“天と地の間に生まれる美しい飲み物”と称されるワイン。よりよきブドウを育み、味わいを究める努力を重ね、日本ワインに新章を開いた4人の女性たちの姿を追う。第四回は、ココ・ファーム・ワイナリー、池上知恵子さんに話を聞いた

BY KIMIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI

「微生物、植物、動物、人。いろいろな命の力を借りてワインは造られる。ブドウは光合成で糖を作り、酵母がブドウをワインにしてくれる。栽培農家さん、飲食店、ワインを楽しんでくださる人たちの存在がなければワインを造ることはできない。あらゆる生きとし生けるもののおかげで私たちは生きている。そんなふうに感じています」。鈴をふるような声でココ・ファーム・ワイナリー専務取締役の池上知恵子は語り、微笑んだ。

画像: 池上知恵子(CHIEKO IKEGAMI) 東京女子大学を卒業後、草思社に入社。その後、東京農業大学短期大学部で醸造学を修める。収穫祭などワイナリーで行うさまざまなイベントも手がける。「よいワインは、複雑でバランスがとれていて、余韻が長く続く。文化やアートと似たところがあると思います」。雨上がりのテラスにて。明るい声と笑顔が印象的

池上知恵子(CHIEKO IKEGAMI)
東京女子大学を卒業後、草思社に入社。その後、東京農業大学短期大学部で醸造学を修める。収穫祭などワイナリーで行うさまざまなイベントも手がける。「よいワインは、複雑でバランスがとれていて、余韻が長く続く。文化やアートと似たところがあると思います」。雨上がりのテラスにて。明るい声と笑顔が印象的

 山の急斜面にブドウ畑を開墾したのは、栃木県足利市の特殊学級(当時)の中学生と教員だった池上の父・川田昇。1950年代のことだ。1969年、知的障がい者支援施設「こころみ学園」がスタート。園生の心身を健やかに育むためにブドウや原木椎茸の栽培を行う。“やがては園生たちの自立の一助になるように”と、学園の考え方に賛同する父母たちの出資により、1980年「ココ・ファーム・ワイナリー」が設立された。

画像: 平均斜度38度の急斜面を、園生たちとコツコツ開墾して作ったブドウ畑。除草剤や化学肥料は一切不使用。プティ・マンサンほか日本では珍しい品種も

平均斜度38度の急斜面を、園生たちとコツコツ開墾して作ったブドウ畑。除草剤や化学肥料は一切不使用。プティ・マンサンほか日本では珍しい品種も

画像: リースリング・リオンの隣にもバラが咲く。害虫や病原菌はブドウの木より先にバラにつくので、被害の状況がわかりやすく、ブドウの木を守れるという

リースリング・リオンの隣にもバラが咲く。害虫や病原菌はブドウの木より先にバラにつくので、被害の状況がわかりやすく、ブドウの木を守れるという

 当時、東京の出版社に勤務し、仕事と育児に明け暮れる日々を送っていた池上は、父がワイン造りに着手したと聞き、「学生になれば8時間続けて眠れる!」と東京農業大学を受験した。「これが見込み違い。実験などで目の回る忙しさだったの」と笑う。1984年、果実酒製造免許を取得し、ワインを造り始めた。「行き当たりばったりで、目の前のことに必死で取り組んできただけ」と本人は言うが、その奮闘ぶりを見守ってきた周囲に導かれるかたちで、いつしかワイナリーを率いる立場に。

 ここのワイン造りのモットーは「ブドウがなりたいワインになれるように」である。気候変動に対応した“適地適品種”のブドウを植え、野生酵母を中心に醸す。畑には有名品種のほか、ノートンなどのマイナー品種も植えられている。適地で育つブドウは強い生命力をもつ。そのブドウ本来の潜在力を引き出すのが野生酵母だ。醸造場では極力手を加えず、だが万全の体制で発酵を見守る。限りなくピュアで生命力に満ちたその味わいにファンは多く、国際線のファーストクラスほかサミットの晩餐会にもたびたび用いられ、国内外で高く評価されている。
「父は『消えてなくなるものにこそ渾身の力を注げ』と言っていました」。その言葉は、池上の胸に強く残っている。

画像: ヤカンを叩いて音を出し、鳥からブドウを守る園生

ヤカンを叩いて音を出し、鳥からブドウを守る園生

 もうひとつ、池上の記憶に残る父の言葉がある。ある日、誰もいないブドウ畑をぶらぶらしている園生がいた。池上が父に「草取りとか、何かやってもらう?」と聞くと、父は「彼は風に吹かれる係だから、いいんだよ」と言った。その年の秋、近隣の多くの畑がカラスの害を被ったのだが、その畑は難を逃れた。「彼が時に声を上げつつ、歩き回っていたおかげ。存在すること、そこにいてくれることが彼の仕事。ここはみながあるがままに生き生きと暮らせる場であり続けたいと思っています」

画像: 樽の彫刻家・山下亮太の作品がゲストを迎えるテラス

樽の彫刻家・山下亮太の作品がゲストを迎えるテラス

画像: 「季節のコース」¥3,800※ 前日17時までに要予約 カフェではワインと料理が楽しめる

「季節のコース」¥3,800※ 前日17時までに要予約
カフェではワインと料理が楽しめる

 互いを認めあい、許しあう。そのためにも、ゆるやかさや、やわらかさが世の中にあることは大切だと池上は感じている。
 コロナ禍以前は毎年収穫祭が催され、大勢が集い、ともに祝った。音楽が奏でられ、みなほろ酔いで歌い、踊り、笑いあった。「芸術や音楽と同じく、ワインは人生を輝かせるものだと思います。喜びを分かちあい、悲しみにそっと寄り添う。私たちのワインは、そういうものでありたい」

画像: (左)デザートワイン「MV マタヤローネ」<375ml>¥5,300 大変な仕事をようやく終えた直後に園生が言った言葉「またやろうね!」から命名 (右)マスカット・ベーリーA種で造る「2018 第一楽章」<750ml>¥5,300 1996年、野生酵母での発酵を初めて行なった記念すべき赤ワイン

(左)デザートワイン「MV マタヤローネ」<375ml>¥5,300
大変な仕事をようやく終えた直後に園生が言った言葉「またやろうね!」から命名
(右)マスカット・ベーリーA種で造る「2018 第一楽章」<750ml>¥5,300
1996年、野生酵母での発酵を初めて行なった記念すべき赤ワイン

問い合わせ先
ココ・ファーム・ワイナリー
住所:栃木県足利市田島町611 
電話:0284(42)1194 
公式サイト

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