BY FRANK BRUNI, PHOTOGRAPHS BY MARI MAEDA-OBOSHI AND YUJI OBOSHI, SET DESIGN BY SARAH POSSAMAI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
※記事中の日本円は2026年2月20日現在のレート(1ドル=約155円)をもとにし、100円単位で四捨五入して表記しています。

ニューヨークで最も人気がある(かつ価格が高い)鶏肉料理の数々。
左上から時計回りに:クラウン・シャイの柑橘系のマリネで和えたグリル・チキン、香辛料ソースつき。メゾン・パサレルのロースト・ファーム・チキン。添えられているのは塩漬けレモン、グリーンオリーブ、スービーズ(玉ねぎ主体の白いソース)、ラスエルハヌート(主に北アフリカなどで使われるミックススパイス)、ハリッサ(北アフリカの香辛料ペースト)。カフェ・コマースのハロルドズ・フェイマス・チキンの丸焼き。中にはフォアグラ・ブレッドが詰まっている。フォー・トゥエンティ・ファイブのロースト・オーガニック・チキン。こしょうの実3 粒、レモンコンフィ、マッシュポテトにチキンの焼き汁を添えて
私たちはみなが同じ方向に顔を向けて互いに肩を寄せ合って興奮しながら、目を輝かせて待っていた。私たちの姿はもしかしたら、生まれたての赤ん坊が目の前に運ばれてくるのを切望する人間の集団に見えたかもしれない。だが、ここは夕食時に客で混み合っているマンハッタンのレストランの中だ。我々はもちろん、半身分をまるごと焼いたローストチキンを待っていたのだ。
「この一品を迎える準備はいいかい?」とボルゴの料理長のエリジャ・ターロウ(24歳)が尋ねる。この店のオープンキッチンの隅にある薪オーブンの中で、聖なる鶏がじっくりと焼き上げられていた。彼はほかの数人の料理人とともにキッチンに立ち、この主菜に自らが込めた隠し味の数々について饒舌に語った。鶏肉はまるでゆりかごのような専用の鋳鉄製の調理板の上に、皮の部分を下にして置かれていた(最高のクリスプ感を出すためだ)。白い肉の部分がオーブンの炎から最も遠くなるように計算して配置することで、焼きすぎを避けるのだ。ターロウは、私がこれから味わう一品のありがたみを感じることを望んでいた。そして、彼はなぜこの料理がボルゴのメニューの中で最高級品に位置づけられているのかを私に理解してほしかったのだ。この料理につけた51ドル(約7,900円)という価格を正当化するためにも。
皿の上にのっているのは、胸肉、もも肉、骨つきもも肉と手羽先肉だけで、つけ合わせや豪華な飾りは何もない。鶏肉の間にはごくわずかなパン粉と玉ねぎと鶏の脂身で和えたキャベツ片がいくつか置かれているだけだ。以前の私だったら、東27丁目にあるこのボルゴで、この料理にこんな高値がついているのを見たら、驚愕してため息をついていただろう。だが、時代は変わった。ニューヨークでレストランを経営するのにかかる経費はとんでもなく高騰してしまった。ブルックリン地区ウィリアムズバーグにあるレストラン、ザ・フォー・ホースメンのすぐ真向かいにある後継店、イ・カヴァッリーニで数日前に食べた半身の鶏料理の肉の量はもっと少なく、さらに少量のつけ合わせしか添えられていなかったが、それでも49ドル(約7,600円)支払った(イ・カヴァッリーニはイタリア語で「小さな馬たち」の意味だ)。ボルゴとイ・カヴァッリーニで夕食を味わう合間に、ウェスト・ヴィレッジにあるフレンチ・ビストロのジミズに立ち寄ったときには、前述の2 店の品より小ぶりに見える半身の鶏肉料理に52ドル(約8,100円)を支払った。その皿には、赤ピーマンやそのほかの色鮮やかな素材が、まるでシルクのリボンのように飾りとして添えられていたが、たとえそうだとしても、ジミズは家庭的なこぢんまりとした雰囲気が売りなのだ。そんな店が、なぜそこまで鶏肉料理に強気な価格をつけて勝負することができるのだろうか?
