TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO
Vol.1 「椿姫」をめぐる、うたかたの恋。
盃を満たすのは「ペリエ ジュエ ベル エポック」

(アルフレード)
「楽しい盃で酒を飲みほそう
喜びの花と飾る盃で
そしてはかない時を
快楽にゆだねよう
やさしきおののきのうちに盃をほそう、
愛をよびさますおののきのうちに」
(名作オペラ ブックス2 ヴェルディ 椿姫/音楽之友社)
イタリアの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が作曲したオペラ《椿姫》(La Traviata)。幕が開けると、華やかなサロンで繰り広げられる夜会の場面があらわれる。客たちが楽しげに談笑するなか、サロンの主である高級娼婦ヴィオレッタに惹かれる青年アルフレードが、一同に勧められて乾杯の音頭をとる。そこで歌われるのが、かの有名な「乾杯の歌」である。
アルフレードの呼びかけにヴィオレッタは次のように応える。
「皆さんといっしょに
楽しい時をわかつことができますわ。
この世で喜びでないものは
みんなくだらないものです
楽しみましょう、はかなく、すばやいのが
愛のよろこびです。
それは咲いてはしぼむ花、
二度と楽しむことはできません(後略)」
(名作オペラ ブックス2 ヴェルディ 椿姫/音楽之友社)
躍動するワルツの調べに乗せて歌われ、ふたりの出会いそして恋が芽生える高揚感が見事に表現されている。音楽は次第に熱を帯びてきて、一同も唱和し、クライマックスと共に盃が干される。しかし、楽しい時間は一瞬だと歌うふたりの言葉には、その後のオペラのドラマティックな展開が暗示されている。刹那的な愛の喜びもはかないが、音(楽)も生まれた瞬間には消えていく。まるで乾杯のシャンパーニュの泡のように。

椿の花は日持ちせず、咲いたままポトリと落ちてしまう。そんな椿の花を愛したというひとりの女性を主人公に書かれたのが、オペラ《椿姫》の原作となったアレクサンドル・デュマ=フィス(1824-1895)の小説『椿を持つ女』(1848)だ。モデルは実在した高級娼婦マリー・デュプレシ(1824-1847)。いつも白い椿を身につけていたという彼女は、貧しい生まれで、美貌と才気を武器にドゥミ・モンドの華となった。裕福な商人や貴族たちをパトロンとした彼女は、毎晩のように劇場やオペラ座(ル・ペルティエ)へ通い、舞踏会や夜会に出向いた。しかし、肺病に侵され、まるで椿の花のようにあっけなく世を去ってしまう。23歳という若さだった。
著者のデュマ=フィスはヴァリエテ座の公演で1844年に彼女と知り合い、程なく恋人同士となる。彼女の浮気に嫉妬し、また贅沢な暮らしで借金を背負った彼は、彼女の元を去り、父とともにスペインと北アフリカの旅へと出る。帰国したのは彼女の死後で、実体験に脚色を加えて書かれたのがこの小説。借金返済の目論みもあり、すぐに戯曲へと改作されたものの検閲で揉めたために上演まで3年かかった。「乾杯の歌」や「愛と酒を讃えるシャンソン」など数々の音楽を加えることで対処し、ようやく1852年にヴォードヴィル座で初演された。
ヴェルディは、はたしてこの戯曲の上演に立ち会ったのかどうか、諸説ある。初演の頃、彼は二番目の妻となるジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815-1897)とともにパリに滞在しており、その可能性はある。ジュゼッピーナはスカラ座のプリマドンナを務めた歌手であり、奔放な異性関係でも知られ、未婚だが子どももいた。ヴェルディの故郷ブッセート村で同棲していたふたりの関係は村人から白眼視され、ヴェルディは自らの境遇と似たところのあるこの作品に思い入れを深くし、オペラ化したというエピソードもある。
台本はヴェルディ作品を多く手掛けたフランチェスコ・マリア・ピアーヴェ((1810-1870)による。1853年ヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で初演された。タイトルは検閲のために当初の《Amore e Morte(愛と死)》から《La Traviata(道をふみはずした女)》と変えられた。主要な登場人物は高級娼婦のヴィオレッタ、その恋人アルフレード、アルフレードの父ジェルモン。舞台は1850年頃のパリ、およびその近郊だが、こちらも検閲のためか1700年頃の設定になっている。
19世紀半ばのパリでは、王侯貴族だけでなく新興のブルジョア階級のサロン文化が花開いていた。フレデリック・ショパン(1809/10-1849)はいうまでもなく、フランツ・リスト(1811-1886)も、サロンに出入りし、演奏した。実は、リストとデュプレシには接点がある。1845年、ブルヴァール劇場のロビーで彼女のほうからリストに近づき、演奏会を聴いて好きになったと告げたという。ほどなくリストは彼女にピアノを教えるようになり、その関係は深まっていった。
愛が生まれては消え、消えてはまた生まれ、花開く。そんなうたかたの日々を彩る美酒といえば、やはりシャンパーニュだろう。1811年に創業し、1842年辛口スタイルのシャンパーニュを世に広めたペリエ ジュエは、またたく間に王侯貴族の間で人気となった。もしかするとデュプレシのサロンでも飲まれていたかもしれない。1902年エミール・ガレによるアネモネが描かれたボトルデザインが生まれ、1964年にスペシャル・キュヴェ「ベル エポック」が誕生した。アネモネの花言葉は「はかない恋」。ヴィオレッタとアルフレードのはかない恋に思いを馳せて味わってみるのもよいだろう。本人も情熱的な愛に生きたプリマドンナ、マリア・カラスの歌声とともにーー。

