ロエベと自身の名を冠したブランド、「JW ANDERSON」の両方でクリエイティブ ディレクターを務める、 デザイナーのジョナサン・アンダーソン。彼はヨーロッパ・ファッションの老舗を、生き生きとしたリアルなものに変身させた立役者だ

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY KRISTIN-LEE MOOLMAN, STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY HARU HODAKA

画像: 英国人アーティスト、 ユエン・ヘンダーソン作の茶器の数々。ジョナサン・アンダーソンのロンドンのタウンハウスで撮影

英国人アーティスト、 ユエン・ヘンダーソン作の茶器の数々。ジョナサン・アンダーソンのロンドンのタウンハウスで撮影

 アンダーソンは北アイルランドのアルスターにある人口8,800人の町マラフェルトで育った。母は教師、父はプロのラグビー選手で、引退後にアイルランド代表チームのコーチを務めた。小学生の頃、彼は重度のディスレクシア(文字の読み書きに限定した困難さをもつ疾患)と診断された。ワシントンDCのスタジオ・シアターで俳優になる勉強をしていた18歳のときにそれを自ら公表するまでに、彼の人生はディスレクシアによってすでに多大な影響を受けてきた。今でも彼は、電子メールで簡単なメッセージすら書くのを避ける。だが彼は、視覚化したり、文脈に落とし込んだり、変換して意味を伝えなければならなかったことが、未来と現在の両方を同時に生きる能力を強化したと信じている。そしてこの能力こそが、年に18ものまったく違ったコレクションを生み出すのに必要な技術につながっている。自分のブランド用に6つ、ロエベのために10、ユニクロとの現在進行形のコラボレーション用に2つのコレクションを手がけるという具合だ。

「制約があるということは、実はものすごく自由なことなんだ」と彼は言う。それはロンドンの博物館を突然訪問する前日、パリのサンシュルピス教会を見渡せる場所にあるロエベのデザイン・スタジオの中の、彼の広いオフィスでの発言だった。彼は二つの都市の間を一週間ごとに行ったり来たりしている(彼のボーイフレンドはパリのファッション業界で働いている)。ロエベのマドリード本社には月に2回訪れる。大きならせん階段の頂上にある彼のオフィスは、過剰と余剰の間を行ったり来たりしている彼の象徴だ。巨大なデスクは、まるでまな板のようにきれいで、フレームのない木製のクロゼットが壁のように屹立する手前に鎮座している。反対側の壁には空中に浮かぶように壁に備えつけられた長い棚に、19世紀初頭から20世紀にかけてフランスで制作された、陶器のマッシュルームのオブジェが27個以上飾られている。それはすべて彼がオークションで購入したものだ。「僕は時々、モノが捨てられないため込み症候群にとりつかれてしまう」と彼は言う。「そして、突然それが嫌になって、“自分は何をやってるんだ”と思うんだ」

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