は彼女の音域の広さだけでなく、彼女の内側からあふれてくるエネルギーに驚き、魅了された。その衝撃は、彼女が登場して役を演じ始めた瞬間から巻き起こった。ミュージカルの舞台上の出演者たちの中で、障害者である役者が、最も自信をもって演じているという光景は、史上初めてだった。私たちがストローカーの演技を見て、その声を聴くとき、エンターテインメントのほとんどが、障害のある人がもつエネルギー、セクシュアリティ、情熱、過剰すぎるぐらいの自信というものを、これまでいかに徹底的に我々に気づかせないようにしてきたかを痛感せざるを得ない。彼女のパフォーマンスは、ハードルを乗り越えてつかんだ栄光ではない。シンプルに、栄光そのものだ。そして同時に、教育でもある。今後上演される予定のインディ版ミュージカル『Best Summer Ever(原題)』でシャノン・デヴィードが演じる主演の役や、ウェイが『ラミー』で演じた皮肉たっぷりの意地悪さは、演者は教師のようにふるまわなくていいのだ、という教育だ。つまり、俳優たちはただリアルに演じるだけでよく、それを理解するのはあくまで観る側の仕事であるということだ。演じる側は説明する役割を負わなくていいのだ。

 昨年、ストローカーはその演技でトニー賞を受賞した。多くの障害者の演劇ファンたちにとって、それは目が覚めるような興奮の瞬間だった。彼女独自の伝え方を、それ以上でもなく、それ以下でもなく、ありのままの形で受け入れた劇で、彼女が全身全霊で演じたことを讃える大きな栄誉だ。だが、この賞の授賞式での皮肉な場面を指摘する者もいる。会場のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでストローカーがノミネートされている部門の発表が近づき、彼女の受賞が決まるかというとき、彼女は観客席ではなく、舞台裏で待っていなくてはならなかった。オーケストラ側から上がれるスロープがなかったからだ。ほんの少しだけうんざりした表情を浮かべながら、33歳のストローカーは、事実はそれとはちょっと違うと言った。

 彼女が言うには、オーケストラの脇から舞台まで、どうやってスロープを作るかを何時間も話し合ったが、どうやっても客席を何列か削る方法しかなかったのだという。「みんな何らかのアクセスを提供したいと思っていたと思う。そして理想的な世界では、そうあるべきだったと思う」と彼女は言う。「問題が起きると、創造的な解決方法を探すという機会が与えられるし、私は、自分が裏切られたと感じるよりも、自分のエネルギーをそういう方向に向けたい」。ストローカーは、自らの意見をはっきり主張する存在であり、女優であり、テレビの生中継で歌い、彼女が活躍する分野で最高の賞を勝ち取った夜について愚痴を言うのは、彼女の流儀に反するのだ。だが、彼女は、障害を抱えた俳優たちの間でも意見の相違があるということを理解している。

 ある一定の主張をもったコミュニティのほとんどが同様に「我々は改善の方向に向かっている」という意見と「なぜそんなに改革に時間がかかるんだ?」という意見に分かれている(意見の相違はあらゆる局面に及ぶ。『障害』という言葉の定義に関してすら、だ)。だが、趣味趣向や、個人の背景や政治やイデオロギーの違いなどが原因で起きる亀裂ほど、障害者の俳優たちの仲間内の相反は大きくはない。

 クリストファー・シンは、平等を達成するには「何十年」という月日が必要だろうと語る。これまで一体どんなマイノリティの集団が、平等を達成しただろうかと考えると、何十年という言葉は過酷に響く。ストローカーはもっと楽観的だ。彼女は今後の自分のキャリアを「映画やテレビや演劇で、これまで描かれてこなかった人々の素顔を語る」ことができる道だと信じている。だが、次の突破口は何であるべきか、という点においては、総意があるわけではない。障害とは無関係の配役に、障害のある俳優がもっとキャスティングされることだろうか? それとも障害者の人生をより深く多面的に描いた物語が増えることか?そんな物語を作るのを助ける、障害のあるプロデューサーや、監督や、脚本家やエグゼクティブ・プロデューサーが増えることだろうか?

 多分それらすべてと、さらに、個々の障害はそれぞれすべて違っていて、同じものではない、という認識が必要だろう。2018年には非営利団体のナショナル・ディスアビリティ・シアター(NDT)が創設され、その諮問委員には、身体的障害から発達障害までさまざまな障害のある演者たちが名を連ねた。NDTは米国内のいくつかの地域の劇場と共同でプロダクションを立ち上げる予定で、「障害文化の視点から見た」物語を伝える劇の製作をすでに発注している。シンが現在書いている作品もそのプロジェクトのひとつだ。主役がどんな障害があるかは、台本にはまだ書いていないが、その役は非常に多弁という設定なので、恐らく知的障害ではなく、身体障害の役になるだろう、と彼は認めている。

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