口に含むとエルダーベリー、砂糖漬けにした洋梨、クミン、グリーンペッパーなどの花やフルーツ、スパイスのニュアンスがふわりと広がる。華やかでロマンティック、そして実に繊細なテクスチャーは、まさに愛を祝福するにふさわしい。「ペリエ ジュエ ベル エポック 2015」(750ml)¥35,354
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Vol.2 鐘の響きは天使(アンジェラス)の祈り。
パガニーニ、リスト、フジコ・ヘミングの『ラ・カンパネラ』
パガニーニ、リスト、フジコ・ヘミングそれぞれの『ラ・カンパネラ』

ヴィルトゥオーゾとは音楽の名人や達人を指すイタリア語であるが、19世紀のヨーロッパにはまさにその名にふさわしい人物が二人いた。一人はイタリア生まれのヴァイオリニストのニコロ・パガニーニ(1782-1840)、もう一人はピアノでパガニーニの領域を目指したハンガリー出身のフランツ・リスト(1811-1886)である。
パガニーニは、超絶技巧を得るために「悪魔に魂を売った」と言われたほど並外れたテクニックの持ち主だった。1831年のパリ・デビュー公演はセンセーショナルなものだったという。長く伸ばした髪に黒い服を纏って演奏するさまもどこか悪魔を連想させた。リストは公演を聴いて衝撃を受け、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調第3楽章のロンド「ラ・カンパネラ」(鐘)の主題をもとにピアノ曲を作曲している。
この主題をもとにした曲は4曲存在しているが、最初に作曲されたのが《パガニーニの「ラ・カンパネラ」の主題による華麗なる大幻想曲》(1831)。その後、《パガニーニによる超絶技巧練習曲》第3番変イ短調(1838)、《パガニーニの「ラ・カンパネラ」と「ヴェニスの謝肉祭」の主題による大幻想曲》(1845)、《パガニーニによる大練習曲》第3番嬰ト短調(1851)が作られている。現在、最も有名で頻繁に演奏されるのが4番目の作品で、通常リストの《ラ・カンパネラ》といえば、この作品のこと。
今年4月に亡くなったピアニスト、フジコ・ヘミングが十八番とした作品でもあり、テレビ等で耳にしたことがある方も多いだろう。もっとも彼女は「正直なところ、あまり好きな曲じゃなかった」が「指の練習にいいと思って弾きはじめた」と語っている。若い頃にウィーンでデビューのチャンスがあったものの、コンサートの直前に風邪をこじらせて、すでに失っていた右耳の聴力に加えて、左耳までも聞こえなくなってしまい、夢をたたれた彼女。その後、苦難の半生を送り、60代後半でデビューしたアルバムのタイトルが『奇蹟のカンパネラ』だ。
「壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ」とシニカルに語る彼女が弾く《ラ・カンパネラ》は、その発言とは裏腹に実にあたたかな響きで満たされている。「音のひとつひとつに色をつけるように弾く」という通り、その音からは鐘が響きわたる風景が浮かんでくるよう。「好きな時間は午後の四時。夕陽がさしてきて、それがすっと消える、その夕焼けの感じが素晴らしいから」。イメージする鐘は晩鐘だろうか。敬虔なカトリック教徒だった彼女が、一日の終わりに神に捧げる祈りの声。
鐘の響きとともに空をわたる「アンジェラス(天使)の祈り」

