TEXT BY YUKIHIRO NOTSU, ILLUSTRAION BY YOKO MATSUMOTO

紆余曲折を経て、≪美しき青きドナウ≫へ
今年、生誕200年を迎えるヨハン・シュトラウスII世(1825-1899)。数々の名作ワルツの中でもとりわけ有名なのは《美しく青きドナウ》だろう。ところが、このワルツ、作曲された当初はドナウ川とは何の関係もなかったのである。
ドナウ川の源流は、ドイツ南西部の「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルト地方に湧き出でた小さな泉にある。はじめブレク川と称して南東へ流れ出し、ドナウエッシンゲンでブリガッハ川と合流してドナウ川と呼ばれるようになる。その後、東北へ向きを変えて、いくつかの川と合流し、さらには東南へと向かい隣国オーストリアに入る。リンツを通りウィーンへ向かう途上、ドナウ川を迎えるのが美しいヴァッハウ渓谷だ。中世の街や修道院が残り、世界遺産にも登録されたこの地域は、またワインの産地としても知られる。全長2857 kmという長大な河川はオーストリアからハンガリー、スロヴァキアへと流れ、南下した後、再び東へ、最後はルーマニアで黒海に注ぐ。
しかし、いくら関係ないと言われても、《美しく青きドナウ》の序奏でヴァイオリンとヴィオラのトレモロに乗せて主にホルンとチェロがゆったりとワルツの旋律を奏で始めると、どうしても大河ドナウの滔々とした流れ、水面のきらめきを連想せずにはいられない。
そこで、この作品の歴史を繙いてみると、なんと元々はウィーン男性合唱協会の委嘱で1867年に完成した合唱曲なのだ。そこには当然、先ほどの弦楽器もホルンも登場しない。初めは無伴奏の曲で、追ってピアノ伴奏が書き加えられたという。誰しもがドナウ川をイメージするであろう序奏は、この時点で追加された。歌詞はヨーゼフ・ヴァイルによって書かれたが、その内容は、1866年の普墺戦争に敗れたオーストリアを皮肉めいた調子で励ますというもので、そこにはドナウのドの字も出てこない。
ではなぜ、それが《美しく青きドナウ》と名付けられたのだろうか。一説によると、このタイトルはシュトラウス自身による命名で、ハンガリーの詩人カール・イシュドル・ベックのドナウ川のほとりで恋を歌うロマンティックな詩に由来するものだという。ということは、シュトラウスはやはりドナウ川をイメージしてこの曲を作ったのだろうか。そこへドナウ川とは全く関係のない歌詞がつけられてしまった、というのが真相なのかもしれない。
合唱版のこのワルツは、すぐさま作曲家自身によって管弦楽版が作られ、同年パリで行われていた万国博覧会でも演奏されて大好評となり、世界へと広まっていった。そして、1890年にはフランツ・フォン・ゲルネルトによるドナウ川を讃える新たな歌詞が付けられ、「第二の国歌」としても歌い継がれている。
「泡立つほどフランケンワインを注いでくれ」

さて、シュトラウスの作品で、もう一曲合唱版から管弦楽版が作られて人気となっている曲をご紹介しよう。《酒、女、歌》というこの連載にはぴったりのタイトルのワルツで、1869年ウィーン男声合唱協会のために作曲された。かのワーグナーやブラームスも愛好したとされる作品である。
「酒と女と歌を愛さないものは一生愚か者」という古い格言に基づく詩にシュトラウスが音楽を付けたもので、作品の半分を占める長大な序奏が魅力的だ。序奏の冒頭にはAndante quasi religiosoと書かれており、「andante=歩くような速さで、緩やかに」に「quasi religioso=宗教的な雰囲気、厳粛に」と付け加えられているのが大変ユニーク。穏やかで美しい旋律で始まった序奏は、やがて転調し速度を上げて盛り上がり、荘重なマーチで締めくくられて、ワルツの始まりとなる。後半のワルツの部分は、第1から第4ワルツまでで構成されており、第1ワルツはワイン讃歌となっている。歌詞には「泡立つほどフランケンワインを注いでくれ」とある。
フランケンワインはドイツのバイエルン州北西部で生産されるワインで、丸く平たい形状の特徴的なボトルに瓶詰めされるので、見てすぐにそれとわかる。辛口の白ワイン、シルヴァーナーに代表される力強さが持ち味だ。その当時、ドナウ川を船でウィーンまで運ばれていたのであろう当時を偲びつつ、シュトラウスの名曲とともに味わいたい。

シュテアライン&クレニッヒはフランケン地方のランダースアッカー村で、家族経営で営まれる醸造所。2億年前の三畳紀の貝殻石灰岩土壌由来のミネラルを豊富に含む南向きの急斜面で、除草剤、殺虫剤、化学肥料を一切用いず、完全有機栽培で育てられ、機械ではなく鍬を用いて収穫されるブドウからつくられる稀少なワインはその名も「太陽のこしかけ」。悠久の時に育まれたテロワールを映し出す古き良きフランケンワインを、ワルツ王の傑作とともに味わい、たゆたうようなひとときを。ランダースアッカー ゾンネンシュトゥール ジルヴァーナー(E.L.)750ml ¥5,500
COURTESY OF HERRENBERGER-HOF
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TEL. 072-624-7540
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<参考文献>
小宮正安『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』(中公新書、2000)
加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』(日本放送出版協会、2003)

野津如弘(のつ・ゆきひろ)●1977年宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、東京藝術大学楽理科を経てフィンランド国立シベリウス音楽院指揮科修士課程を最高位で修了。フィンランド放送交響楽団ほか国内外の楽団で客演。現在、常葉大学短期大学部で吹奏楽と指揮法を教える。明快で的確な指導に定評があるとともに、ユニークな選曲と豊かな表現が話題に。
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マツモトヨーコ●画家・イラストレーター 京都市立芸術大学大学院版画専攻修了。「好きなものは各駅停車の旅、海外ドラマ、スパイ小説、動物全般。ときどき客船にっぽん丸のアート教室講師を担当。
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