BY GISELA WILLIAMS, PHOTOGRAPHS BY FRANK HERFORT, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO
アイスランド人アーティスト、オラファー・エリアソンが20代前半のとき、アーティスト志望で商業漁船のコックだった父のエリアス・ヒョルリーフソンと継母とのあいだに女の子が生まれ、ヴィクトリア・エリアスドッティルと名付けられた。3人の暮らすレイキャビクで夏を過ごすことが多かったエリアソンは、よく幼い妹の世話を頼まれた。初めのうちは、それが嫌でたまらなかったと笑う。
「ヴィクトリアは本当に手のかかる子どもだった。でも、そのおかげで兄妹の絆は深まりました。今思えば、“シンプルな生活”という贅沢な時間でした。ある年は、夏の数カ月のあいだにやったことといえばふたつだけ。ひとつは美術学校への入学手続きをすませること、もうひとつは妹がおなかを空かせたり泣いたりしないようにすることでした」
デンマーク王立芸術アカデミーで学んだオラファーは、現在51歳。彼の創り出す作品は、理論的でありながら非常に親しみやすい。特徴的な、幾筋ものカラフルな光の束をしばしば用いて人々を魅了し、現実に対する私たちの知覚の誤りを浮き彫りにする。
オラファー・エリアソンの名を一躍有名にしたのが、2003年にロンドンの近現代美術館「テート・モダン」のタービン・ホールに展示された、単色光の照明が天井に反射して半球状に輝くインスタレーションだ。その下で観客は、海辺で太陽の日差しを浴びすぎて倒れた人たちのように寝そべっていた。
2018年6月には、デンマークの港湾都市ヴァイレで、オラファーが初めて本格的に手がけた建築が公開された。まるで、アーチ形に窓がくりぬかれたレンガ造りの要塞が入り江に出現したかのように見えるビルだ。いつも世界各地を飛び回っているオラファーだが、制作の拠点としているのはベルリンのスタイリッシュな地区プレンツラウアーベルクにあるスタジオだ。ビール醸造所を改装した4階建ての建物で、約3,716㎡の広さがある。
兄のオラファーがアーティストになって父の夢をかなえたのだとしたら、シェフとして父の跡を忠実に継いだのは妹のヴィクトリアだった。彼女はレイキャビクの料理学校(クラスに女子は3人しかいなかった)を卒業後、ステイン・オスカル・シグルズソンやオラファー・アグストソンといったアイスランドの一流シェフのもとで修業を積み、米国で最も予約がとれないといわれるアリス・ウォータースのオーガニックレストラン「シェ・パニース」で働いた。