カトリック教会では、一日三回、朝6時、正午、夕方6時に鐘が鳴らされ、受胎告知の祈りが唱えられる。この祈りは、ラテン語の原文Angelus Domini nuntiavit Mariae(主の天使がマリアに告げた)から、「アンジェラス(天使)の祈り」と呼ばれ、ミレー《晩鐘》(L’Angelus)にも描かれている。あたたかな夕陽につつまれて祈りをささげる夫婦の遠くにはうっすらと教会の塔が見え、そこで「アンジェラスの鐘」が鳴らされている。夫婦の足元にはジャガイモが置かれているが、ジャガイモはフジ子の大好物でもあり、貧困時代に空腹をしのいだ糧でもあった。
ボルドーのサン=テミリオン地区に、この「アンジェラスの鐘」を象徴としてエチケットに描くシャトー・アンジェリュスがある。シャトーには、サン=テミリオンの丘に聳え立つ有名な鐘楼や近隣の教会から朝・午・晩と鐘の音が響き渡ったという。シャトーの歴史は18世紀後半に遡り、現在は8代目の当主ステファニー・ド・ブアール=リヴォアルが経営を担っている。ワインはメルローとカベルネ・フランが主体で、凝縮感のある味わいだ。
若い頃は派手で演奏効果の高い作品を書いたリストだが、晩年は僧籍に入り、作品にも宗教色が強くなっていく。《巡礼の年 第3年》の第1曲は「アンジェラス! 守護天使への祈り」と題されている。そこには同じ鐘を題材にしながらも、《ラ・カンパネラ》との大きな隔たりを聴くことができるだろう。《ラ・カンパネラ》にはセカンドのル・カリヨン・ダンジェリュスかサードのNo. 3、《巡礼の年 第3年》には熟成したシャトー・アンジェリュスを合わせるのもよいだろう。

(左)フレッシュでスパイシー、熟した果実のアロマが鮮やか。程よい酸味と熟した濃厚なタンニンが特徴的。口に含むと精緻な味わいが広がり、鐘の音の響きわたる美しい光景が目に浮かぶよう。2021 ル・カリヨン・ド・ランジェリュス(750ml)¥24,750
(右)鮮やかで強烈な、深みのある輝きを放つローブ。アンジェリュスのカベルネ・フランのあらゆるポテンシャルが存分に表現され、まさに人生の奥深さと醍醐味を味わうのにふさわしい逸品。2021 シャトー・アンジュリュス(750ml)¥90,200
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<参考文献>
フジ子・ヘミング『フジ子・ヘミング 運命の力』(CCCメディアハウス、2001年)
岡田暁生『西洋音楽史』(中公新書、2005年)
Vol.3 熟成という時の魔法ーーメンデルスゾーンの
「スコットランド交響曲」と、「ザ・マッカラン」
青年メンデルスゾーンの、スコットランド旅行

