最近のフード・ムーブメントの焦点は地産の食材やオーガニック食品を買うことだが、一方でアメリカのフード・アクティビストたちの間で今までと違った、より深い議論が起きている。それはすべての人に良質の食事をという要求だけでなく、あらゆる人々に食料が行き渡ることを阻止している社会の構造自体を解体しようとする試みだ

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY NYDIA BLAS, SET DESIGN BY BETH PAKRADOONI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 現代の食料システムが機能不全に陥ってしまった歴史をたどると、15世紀にポルトガル領だったマデイラ諸島が世界最初のさとうきび農園のための植民地になった頃と、香辛料貿易のために世界初の多国籍企業が誕生した17世紀頃にさかのぼる。ヨーロッパの住民たちは、ほかの島から安価な労働者たちをしばしば強制的に連行してきて働かせ、巨万の富を築いた。植民地経営のこの図式は人間の尊厳を踏みにじるものだ。だが、その収益の大きさは、多くの経営者にとって拒絶できないほど魅力的だった。18世紀末までには、英国の奴隷解放論者たちが、一杯の紅茶とひとさじの砂糖の背後に隠された搾取行為を公に非難するようになった。

当時、西インド諸島と呼ばれていた地域で、アフリカから連れてこられた奴隷たちが、それらの作物を栽培し、精製していた。「もしそういった商品を購入すれば、我々も同罪だ」と書店経営者のウィリアム・フォックスは1791年に『An Address to the People of Great Britain, on the Propriety of Abstaining From West India Sugarand Rum(大英帝国の諸君へ、西インド諸島の砂糖とラム酒を拒否する礼節を望む)』と題した小冊子に書いている。この冊子は10万部以上発行され、大西洋の両岸で広く読まれた。フォックスは「砂糖1ポンドにつき、2オンスの人間の肉体が犠牲になっている」と記している。

 クエーカー教徒で社会改革者のソフィア・スタージは英国のバーミンガムで数千もの家を一軒一軒回り、西インド諸島産の砂糖の不買運動を呼びかけた。すると中には、奴隷労働者によって得られた商品は扱わないという宣伝文句を掲げる商人たちも登場した。この動きが、奴隷制によって生産された商品を拒否する「自由生産運動」の形となり、アメリカに波及した。その頃、すでにアメリカではクエーカー教徒たちが、さとうきびから採れた砂糖を買わず、メープルシロップをあえて選んで買っていた。さらに彼らは南部の州のプランテーションで採れた綿から作られた衣服を着ることを拒否した(自由生産運動はその後1980年代に台頭してきたフェア・トレード証明の考え方に引き継がれていく。フェア・トレードとは、小規模の農家や地方の生産者にきちんと利益が行き渡るように、倫理に基づいた利益分を上乗せした価格設定をするというものだ。ただし、利益の配分をどう監視するのか、また本当に得をするのは誰か、という点については論争の余地が残されている)。

今日、食料の生産、流通、販売経路のあらゆる側面にアクティビズムが存在している。たとえば、食物がどう作られているのか(持続性のない農法、危険な労働環境、違法移民や囚人労働力の搾取、動物虐待)、また生産権を握るのは誰か、そして作物はどう売られているのか(資金貸し付けと投資における人種差別、大規模生産が可能な企業の優位性、マイノリティ文化の利益を損ね、文化そのものを消滅させる生産方法)、さらに食物にありつけるのは誰なのか(貧困と飢え、新鮮で健康的な食物にアクセスできない地域、生活保護受給者が政府支給のフードスタンプを使って食物を買う際に、商品の選択をとやかく説教されること)。これらの問題の中には、過度に盛り上がった私たちの食文化の中で尊敬を勝ち取った高級料理店のシェフたちが指摘してきたものもある。

だが、彼らが一般大衆に望むのは、もっぱら食文化の賛美であり、問題を掘り起こすことではない。たとえば、旬の素材や地元の農家が生産した食材を称賛するだけにとどまり、地産地消にはどんな政策が必要なのかという議論まではしないのだ。ただ、この点は新型コロナウイルスの感染拡大で変化するかもしれない。スペイン生まれのホゼ・アンドレスはラスベガス、マイアミ、ワシントンD.C.でレストランを経営し、台風や疾病などの災害時には、何百万人もの人々への支援活動を行ってきたが、政府には飢餓を解決する「政治的な意思」がないと批判する。

 実際に見えない場所で多くの重労働を担っているのは、草の根の活動家たちだ。たとえば、1988年にブロンクスに数々のコミュニティ・ガーデンをつくったのは現在66歳のカレン・ワシントンだ。最初は彼女の家の向かいにあるゴミだらけの小さな空き地からスタートした。彼女は最初から大きな構想を持っていたわけではない。まずは荒れ果てた空き地を「幸福の庭」と呼べるオアシスに変身させ、近所の人々と新鮮な野菜をシェアするだけで十分だった。だが、かつては見捨てられていた土地が美しく整備され、再開発にうってつけの場所となると、市は庭の利用者たちを追い出して土地を競売にかけようとした。ワシントンは街の園芸家たちとともに庭を守る闘いに自らを投じた(結局、環境保護グループが庭の土地の一部を買い取る形で介入した)。

それ以来、彼女は数多くの庭を耕し、政府の役人たちが採用する政策案の草稿も書くようになった。だが、彼女の仕事の本質は、今でも地元に関するものだ。彼女は自身の街のコミュニティのために身を捧げてとことん奔走してきた。ウイルスが感染拡大するなか、彼女は近所を回ってお年寄りたちに十分な食料が行き渡っているかをチェックし、彼女が庭で収穫した野菜のほとんどを食料の無料配給所や炊き出し所に寄付した。「料理をするときは、少し多めに作るようにしている」と彼女は言う。

 だが同時に、それは一時的な解決法に過ぎないことを彼女は知っている。「もうずっと長い間、私たちは慈善事業に支えられてきた」と彼女は言う。「食料が配られ、みんなが列を作って並ぶ。だが誰も『そもそもなぜ私たちは列に並んでいるのか?』という疑問を口にすることはない」

 フード・アクティビズムの分野はあまりにも広範囲に及び、多くの人々を対象としており、全部をカバーできていないのが現状だ。たとえば、ワシントン州で夏の山火事の煙にむせながらブルーベリーを収穫する移民労働者たちや、人種差別によって土地の所有をずっと阻まれてきたアトランタの街の黒人農民がいる。さらにニューヨークの路上でタコスやハラル料理をカートやトラックで販売している露天商たちもいる。新型コロナウイルスが感染拡大した初期には、そんな露天商の売り上げは80%減少した。現金商売ゆえに経営状況を証明できる書類も限られる彼らは、政府の援助金の支給の対象外で、この国の経済の端っこで何とか生きている。

多くの人々が何年も、時には一日に14時間も働いてきた。だがいま彼らの財布には数ドルしかなく、生き延びるために食料配給の列に並ばなければならない。「あまりにひどすぎる」と言うのは、マンハッタンにある人権団体「アーバン・ジャスティス・センター」で露天商のためのプロジェクトの副ディレクターを務める30歳のカリーナ・カウフマン=グティエレスだ。彼女と6人のスタッフたちは約2万人の露天商たちの権利を守るために活動している。「食料をもらうためにいま列に並んでいるこの人たちは、その全人生を自分以外の人たちに食料を供給するために費やしてきた」と彼女は言う。

知っておきたい、アメリカの食料問題の現在地<後編>
2021年5月26日(水)公開予定

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