BY ASAKO KANNO
「奈良にうまいものなし」。そんな言葉が広がったのは、文豪、志賀直哉の随筆『奈良』に記された、こんな一説からだとも言われます。「食ひものはうまい物のない所だ」
奈良に通い始めてはや1年。奈良のお気に入りアドレスも増えてきた今、胸をはって言わせてほしい。「私は奈良で美味しいものしか食べたことがありません!」と。それに、『ミシュランガイド奈良』が書籍化されているくらいですから、志賀直哉大先生も現状を見たら驚くのではないでしょうか。
そこで、奈良の食にまつわる誤解を解くべく、私のお気に入りアドレスをいくつかご紹介させていただけたらと思います。
「アートカフェ うつぎ」で味わう至福のお茶とお菓子
まずは、ぜひ立ち寄ってほしい「アートカフェ うつぎ」。煎茶道美風流の本部ビル1階に位置するこのカフェは、お家元のお嬢様である茅さん、華穂さん姉妹が営んでいます。「本当に美味しい煎茶ってどんな味?」そんな好奇心を満たしてくれる唯一無二の場がここにあります。
茶葉は、奈良県産が中心。大和高原に位置する柳生(やぎゅう)の上煎茶、国見山の釜炒り茶、田原の焙じ茶、そして吉野・大淀の露地煎茶など、なかなか市場には流通しない、希少で豊かな味わいのお茶ばかりです。
美風流に入門するまでは奈良が日本有数のお茶の産地だと知りませんでした。「アートカフェ うつぎ」は、茶葉の育つ土壌や気候、栽培方法、そして淹れ方によってこんなにも味や香りが変わるのだというお茶の魅力に気づかせてくれます。
また、自分で好きな茶器を選んでお茶を淹れられるのも楽しい。さらに興味のある方は簡易的なお点前も体験できます。そして何より、姉妹の美しい奈良言葉と立ち居振る舞いを見ていると、美味しいお茶を淹れるための秘訣がわかる気がしてくるのです。
「古白」と「七福食堂」で堪能する、奈良の奥深い魅力と味わい
連載「わ」と「よ」で、仲間たちと奈良を訪れたお話をしました。その時、大好評だったのが次の2軒です。
「古白」は、オーナーの境さんが手がける旅宿。奥座敷で「すき焼き」がいただけます。かつて奈良市内に「日吉館(ひよしかん)」という名物旅館があったそうです。美術や歴史を学ぶ学生や文化人が多く宿泊し、まるでサロンのような賑わいだったとか。その「日吉館」の大人気メニューが「すき焼き」。境さんの「古白も、夜はすき焼きを囲みながら、古に思いを馳せることができる場所になれれば」という思いから、宿泊客でなくても予約可能な「すき焼き」をメニューに加えたのだといいます。
境さんは、中学の修学旅行で仏像の魅力に開眼し、大学で仏教美術史を学ぶために埼玉県から奈良に移住。今にいたるといいます。“奈良や仏像の魅力”を伝えたいという思いからオープンした「古白」では、定期的に仏像講座も開催しています。また、2022年には「古白」から徒歩20秒の場所に「七福食堂」をオープン。こちらでも丁寧に作られた定食やパルフェ、コーヒーがいただけます。「パルフェのように、多くの人が好むスイーツを入り口に、奈良や仏像の魅力に気づくきっかけを作れたら」と語る境さん。境さんのまわりに漂う静かで穏やかな空気が、ゆったり流れる奈良の空気感と重なりあう癒しスポットです。
「中華へいぞう」で、新鮮な魚介を多彩なスタイルで楽しむ
もうひとつは、「中華へいぞう」。夫婦で営む創作中華屋さんです。この店の魅力は魚介メニューが豊富でとっても新鮮なこと。それもそのはず、シェフが北九州出身で、同級生が漁師さんなのだとか。同級生から直送される魚介からはじまった人気メニューの数々。今では全国にこだわりの仕入れルートを広げ、天候に左右されず、安定して鮮度の高い魚介を仕入れられるのだそうです。
まるでビストロ中華のような雰囲気なので、一人ふらり入って餃子にビールなんかも最高ですし、仲間と2階の個室の座敷席で、じゃんじゃん美味しいものをオーダーするのも楽しい。「おまかせMIXカルパッチョ」、辛さが選べる「麻婆豆腐」、「汁なし坦々麺」など正統派からモダン中華まで、枠にはまらない多彩なメニューに大満足。職人気質のシェフと、明るい奥様との好バランスも居心地がよいお店です。
「OCU(オク)」で楽しむ、薪火料理とナチュールワイン
最近発見した一押しは、今年5月1日にオープンしたばかりのイタリア料理屋さん「OCU(オク)」。薪火料理とナチュールワインが楽しめます。名前の由来は、一見通り過ぎてしまいそうなビルの奥に位置しているから。ここは、照山シェフの奥様の、ひいおばあちゃんの家だったといいます。当時の面影を残しつつモダンにリノベーションされた店内は、吹き抜けのキッチンに設置されたシェフこだわりの大きな窯が目を引きます。カウンター席ではシェフの鮮やかな“窯さばき”?を眺めるのも楽しい時間。
ランチ、ディナーともにコース料理。ランチには窯焼きのピザを、夜は、薪が燃え尽きて赤くなった状態の“熾火(おきび)”でゆっくり焼いた大和牛をメインに楽しめます。イタリアのフィレンツェやキャンティ地方で修行をつんだシェフは、そこで暖炉を使った薪火料理に出会ったといいます。その後、窯による薪火料理がナポリにあることを知り魅了されたのだとか。薪窯料理は、食材に360度の方向から熱が入ることから、暖炉、ガスや電気による料理とは、また違った味わいが引き出せるといいます。もともとは茨城出身だというシェフですが、イタリアと奈良が好きという点で、私も大きく共感。勝手に親近感が湧いてしまいます。シェフのお料理は、まさにシェフのお人柄そのもの。おだやかで優しいのに、しっかり芯のある味。心があたたかくなるお料理です。
さて、志賀直哉の随筆『奈良』のお話に戻りましょう。「食ひものはうまい物のない所だ」。実はこのあとに、続く文章があったのです。“奈良の美味いもの”として「牛肉」「蕨粉の和菓子」「豆腐」があがります。そして他のページにはこんな一節も。「二三日すると、矢も盾も堪(たま)らず、奈良に帰りたくなるのは不思議な所」と。辛口な言葉の裏に潜む、深い奈良愛が伝わってきます。わかります、文豪・志賀直哉さま。令和の奈良は「大和茶」「すき焼き」「中華」、そして「イタリアン」も絶品ですよ!
菅野麻子 ファッション・ディレクター
20代のほとんどをイタリアとイギリスで過ごす。帰国後、数誌のファッション誌でディレクターを務めたのち、独立し、現在はモード誌、カタログなどで活躍。「イタリアを第2の故郷のように思っていましたが、その後インドに夢中になり、南インドに家を借りるまでに。インドも第3の故郷となりました。今は奈良への通い路が大変楽しく、第4の故郷となりそうです」