1829年4月、20歳のフェリックス・メンデルスゾーン(1809-1847)はベルリンからロンドンへと向かっていた。ひと月ほど前の3月11日にバッハの《マタイ受難曲》の復活公演を成功させた青年音楽家は、「グランド・ツアー」ばりに見聞を広め、かつ作曲家として国外で売り出すための大旅行へと出たのである。
ハンブルクから意気揚々と船に乗り込んだのはよいが、エルベ川を下って北海へ出たところでひどい悪天候に見舞われ、イギリス到着までの3日間にわたって船酔いに苦しめられたという。しかし、ロンドンでは旧友のクリンゲマン、そしてかねてよりメンデルスゾーンを目にかけていた巨匠モシュレスが暖かく出迎えてくれ、毎晩のように劇場や音楽会、舞踏会に連れ出した。家族への手紙でフェリックスはロンドンでの日々を生き生きと伝えている。
富裕なユダヤ人銀行家の家に生まれた彼は、子どもの頃から各分野一流の家庭教師たちによって教育され、幅広い教養を身につけていたので、瞬く間にロンドンの社交界で人気者となった。そればかりでなく、音楽家としても5月末には交響曲第1番を自身の指揮で披露する機会を得て、華々しくデビューを飾ることができた。ピアニストとしてのデビューも大成功で、音楽家として生きていく手応えを感じ、自信を深めたことだろう。
夏を迎えると、彼はクリンゲマンとともにスコットランドの旅へと出た。その当時、古代の盲目の詩人オシアンがゲール語で遺した詩をスコットランドの詩人マクファーソン(1736-1796)が「発見」し英訳したとされる詩集や、同じくスコットランドの詩人・作家ウォルター・スコット(1771-1832)の歴史小説がヨーロッパで流行しており、スコットランド旅行はちょっとしたブームとなっていたのだ。
「ウイスキーを持った女中が、私達を出迎えてくれました。空には雲が、うら寂しく流れています。風や雨の騒々しい音、召使い達の会話、戸のバタンとしまる音が聞こえるにもかかわらず、静かです! 静かで、とても荒涼としています!」と両親に宛てた手紙の中で、フェリックスはこのようにスコットランドの印象を描写している。
時の重なりが叶えた深みが際立つ、シンフォニーとウィスキー

僕もメンデルスゾーンと同じ年代、確か22歳の頃だったか、友人とヨーロッパを旅行した際にスコットランドを訪れた。エディンバラからインヴァネスまでの車窓に広がる光景はまさにメンデルスゾーンが200年近く前に書いた通り、荒涼としていた。ゴツゴツと起伏に富んだ地形、木々はまばらで荒野が広がり、夏だというのに寒かった。天気も変わりやすく、晴れていたかと思えば、急に雨が降り出し、雲の合間からうっすらとまた陽が射す。帰りの夜行列車に乗る前にステーション・ホテルのバーでウイスキーを飲んだことを覚えているが、銘柄はなんであっただろう。当時、唯一名前を知っていた銘酒ザ・マッカランだったかもしれない。
メンデルスゾーンはエディンバラ滞在中の7月30日にホーリールード宮殿を訪れ、交響曲第3番《スコットランド》の着想を得た。「今日、たそがれどき、メアリー女王が暮らし、また愛していた、ホーリールード宮殿を訪ねました。(中略)隣の礼拝堂にはもう屋根もありません。草やきづたが生い茂っています。メアリー・ステュアートがスコットランド女王に即位したのはこの壊れた教会ででした。すべてが壊れていて、廃墟とその上の青い空だけしか見えません。私は《スコットランド交響曲》の冒頭の部分を見た気がしました」
その時、スケッチブック(メンデルスゾーンは絵も得意であった)に書かれた16小節の楽句は、しかしすぐに実を結ぶことなく、10年以上も寝かされることになる。翌年からのイタリア旅行時も手をつけようとしたのだが、「やむをえず、《スコットランド交響曲》を中断せざるをえなくなりました。これをしあげるためには、霧につつまれたあの地へ戻らなければならないでしょう」と家族への手紙に書いている。
完成したのは、およそ13年もの月日を経た1842年のことだ。当時記した楽句は、ほぼそのままの形で第1楽章の序奏に現れ、結尾部で回想される。青年メンデルスゾーンは、デュッセルドルフ市の音楽監督を経て、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団第5代指揮者、プロイセン宮廷礼拝堂楽長を務める若き巨匠となっていた。その間、ロンドンを訪れること5回。折に触れて楽想をあたためていたに違いない。オーボエとヴィオラで奏でられる旋律は、イ短調で仄暗く哀愁を帯びた雰囲気を漂わせており、霧の中からスコットランドの風景が浮かびあがってくるようだ。
熟成を経て完成したこのシンフォニーには、やはり同じく熟成して完成するスコットランドの地酒ウイスキーがふさわしいだろう。18世紀初めにはすでにウイスキー造りは行われていたというが、ザ・マッカランが「蒸留ライセンス」を取得したのは1824年のこと。メンデルスゾーンがスコットランドを訪れる5年前だ。はたして女中さんが持ってきて、メンデルスゾーンたちが飲んだウイスキーは何であったか、思い巡らすのもまた楽しい。

