BY NORIO TAKAGI
腕時計は、時を知るための機械であると同時に、装飾品でもある。ゆえに高級時計は、伝統的な手仕上げを行き渡らせた優れた審美性で、装飾品としての価値を高めてきた。数多あるスイスの高級時計メゾンの中にあって、「パテック フィリップ」の仕上げの美しさは群を抜く。6月25日まで東京・新宿の三角公園で開催されている、パテック フィリップの過去と現代とが500点近い展示品で体感できる展覧会に冠された名は、「ウォッチアート・グランド・エキシビション」。世界最高水準の品質保証基準を、必ず満たす──そんな高いハードルを自らに課すパテック フィリップは、アート作品のごとき時計を製作してきたことを自負しているのである。
実際にパテック フィリップの工房を訪ねると、ムーブメント用パーツの仕上げ部門に携わる職人の多さに驚く。彼らは時に顕微鏡を覗きながら、微細な歯車の歯を面取りし、歯と歯の間まで入念に磨き上げている。こうすることでパーツ間の摩擦を軽減して、摩耗を極力解消し、100年以上先まで受け継ぐことができる美しいムーブメントが生まれる。入念な手仕上げは、むろんケースやダイヤル、針、インデックスといった外装すべてにも行き渡り、ヘアラインは極めて繊細に、ポリッシュは完璧な鏡面状に仕上げられている。そして2009年、ティアリー・スターン氏がCEOに就任すると、ムーブメントと外装の美的外観、機能、正確さすべてにおいて高品質であることを自ら保証する「パテック フィリップ・シール」を制定した。
エキシビションの開催に伴い来日した本社PRディレクターのジャスミナ・スティール氏によれば、「パテック フィリップ・シールの品質基準は、仕上げだけでも極めて詳細に定められています。その多くはジュネーブスタイルの伝統に則っていますが、本当に意味のある仕上げだけを厳選しました。例えばポリッシュ仕上げを徹底するのは、摩擦の軽減や美観のために加え、表面積を減らして酸化を防ぐためでもあります」
パテック フィリップ・シールの制定以降、特にダイヤルや針、植字インデックスの美観はさらに高まったように感じる。それが如実に感じられたのは、2015年に誕生した「パイロット トラベルタイム 5524」の内側に畜光塗料を留めるためにフレーム状に形作られたアラビア数字の植字インデックスを見た時だった。
「スターンCEOは、今までメゾンになかったパイロットウォッチを新たに創作するにあたり、特に植字インデックスのポリッシュ仕上げにこだわり、側面まで徹底的に磨き上げることを要求しました」(ジャスミナ・スティール氏)
すべての新製品の美の方向性は、CEO就任以前の1998年からチーフクリエイターを務めていたティアリー・スターン氏が今も決めている。彼は、元来はラフでミリタリーなパイロットウォッチに入念な手仕上げによる煌めきを与えることで、ラグジュアリーに昇華させてみせたのだ。
2022年に惜しまれながらカタログから姿を消したSS製3針の「ノーチラス 5711/1A」のラストモデルに与えられたグリーンダイヤルは、時計を傾けるとブルーやグレーに色調が変わる様子が実に美しかった。
「ノーチラスを象徴する立体的な横ストライプ模様の上に、中心から放射状にブラシ掛けをするサンレイ仕上げを施すことで光の乱反射を生じさせ、角度による色調の変化を生み出しました」(ジャスミナ・スティール氏)
凹凸模様の上から、肉眼ではすぐには認識できないほどの繊細なサンレイ仕上げを施せたのは、優れた職人技術の賜物である。
またパテック フィリップは、エナメルや彫金、ギョーシェといった伝統的な工芸技術を自社の工房内で受け継いでいる。ダイヤルに連続する立体的な凹凸模様を与え、光の反射を抑えるギョーシェは、他社の多くがスタンピグとしているが、パテック フィリップは、専用の手動旋盤による手彫りにこだわる。
「ダイヤル工房には8台のギョーシェ旋盤がありますが、いずれも19世紀に作られたものです。それらを大切にメンテナンスしながら手彫りギョーシェの伝統を受け継いできました」と教えてくれたのは、レアハンドクラフト部門の責任者イザベラ・ヴェイヤー氏。他社のようにスタンピングに切り替えないのは、メゾンが求める明確な模様は、手彫りによるシャープなエッジでしか織り成せないからだ。一方で、昨年誕生した「カラトラバ 5226」のはケース側面のギョーシェ装飾は、コンピュータと連動して高度に自動化された工作機械で施している。
「パテック フィリップは伝統的な技法に固執せず、求める品質が得られるなら新しい技術の導入を厭いません。しかし手作業に代われるほどの高品質が得られる新技術は、なかなか生まれないのが現状です」(ジャスミナ・スティール氏)
カラトラバ 5226でギョーシェを自動化したのは、ケース側面のような曲面には手動旋盤が使えないから。そして曲面に対してシャープなエッジが生まれるように、硬く切っ先鋭いダイヤモンド製のバイト(刃)が導入された。
モチーフの輪郭を金線で形作って堰とし、内側に色が異なる釉薬を注して高温焼成するクロワゾネ(有線七宝)は、自動化ができない工芸技術のひとつ。極めて難易度が高いクロワゾネによるダイヤルを、パテック フィリップは長くレギュラーモデルに据えてきた。
「高度なエナメル技術やギョーシェの技法が学べる学校は、残念ながらスイスにはありません。ですから古くから社内で専門の職人を養成してきました」(イザベラ・ヴェイヤー氏)
そんなパテック フィリップが誇る、クロワゾネ、ギョーシェ、そしてエングレービング(彫金)の各職人がが実際に作業する様子を、今回のエキシビジョンでは見ることができる。また東京エキシビジョンのために製作された、さまざまなレアハンドクラフトによる日本をモチーフとした限定の腕時計やテーブルクロックの数々も展示されている。
最後に日本をモチーフとした時計の製作で苦労した点を、ヴェイラード氏にたずねると、「パテック フィリップ・ジャパンが用意してくれたモチーフや図案を、西洋画風にならないようにすること」だと即答した。なるほど、例えば凸版画である浮世絵の雰囲気が、金線で縁取るクロワゾネや、異なる色の木片を寄せる木象嵌で見事に再現されている。これらはまさに、ウォッチアートと呼ぶにふさわしく、パテック フィリップによる美の追求の神髄が、実感できる。
パテック フィリップ・ウォッチアート・グランド・エキシビション
会場:新宿・住友ビル 三角広場
会期:~2023年6月25日(日)
開催時間:10:00~20:00
25日(日)のみ~17:00
※全日、最終入場時刻は終了1時間前
入場無料
公式サイトはこちら
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