TEXT & PHOTOGRAPHS BY YUMIKO TAKAYAMA

「香林農園」の赤澤邦夫さん(右)、智子さん。智子さんは帯広畜産大学畜産学部で学んだ
山羊チーズが好きになったのはいつからだろう。20代の頃に都内のフレンチビストロで焼いたシェーブルチーズのサラダを食べて、その独特の香りに取りつかれ、以来、メニューにあると必ず頼むサラダになり、チーズ専門店で山羊チーズフェアがあると聞けば全種類制覇するぐらい、大好物になった。

春から秋は山羊と牛を山に放牧し、そのミルクで作ったチーズはやさしい味わい。下段中央から時計回りに、山羊チーズの「ポンヌプリ」¥1,392、山羊乳と牛乳を半分ずつ混ぜてつくった混乳セミハードチーズ「エシ坊」(混乳ならではの独特の風味が感じられ、加熱するととろ~りと溶ける)¥2,950、牛チーズの3か月熟成させたセミハードチーズ「カムエク」¥928、赤ワインウォッシュ「キロンヌ」¥982、塩水ウォッシュの「カパラ」¥885 ※香林農園では小売りをしていないので、帯広空港や帯広の「とかちむら産直市場」ほか、インターネットでお買い求めを。
「うちの大学の卒業生が、十勝で山羊チーズを作っているから会ってみるといいよ」と、友人の筑波大学の先生から聞き、「山羊チーズ!」とはやる気持ちを抑えきれないまま、「香林農園」を訪れた。帯広市郊外の日高山麓を上がったところに現れたのが、山羊30頭(4月に生まれた子山羊は35頭)、牛3頭の小さな農園。

「香林農園」の家のリビングの窓から見える風景。放牧されている山羊が向こうに見える
笑顔で出迎えてくれたのが、赤澤邦夫さんと妻の智子さん、智子さんのお母さんである腰山真理さんだ。ドラマ『北の国から』に出てくるような、雰囲気のあるセルフビルドの木造の家におじゃましたら、台所から山羊が草を食むのが見えた。「ここから見る風景が大好きなんです」と邦夫さん。気分はまさに『アルプスの少女ハイジ』の世界観だ。春から秋にかけては山羊や牛を放牧し、放牧地の青草や山の野草を食べさせているそう。

先頭の赤いキャップをかぶっているのが邦夫さん。放牧地に向かって、山羊たちが列になってついていく
放牧地に邦夫さん、智子さんが連れて行ってくれた。邦夫さんが「メェーメェー」と叫ぶと、山羊たちは一斉に邦夫さんのいるところに集まってくる。牛3頭も一緒にやってきた。先頭を歩き山羊を引き連れて移動する姿は「十勝のペーター」さながらだ(わからない方、すいません)。山に入ると山羊たちは一心不乱にイタドリや山菜のこごみをはむはむ食べている。山菜を食べた山羊のミルクで作るチーズはおいしそうだなぁ。

ミルクを飲む子山羊たち
4月に生まれたばかりの子山羊はまだ放牧には早く別の小屋にいる。哺乳の時間に智子さんたちが交代でミルクをあげるのだが、35頭もいるなか、「この子はミルクを飲んだ子、この子はこれからの子」というのをちゃんと把握しているからすごい。そして、私の上着の裾をはむはむかじる子山羊たちもいて、子山羊は人間の子と一緒で好奇心が強い子もいるんだな、と納得(実はニニウファームの子羊たちにも囲まれては、かじられていた)。
「香林農園」の山羊チーズは、智子さんの父・通彦さんが1984年に地域で始動した、山羊チーズを作る山羊牧場に、山羊飼いとして参加したのが始まり。当時、山羊チーズは知名度が低くあまり売れなかった。1996年に山羊牧場が解散するという話になり、通彦さんが営んでいたハーブや有機野菜の農園「香林農園」で引き継ぐことになったそう。チーズづくりは海外の専門書を紐解いて研究。使用するのは乳のほかレンネット (凝乳酵素)と乳酸菌、塩だけ。殺菌作業などは機械を使うが、ほぼ手作業だ。山羊チーズで生計を立てるのは困難だとわかっていながら、山羊牧場を引き継ぐ決心をしたのはなぜだろう。
「夫は山羊との暮らしが楽しかったみたいですね。『アルプスの少女ハイジ』にも憧れていたみたいですし(笑)。経済的には大変でしたが楽しかったです」と真理さんは笑う。チーズの販売が軌道にのらなかった当初は、真理さんが農場へバイトに出たりもしたとか。自分たちで食べる分の肉や野菜は作ったり、近所の生産者とお裾分けしあったりと昔ながらの生活で、食料はどうにかなるのが十勝のいいところ(うちもいただいた野菜で生きながらえています)。そして、宣伝をほぼしていなかったにもかかわらず、「香林農園」のチーズのファンは徐々に増えていったという。