自社製のシェリー樽で年月を重ねて熟成される色の美しさ、芳醇な味わい、高貴な香りだちは格別なもの。(左)厳選されたスパニッシュオーク樽で最低12年間熟成させた原酒のみを使用。甘やかなバニラの香りにドライフルーツを思わせる豊かな味わい、ウッドスモークやスパイスの余韻も端正なオーセンティック。ザ・マッカラン12年 700ml¥13,750、(中)熟成年数18年以上、芳醇な香りと濃厚な甘みに、スッキリした酸味とスパイシーな風味が円熟の境地を感じさせる。ザ・マッカラン18年 700ml ¥57,200、(右)こちらは熟成年数25年以上、ドライフルーツの甘みが凝縮され味わいは壮麗、甘くスパイシーな余韻に品格を感じる逸品。ザ・マッカラン 25年 700ml ¥308,000/サントリー
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サントリーお客様センター
TEL. 0120-139-310
<参考文献>
ハンス・クリストフ・ヴォルプス『メンデルスゾーン』(尾山真弓訳、音楽之友社、1999年)
レミ・ジャコブ『メンデルスゾーン』(作田清訳、作品社、2014年)
ひのまどか『メンデルスゾーン』(ヤマハミュージックエンタテインメント、2024年)
Vol.4 修道士ドン・ピエール・ペリニョンの泡は、
太陽王の時代のパラダイムシフト
うたかたをめぐる、修道士ドン・ピエール・ペリニヨンの不断の努力

太陽王ルイ14世(1638-1715)と同時代を生きたベネディクト会の修道士ドン・ピエール・ペリニヨン(1638-1715)。彼はシャンパーニュの生みの親といわれているが、実は、現在のシャンパーニュのように泡立つワインを造ることにではなく、いかに泡立たないワインを造るかで苦心していた。そういうと驚かれる方がいるかもしれない。しかし、17世紀当時、発泡したワインは出来損ないだと思われていたのだ。
ワインはその醸造過程で、酵母がブドウの糖分をアルコールに変える際に、炭酸ガスが発生して泡立つ。地理的に高緯度にあるシャンパーニュ地方では、15世紀に始まった寒冷化の影響もあり、冬を迎えると途中でこのプロセスが止まってしまい、春になって暖かくなると酵母が目覚めて再び発酵を始め、樽や瓶の中で泡立ってしまうという現象が起きていた。
このシャンパーニュ地方モンターニュ・ド・ランスにあるオーヴィレール修道院は広大なブドウ畑を所有していたが、度重なる戦乱や略奪で16世紀末には荒廃していた。その後、再生が図られ、そこへ送り込まれたのが若き修道士ドン・ピエール・ペリニヨン。1668年のことである。執務長に任命された彼は、品質の高いワインを生産することを目指した。品質の高いワインとはすなわち泡立たないワインのことだ。彼はその後の人生の大半を泡との戦いに費やすこととなる。
音楽とバレエを愛した太陽王

