BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY JOHNNY DUFORT, FASHION STYLED BY SUZANNE KOLLER, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

ロエベのクリエイティブ・ディレクターで、「JWアンダーソン」のファウンダーでもあるジョナサン・アンダーソン。2024年7月18日、マドリードにて撮影。
北アイルランド出身のジョナサン・アンダーソンは、ロエベのクリエイティブ・ディレクターであり、自身の名を冠したブランド「JWアンダーソン」のファウンダーでもある。2023年春、彼はローマ郊外にある映画スタジオ「チネチッタ」に詰めていた。そこで友人で映画監督のルカ・グァダニーノが、新作映画『クィア』(原作はウィリアム・S・バロウズが1950年代に執筆し、その30年後に出版された同名の自伝的小説)を撮影していたのだ。アンダーソンはこの作品の衣装担当だ。グァダニーノ監督と仕事をするのはこれが初めてではなく、テニスの世界を舞台に三角関係を描いた『チャレンジャーズ』(2024年)でも衣装デザインを手がけている。だが今回の作品は、ダニエル・クレイグ扮する薬物依存症でゲイのアメリカ人駐在員が、1950年代にメキシコシティからエクアドルのジャングルまでアヤワスカ(註:アマゾン北西部で伝統的に使用される幻覚剤)を探しに行くという、より野心的な内容だ。何百人もの俳優とエキストラのために、時代背景に合った衣装を準備する必要があった。モニターの映像を見ていたアンダーソンは、何かひっかかるものを感じた。クレイグの衣装を手直ししようとした自分が、フレームの中に映り込んでいることに気がついたのだ。そのわが身を見てはっとした。2008年に、弱冠23歳でブランドを立ち上げた、くしゃくしゃのブロンドヘアの天才デザイナーは、すでにミドルエイジにさしかかろうとしていた。だが彼が気にとめたのはやつれかけた外見だけではなかった。仕事に忙殺されていた自分が、時間の感覚を完全に失っていたことを思い知ったのだ。「画面に映ったあの人はいったい誰だろう、そしてこの10年間、自分は何をしてきたんだろうって思わず自問してしまった」
アンダーソンにこの話を聞いたのは、2024年の2月、ある爽やかな朝のこと。私たちは、彼の自宅である、イースト・ロンドンのハックニー地区のタウンハウスにいた。彼は温厚で自嘲的なタイプだが、常にどこかナーバスな空気を漂わせている。「ずっと仕事づけでいると、つい次のショーのことばかり考えてしまって。次回はさらに良いものをと思っているうちに、過去に成し遂げたことさえ顧みなくなってしまうんだ」。朝の陽光が、リビングルームに並んだル・コルビュジエのスツール、ジョージアン様式の黄色いペアのアームチェア、アクセル・フェルフォールドの白いリネンのソファをやさしく覆っていた。「僕はただ普通の人でいたいのに、周りからは常にアイデアにあふれた、ハッピーな人でいてほしいと期待されている。でもそうなれないときだってあるんだ」
アンダーソンはここのところ、これまで感じたことがなかったような違和感を覚えている。40歳を迎えたせいだろうか。数々の不安材料のうち、彼がもっとも恐れているのが「注目されていると感じること」だからだろうか。「自分はのぞき魔、つまり観察したいタイプで、人目を引きたいなんて思ったことはない」。ほんの少し前まで彼の名前と「Loewe」というブランド名を正しく発音できない人も多くいたが、ここ数年のうちに、両者の名前はどこにいようといや応なしに耳に入ってくるようになった(ロエベは2018年、「Loewe」を正しく発音しようと懸命なモデルたちの様子を収めた動画を配信した。最近では、俳優で映画監督のダン・レヴィが、共演者のオーブリー・プラザに向かって、正しい発音は「ロ・エ・ヴェ」だと教え込むユニークなプロモーション・ショートフィルムも公開している)。昨年2月、アンダーソンはアリゾナ砂漠にあるモーテルに赴いた。スーパーボウルのハーフタイムショーに出演する、リアーナの衣装のフィッティングに立ち会うためだ。リアーナは、ロエベの赤いジャンプスーツとレザーコルセットをまとい、ショーのあとに第二子の妊娠を発表した。その数カ月後、ビヨンセはバストやウエストなどにスパンコールのハンドモチーフを配した、ロエベ特注のボディスーツを着て『ルネッサンス』ワールド・ツアーを開幕させた。また今春、映画『チャレンジャーズ』のプレスツアーには、主演俳優のマイク・ファイスト、ジョシュ・オコナー、ゼンデイヤの3人がロエベの衣装を着て登場した。ゼンデイヤは、ピンヒールの先端に3Dプリンター製のテニスボールが刺さったパンプスを履いており、PRイベントというよりファッションショーのようだった。かつて俳優を目指したことがあるアンダーソンが口を開いた。「俳優って、いい意味で奇妙な人たちなんだ。まるで器みたいで、その中に僕らは好きなものを注ぎ込むことができる」
アンダーソンが創る服についても同じことが言えるだろう。新しいシルエットや、シグネチャールックを打ち出したあと、それを何度も繰り返すことで注目されるデザイナーとは対照的に、アンダーソンは次に何をするのか予測不能なデザイナーとして知られている。彼はシーズンごとに、既存のアイデアに新しいレイヤーを重ねることもあれば(たとえば、あるシーズンにバルーン柄のメッシュのスリップドレスを提案し、次のシーズンに本物のゴム風船でできたシューズを披露する)、以前のアイデアを完全に打ち消すこともある。彼は、ファッションを大げさで、演劇的なものとして捉えているわけではないが(デリケートなニュアンスのデザインもする)、そのクリエイションにはパフォーマンス的な要素が含まれることが多い。ロエベのキャンペーンに何度も起用されている女優のグレタ・リーは、アンダーソンの服について「自分の本質を一段上の高みに導いてくれる」と評している。