今、アメリカのレストラン業界の中心地であるこの街では、鶏肉料理の値付けが史上最高レベルを突破している。イースト・ヴィレッジにあるインド料理店アッダでは、バター・チキン・エクスペリエンスというメニューが看板料理で、最大6 人までのグループ客に一人当たり42ドル(約6,500円)で提供している。フラットアイアン地区にある社交的な雰囲気とシャンパンを前面に打ち出すことで知られているレストラン、ココダックでは、キャビアをあしらったフライドチキンのナゲットを、ひとつ28ドル(約4,300円)で普及させようとしている。鶏肉料理がイメージチェンジを遂げれば、価格も高騰する。たとえば普通のチキンに豪華なアクセサリーを加えた場合─フォアグラのスライスや、ポルチーニやシャンテレル(アンズタケ)などのキノコのつけ合わせ─を添えれば、価格が跳ね上がるのは、まあ説明がつく。だが、これまでとまったく違うのは、ごく普通の当たり前のローストチキンが、贅沢品に変身してしまったという現象なのだ。
鶏肉料理はかつて、中流家庭の典型的な食事として位置づけられていた。1920年代の共和党のキャンペーン広告では「すべての家庭の鍋に鶏肉を」というフレーズが使われ、また、ノーマン・ロックウェルが七面鳥の丸焼きを囲む家族の姿を『飢えからの自由』という絵画で描き、その絵は第二次世界大戦中のキャンペーンとしても使われた。そんな存在だったチキンが、一体どうして今、食通としてのステイタスや特権階級を象徴するような料理になってしまったのか? かつてメニューの片隅で頼もしい代用品として存在していた鶏肉料理が、いつスター料理として生まれ変わったのか?
さらに、ニューヨーク市内に数多く存在する話題の新しいレストランにちょっと寄るだけで、客がとんでもない大金を払わされるような事態に、一体いつからなってしまったのか? しかも鶏肉料理の価格は単に伝票の中の1 項目にしかすぎず、カクテルやアペタイザー、ワイン、デザート、チップや税金などすべてを足すと、一人当たり200ドル(約31,000円)以上の支払い額になるのはザラだ。そしてそれはニューヨークに限ったことではなく、生活費が高いほとんどすべての大都市でも同じことだ。どの大都市でも、最も人気のあるレストランでは、まるで判で押したように鶏肉料理の価格が高騰している。
ロサンゼルスでは半身のローストチキンに50ドル(約7,800円)近く払うのは珍しいことではなく、それ以上支払わなければならないこともある。サンタモニカにあるパスジョリでの価格は64ドル(約9,900円)だし、ハンコックパークのリパブリークでは72ドル(約11,200円)だ。また、ロンドンの多くのレストランでは、もはやニューヨークの相場が安いと思えるほどだ。ザ・コノート・グリルでは、鶏の半身の串焼きが60ドル(約9,300円)程度はするし、ドーヴテールでは鶏の丸焼きは約127ドル(約19,700円)。ブション・ラシーヌに至っては、その晩の飾りつけやつけ合わせの品目にもよるが、鶏の丸焼きに180ドル(約27,900円)の値段がつくこともあるのだ。
鶏肉といえば、私たちが自宅で頻繁に調理する素材であり、自炊すればレストランの一品と比べて圧倒的に安い値段ですむアイテムだ。だが、この比較はそもそも意味があるのだろうか?
我々が自宅で作る鶏肉料理は、たとえばアッパー・イーストサイドにあるカフェ・コマースで、シェフ兼共同オーナーのハロルド・ムーア(52歳)が手がける私の大好物の丸焼きのローストチキンと比べれば、色艶のない模造品みたいなものだろう。彼が作る二人前の鶏肉料理は汁気がしっかりあって風味に富んでおり、臨終の際にこの世の最期の食事として選んでも後悔しないぐらいの味だ。私がこの皿の最後のひとくちを口に運ぶ頃には、99ドル(約15,300円)という価格はむしろ正義の味方のように思えてきた。100ドル(約15,500円)を超える鶏肉料理がちまたにあふれる中で、二桁の値段を守り抜いて客に温情を施しているわけだし。また、ファイナンシャル地区にあるメゾン・パサレルのシェフ、グレゴリー・ゴーデット(50歳)が作る半身の骨なしの鶏肉料理に49ドル(約7,600円)の価格がついているのも、常軌を逸しているとは言えない気がしてきた。熟す前の青いオリーブを収穫して塩漬けにしたグリーンオリーブや、レモンの塩漬けや辛口ペーストのハリッサなどを駆使して彼が作り出す北アフリカ料理のスリリングさを一度味わってしまったあとでは。