ところで、これもまた意外に思われるだろうが、古くからシャンパーニュ地方で生産されていたワインは赤ワインがほとんどだった。その薄い赤茶の色合いから「山ウズラの目」と呼ばれていたワインは、シャンパーニュ地方のランス大聖堂で行われた歴代フランス王の戴冠式でも供されてきた。それを若き日のルイ14世も口にし、王のお気に入りとなった。絶対王政の時代である。王のお気に入りは皆のお気に入りとなった。
若き王はまたバレエも愛好した。この辺りの模様はジェラール・コルビオ監督の映画『王は踊る』(2000年)で詳しく描かれている。太陽の化身として踊る王は、音楽とバレエを通じて自らの権力を誇示したのだ。1653年パリのプティ・ブルボン宮で上演された《王の夜のバレエ》は、その象徴的な作品である。この舞台で王と共に踊ったジャン=バティスト・リュリ(1632-1687)は、この作品の一部を作曲したと伝えられる。フィレンツェ生まれのリュリはそれ以降、王のお気に入りとなり、国王付きの音楽家として隆盛を極めていく。数多くの「バレエ・ド・クール」(歌も伴った一種の舞踏劇)のほか、劇作家モリエールが台本を書いた「コメディ・バレエ」(舞踏喜劇)、「トラジェディ・リリック」(抒情悲劇)と呼ばれるフランス様式のオペラなど、王宮で繰り広げられた祝祭のための音楽を作曲し、王の栄華を讃えたのである。
しかし、リュリの晩年は悲劇的であった。ルイ14世は王妃が死去すると、マントノン侯爵夫人と私的に結婚する。敬虔なカトリック教徒であった夫人の影響を受けた王は、リュリのスキャンダルに嫌悪感を示し、彼を遠ざけるようになった。もはや王のお気に入りではなくなった彼は、懸命に寵愛を取り戻そうと、王の病気平癒を祈って《テ・デウム》を指揮するのだが、その最中、勢い余って指揮杖で足を突いてしまい、その傷が元であっけなく亡くなってしまう。このエピソードはよく知られているので、ご存じの方も多いだろう。
さて、好みが変わるのは王だけではない。ワインに話を戻すと、人々の嗜好も変わって、発泡性のワインも徐々に好まれるようになってきていた。イギリスではワインに加糖してから瓶詰めしてあえて発泡させるようにもなっていたという。
ドン・ピエール・ペリ二ヨンのそれまでの苦労は一体なんの為だったのだろうか。高品質な泡立たないワインのために、幾多の工夫を凝らしてきたのに、泡立つワインが好まれるようになるとは! とはいえ彼の試行錯誤の数々はけっして無駄ではなかった。地下の貯蔵庫での温度管理、黒ブドウから白ワインを造りだす製法の開発、異なる畑のブドウをブレンドする技法など、彼の試行錯誤から生まれた技と知見によって、オーヴィレール修道院のワインの品質はいまや格段に向上していた。そして今度は泡立つワインのために瓶の栓に初めてコルクを用いるなど、飽くなき探究心で「シャンパーニュの誕生」に貢献したのである。

2015年は、穏やかな冬を経て、春には氷点下の寒波、5月中旬からは長期間の熱波に見舞われ、8月には過去最高に暖かい夏を迎えるも下旬より雨に恵まれるという、対照的な気候に特徴づけられた年。9月7日から3週間にわたり収穫されたブドウは、収穫量は抑制されたものの、落ち着きのある力強さに富み、濃く、豊かな触感の味わいに。時を経て誕生した「ドン ペリニヨン ヴンテージ 2015」は、口に含めば内なる熟成感が長く響いて広がり、刺激と安らぎを交互に重ねながら水平方向に開き、満たされていくーー。まさにドン ペリニヨンの真髄を体感できる逸品。「ドン ペリニヨン ヴィンテージ 2015 ギフトボックス」750ml、¥38,940
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<参考文献>
ジェラール・リジェ=べレール『シャンパン 泡の科学』(立花峰夫訳、白水社、2007年)
今谷和徳・井上さつき『フランス音楽史』(春秋社、2010年)
デズモンド・スアード『ワインと修道院』(朝倉文市・横山竹己訳、八坂書房、2011年)
ドン&ペティ・クラドストラップ『シャンパン歴史物語』(平田紀之訳、白水社、2007年)
Vol.5 「くるみ割り人形」金平糖の精と
「ルイ・ロデレール クリスタル」の金色の泡
プティパ、ホフマン、デュマ、そしてチャイコフスキーが織りなす夢物語