ロエベの2021-’22年秋冬コレクションより、ビスコースのサーキュラースリーブのパーカ、ラムスキンのアンクルブーツ。
PRODUCTION: DOBEDO REPRESENTS. LOCAL PRODUCER: ALANA COMPANY. LIGHTING TECH: ALBERTO GUALTIERI. DIGITAL TECH: PAOLA RISTOLDO. PHOTO ASSISTANTS: DANI TORRES, JAVIER ROMAN. HAIRSTYLIST’S ASSISTANT: REBECCA CHANG. MAKEUP ASSISTANT: PALOMA ROMO. MANICURIST: LUCERO HURTADO. STYLIST’S ASSISTANTS: CARLA BOTTARI, LÉO BOYÈRE
2日後には「JWアンダーソン」の2024-’25年秋冬コレクションが控えていた。会場はロンドン・メリルボーン地区の体育館で、「コレクションは郊外に住むイギリス人女性がイメージ」だと言う。アンダーソンは最近広まりつつあるメゾン移籍の噂を否定していて、こんな話題のために注目されることを疎ましく思っている。「自分の性格からいって、噂があまりにも過熱したら1年くらい沈黙を保っていたくなると思う」。キッチンにある、オーク材でできた18世紀製のダイニングテーブルにコーヒーポットを置きながら、アンダーソンは動揺したときによくするいつもの不安げな表情を見せた。だが同時に、役者が観客に向けるような笑顔をつくって、その暗雲を覆い隠そうとした。笑顔を見せることで平静を保とうとしていたのだろうが、この行為がかえって彼の心をかき乱しているようにも見えた。
だが普段、会話をしているときのアンダーソンは生き生きとしていて、どんなネガティブな思い込みのような話であっても、知らぬ間にその話術に引き込まれてしまう。こんなふうにずっと観察していると、彼自身にとってファッションとは、デザイナーとして服を創るということより、自分の才能や知識、あらゆる思考を表現する一種のパフォーマンスなのではないかと思えてくる。ランウェイショーの最後に、舞台に現れて挨拶をするアンダーソンは、まるで無理やり喝采を受けにきたかのようにいつもうつむいて肩を落としている。また以前、彼は私に「デザイナーっていうのは、とことん嫌われる存在なんだ」と言ったこともある。これが単に誇張表現だとしても、彼はファッション業界全体に対して絶望的な見方をしているようだ。「大きな影響力のあった雑誌は存在感を失い、ファッション界の目利きもいなくなり、すべてが“無味で普通”になってしまった」と彼は言う。だがこうした状況は彼を落胆させるどころか、飽くなき闘争心をかき立てる。「僕らは適者生存の時代に入っていく。今はその素晴らしい過程にいるんだ」。アンダーソンの声が高音の囁(ささや)きに変わり、発される一言一言が、背中をゾクッとさせるように響いた。そして彼はまた静かに微笑んだ。
彼の野心は明確だ。現役のファッション・デザイナーとして世界一の座に就くこと。だがその理由はときにつかみがたい。「こんなことを思っていたら、一部の人からは傲慢だって言われるだろうね」。アンダーソンは自分でもそう認識しているが、その実、彼の目標はきわめてシンプルで現実的だ。「たとえば、バッグの売り上げをある一定レベルまで伸ばして、店舗をどうこうする、といったことは単なるアクションでしかない。僕にとって肝心なのはそれと並行して、クリエイティビティを高めていくこと」。クリエイションとビジネスのバランスをいつまでうまく保てるか、その点も気になるところだ。
1846年、マドリードにて複数の職人が集まり、皮革工房として設立されたロエベ。アンダーソンがLVMHからオファーを受け、新生ロエベを始動してからすでに10年以上がすぎた。「JWアンダーソン」にも出資しているLVMHが、1996年にロエベを完全買収したとき、同ブランドのウェアの売り上げは全体の約10%、2億ドル前後にすぎなかった。1997年から約4年間は、アメリカ人デザイナー、ナルシソ・ロドリゲスが同ブランドを率いて、売りやすいシンプルな服を提案し、プレタポルテ・ブランドとしての地位を再構築した。だがその後継者、イギリス人デザイナーのスチュアート・ヴィヴァースは、再びバッグにフォーカスしたコレクションを展開した。つまり、アンダーソン就任当時のロエベは、サンローランやグッチとは違って、まだブランドの明確なアイデンティティが確立されていなかった(アンダーソンがいつかそれを築くと考える人もいるだろう)。受け継ぐべきレガシーもほとんどない、白紙状態のロエベに降り立ったアンダーソンは、まるで実験的なギャラリーの担い手のように、顧客が欲しがるか、理解を得られるかも定かでないコレクションを編み出した。ロエベにおける彼のデビューショーが行われたのは2014年6月。会場となったのはパリのユネスコ本部にあるイサム・ノグチ設計の日本庭園だ。ランウェイには淡いブルーと鮮やかなイエローのバギーレザーパンツ、マクラメ編みのホルタートップス、カモをモチーフにしたラバーTシャツなどが現れた。それ以来、彼は不思議なマジシャンのように、意表をつくオブジェ(メイクブラシや流しの排水口のフタなど)やトロンプルイユを取り入れたファッションを披露してきた。こうした奇想天外なクリエイションは、まさに手品そのものだ。ある批評家は「アンダーソンの手にかかれば、ありきたりなものが特異なオブジェに変容する」と評している。