子山羊にミルクを飲ませる真理さん。20代はひとりでシベリア鉄道に乗ってロシアやヨーロッパ、インドを旅するなど、バックパッカーだった時代も
2020年10月に通彦さんが病気で他界。家族会議の末、「香林農園」は真理さんと智子さんで続けることになった。「私は物事をネガティブに考えちゃう傾向があって、父がいなくなってどうしようと悲観的になっていたんですが、母が『私がやる!』と言って。母は悲しいことや辛いことがあっても、“なんとかなる”と前向きに考えられる女性。私と真逆なんです」と智子さん。「父からはしっかりチーズづくりの工程を叩き込まれたというよりは、チーズを扱うちょっとしたコツ、ちから加減みたいなものを教えられて、今それが役立っています。最初の工程でカード(凝乳)を攪拌する作業があるんですが『できるだけやさしく、赤ちゃんに接するように』ということを言っていましたね。記憶に残っているエピソードがあって、その作業をイライラしながらやっていたときがあったんです。そしたら父に『今日はもうやらなくていいよ』と言われて。造り手のちょっとした感情の乱れなどがチーズの出来上がりに影響してしまう。自分でチーズを作るようになってそれは実感しましたね」

生まれて2週間ほどの子山羊。か弱い声で「メェ~」と鳴くと、どこからか「メェ~」とお母さんの声が。母性が強い動物だと感じる一コマ
通彦さんが亡くなってから3年の月日が流れ、「香林農園」に救世主(!?)が現れた。邦夫さんである。当時、東京の大企業で働いていた邦夫さんは友人を訪ねて十勝を訪れ、食事会で智子さんに会い、ふたりは恋に落ちる。半年ほど遠距離恋愛を続けたあと、邦夫さんは会社を辞めて十勝に移住、そして昨年6月に結婚!
「付き合うようになって初めて香林農園に泊まった朝に、彼女がコーヒーを淹れてくれたんです。やさしい光がリビングの窓からたっぷり入って、外の景色がキラキラしていて。『ああ、彼女からこの場所を奪うことはできないな』って思って、僕が移住することを選びました」

ブラウンスイス種の3頭。通彦さんが病気に倒れたときに、世話をするのが難しく一度は手放したが、智子さんと邦夫さんの結婚を機にまた牛を飼い始めて、牛チーズの生産を再開した
邦夫さんの担当は、山羊飼い、牛飼い、熟成庫の管理、餌場や小屋の修理などのDIY、経理、家庭菜園など。真理さんが天性の“幸せ感じ上手”(知人が命名)だとしたら、邦夫さんも同様、人生を丸ごと楽しむタイプ。楽観主義かつパワフルな生命力が2人分になって、智子さんのネガティブ思考もかなり緩和された。「母が自然のいろんな変化に目を輝かせ、邦夫さんが山羊や牛たちと楽しそうに仕事をしているのを見ると、なんだか幸せだな、って感じるんですよね」と智子さん。

チーズの熟成庫。チーズ工房と共に住まいの地下にある。
COURTESY OF KARIN FARM

山羊のフレッシュチーズ。牛乳からできたタイプよりあっさり。ご近所の「十勝ときいろベリーファーム」のラズベリージャムと。わけてもらった残りは生地に混ぜてふわふわのパンケーキに。フレッシュチーズは催事・イベントで小売販売。そのほか飲食店向けに製造している
お待ちかね、チーズボードに並べられたチーズは、素朴で温かく、やさしい雰囲気を醸し出している。お目当ての山羊チーズは、「ポンヌプリ」というフランス産の「クロタン・ド・シャヴィニョル」に似たフレッシュタイプ。山羊チーズ特有の香りは透明感があって、若草の青々しい風味を感じさせる。きれいな余韻は日高山麓の水の美しさも関係しているのだろう。牛チーズの3か月熟成させたセミハードチーズ「カムエク」はまろやかなコクがあり、赤ワインで洗いながら熟成させている「キロンヌ」は芳醇な香りがありつつもあっさり。山羊や牛が放牧されている景色を眺めながら、そのミルクを使って、ひとつひとつ大切に作っているチーズが食べられるなんて、なんて贅沢なことだろう。

邦夫さんと新相棒の子犬の「熊夫」。「毎日、朝から晩までやることがたくさんあって、身体はきついし、お金もないけど、楽しくて。動物との暮らしやチーズづくり、家族の時間があるからだと思っています」と邦夫さん
「生前の義父に会えなかったんですが、彼の意志は引き継ぎたいと思っています。義父は “牧歌は永遠の伝統”ということを言っていたんですが、僕たちがやっている山羊と牛との生活は、何千年前からこういった暮らしがあって、今も変わっていない。ここでの牧歌的な生活は父が築いたもので、その延長線上にチーズづくりがあるんですよね。山羊や牛の頭数を増やして機械を使えば、チーズもたくさん作れるけど、そこじゃない。この生活スタイルを続けていくことが僕たちには大切なんです」と邦夫さん。

智子さんがいる方に、「移動の時間なのね」と一心不乱に走ってくる山羊たち。飼い主と意思の疎通ができているのが不思議
食べた途端、牧歌的な風景が目に浮かぶチーズ。「香林農園」のチーズを食べるたびに、農園での穏やかな時間を思い出すだろう。そしてまた「香林農園」の人々に会いに来たいと思うのだ。
「香林農園」
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高山裕美子(たかやま・ゆみこ)
エディター、ライター。ファッション誌やカルチャー映画誌、インテリアや食の専門誌の編集者を経て、現在フリーランスに。国内外のローカルな食文化を探求することがライフワーク。2024年8月に、東京から北海道・十勝エリアに引っ越してきたばかり
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