今年も早いものでもう12月。街はクリスマスの飾り付けで彩られはじめた。クラシック音楽で年末の風物詩というと、日本では《第九》かもしれないが、ヨーロッパでは《くるみ割り人形》だ。
クリスマスを舞台に、少女クララがくるみ割り人形(お菓子の国の王子)と繰り広げる夢物語は、ドイツ・ロマン派の幻想文学作家E. T. A. ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』が原作で、フランスのアレクサンドル・デュマ(父の作とも父子の共作とも)が翻案した『はしばみ割り物語』を元に、ロシアのマリインスキー劇場の振付師マリウス・プティパが台本を書いた。音楽は言わずと知れたピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)。《白鳥の湖》《眠れる森の美女》と並び、彼の3大バレエと称されている。
フランス生まれのプティパ(1818-1910)は、1869年からマリインスキー劇場の首席振付師を務めていた重鎮で、1890年に初演された《眠れる森の美女》も彼の振付。また初演後お蔵入りとなっていた《白鳥の湖》の再演も手がけるなどチャイコフスキーとの縁は深い。プティパは音楽とバレエ台本の一致を目指した。作曲を依頼した際に、ここは「何分の何拍子で何小節」という具合にバレエ全編にわたって細かい指示を与えたという。舞台と音楽がなんとなく一緒に進んでいくのではなく、物語と音楽の統一、バレエの動きと音楽との合致という難しい要求に応えたチャイコフスキーの職人芸も素晴らしい。
洒落た飲み物とお菓子が勢ぞろい。珠玉の名曲をひもとくと・・・

ここからは名曲揃いのこのバレエの聴きどころ、見どころを順にご紹介していこう。まずは、「序曲」。冒頭のヴァイオリンとヴィオラだけで奏でられる可愛らしいメロディーで、聴衆はおとぎ話の世界へ一気に引き込まれる。ヴィオラが16部音符で忙しく動き回ると、それにフルートとクラリネットが応える。まるで細密画を見ているかのような精緻なオーケストレーション。途中、ヴァイオリンが演奏する夢見心地の旋律も素敵だ。終始軽やかなまま序曲は終わり、幕開けとなる。
序盤に登場する「行進曲」は、子どもたちの踊り。チェロやコントラバスのような低音を担当する弦楽器にはピッツィカートという弦を指で弾く奏法を多用するなど、音楽が重くならないような工夫が凝らされている。その後、クリスマス・パーティーの様子が描かれ、子どもたちは就寝の時間。ここからは夢の中の物語となる。ネズミとくるみ割り人形の戦いの場面。音楽もおどろおどろしくなっていく。ただし、シリアスになりすぎないところがさすが。少女の夢物語という内容を逸脱しない音楽付けの妙を味わいたい。第1幕のラストシーンで、クララはくるみ割り人形から変身した王子に連れられてお菓子の国へと向かう。雪の精たちが舞うコール・ド・バレエと呼ばれる群舞が圧巻だ。
第2幕は踊りの見どころ満載。そこに皆さんきっとどこかで耳にしたことがあるだろう有名なメロディーが華を添える。チョコレート、コーヒー、お茶といった当時流行していた飲み物の踊り。それぞれスペイン、アラビア、中国風の音楽で彩られている。ロシアからは「トレパック」という飴菓子(生姜入りパンのお菓子という説も)の踊りが披露される。「葦笛」はフランスのアーモンド風味の焼菓子の踊りだ。これらディヴェルティスマンと呼ばれる踊りの後、有名な「花のワルツ」を挟んで、クライマックスであるパ・ド・ドゥ。その導入部イントラーダの優美で豪華な旋律と踊りは必聴・必見。短いが、ヴァリアシオンで王子が踊るタランテッラも見逃せない。
続く金平糖の精が舞う「金平糖の踊り」で、チャイコフスキーは発明されたばかりの楽器「チェレスタ」を使用した。アメリカへの演奏旅行の途中立ち寄ったパリで出会ったこの新しい楽器は、オルガンのような形をしており、鍵盤を弾くと、内部にある金属製の音板をフェルトで巻いたハンマーで叩いて音が出る仕組みになっている。「天国的な」という語源の通り、甘く柔らかくも神秘的な音がする。儚く幻想的な響きはまるで、シャンパンの泡のようだ。今年のクリスマスは、ロシアの皇帝も愛したというルイ・ロデレールの「クリスタル」を味わいながら《くるみ割り人形》の美しい踊りと音楽に酔いしれたい。

1876年、ロシア皇帝アレクサンドル2世の要望により誕生した特別なシャンパーニュ。この年、チャイコフスキーはフランスを旅し、パリを訪れているが、この透きとおったボトルに満たされたシャンパーニュの噂を耳にしたりしたのだろうか。街をイルミネーションが彩るホリデーシーズン、金色の光と泡を放つ美酒で高揚のひとときを。『クリスタル 2015』¥57,200/ルイ・ロデレール
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野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。
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マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当。
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