これらの要素が価格に見合う妥当なものだと、誰が計算することができるだろうか? 料理人のプロ意識や、客が贅沢をして自分を甘やかすことや、ほかの客たちを眺めて楽しむ行為など、レストランにつきものの体験の価値を一体どう測るのか? ボルゴの鶏肉はきっちり51ドル(約7,900円)分の喜びを私にもたらしてくれるのだろうか? ボルゴで、私はエリジャの父親であり店のオーナーでもあるアンドリュー・ターロウ(55歳)の隣に座ってこの鶏肉料理を味わった。私はアンドリューにも私の皿から味見するように強くすすめた。私はまず、煮つめたソースでほどよく照りが出るまで味つけされたもも肉を味わってから、かすかに皮が焦げる程度に加熱された胸肉を口にした。その時点で、私はとんでもない過ちをおかしてしまったことに気づいた。一皿まるごと全部ひとりで独占して食べたいことに気づいたからだ。
鶏が最高級食材に上り詰めるまでの道程の起源は、第二次世界大戦時にさかのぼる、と提唱するのが、著書『ニワトリ 人類を変えた大いなる鳥』(2014年/インターシフト)を出版したアンドリュー・ロウラー(64歳)だ。ロウラーいわく、戦時中は海外の戦地に送られた兵隊たちに赤身肉を輸送する必要があり、そのぶん米国内では食糧規制がなされ、牛肉や豚肉や羊肉を好んでいたアメリカ人たちが、鶏肉をより食べ始めるようになったのだそうだ。そして全米で増えた鶏肉消費量は終戦後も減少することはなかった。そのトレンドを利益につなげようと、A.&P.というスーパーのチェーン店と米国農務省が共同で「明日のチキン」コンテストを主催し、より肉厚でむっちりと太った鶏を生産するようにブリーダーたちを競わせた。当時の鶏は細くてガリガリなのが一般的だったのだ。
「それは、いわばマンハッタン計画のチキン版だったんだ」(註:マンハッタン計画は、第二次世界大戦中に原子爆弾開発を目的とした極秘の米軍事プロジェクトのこと)とロウラーは言う。「明日のチキン」コンテストは1946年から1948年まで開催され、現在の私たちがこだわる、脂ののったもも肉や豊かな胸肉をもたらすことにつながったとロウラーはつけ加える。そしてプロ意識の強いシェフたちは鶏肉の利用法を見直し始めた。特に、ごくありふれた素材を使って自らの才能を発揮したいと願っていた料理人たちは、ローストチキンを頻繁にメニューに登場させるようになった。1970年代にはアリス・ウォータースが産地から食卓へというコンセプトのもとにカリフォルニア州のバークリーに作ったシェ・パニースにローストチキンを食べに行く客が出始め、そんな客たちは1980年代になると、サンフランシスコのズニ・カフェに足繁く通うようになった。そこではウォータースのもとで修業したシェフのジュディ・ロジャースが、薪オーブンを使って鶏をまるごと焼き、皮がほどよくカリカリになった状態で取り出し、温かいパンで作ったサラダの上にその鶏肉を切ってのせた。テレビ番組で活躍するシェフのアイナ・ガーテンいわく、彼女が何十年も前に鶏肉料理を食べに行くために、タクシーの運転手にズニの店名を伝えたところ、運転手は即座に「ローストチキンを食べに行くんだろ?」と言ったそうだ。
ニューヨークにもローストチキンにまつわる独自の逸話がある─もうひとりのシェ・パニース出身のシェフ、ジョナサン・ワックスマンが1980年代にマンハッタンのアッパイーストサイドに開いた店ジャムズもローストチキンで名を馳せたし、その10年後にキース・マクナリーがソーホーに開いたバルサザールでは、つややかに輝く二人前の鶏肉料理が客席まで香ばしい匂いを漂わせて運ばれていくのを、客たちは羨望の眼差しで見ていたものだ。
私が2004年にニューヨーク・タイムズ紙のレストラン批評チームのチーフになった頃には「アポイントメント・チキン」(会食の際はとりあえず鶏肉料理で)という概念が浸透していた。覚えているのは、イースト・ヴィレッジのモモフク・ヌードル・バーで何人かの友人たちと集まっては、デイヴィッド・チャンが作る2種類の鶏肉のスペシャル料理─南部風のフライドチキンと韓国風の味つけの鶏肉の盛り合わせ─を味わったことだ。私がレストラン批評家としての活動を休止して数年たった2012年には、鶏肉料理は現在のトップの地位の片鱗をもうのぞかせていた。マディソン・スクエアの北のノマド地区が話題になりはじめた頃、この地区と同じ店名のザ・ノマドが開店した。シェフのダニエル・ハム(49歳)は、客席のあるダイニングルームのすぐ横に二つめの厨房を建設した。二人前の丸焼きローストチキンを調理するための特注の薪オーブンを備えた空間だ。ハムは鶏をわざわざペンシルベニア州のアーミッシュ農家から仕入れていた。さらに生産者が鶏にさまざまな種類の餌を与えて飼育できるようにと、店で余った食材─とうもろこしやファッロ(古代小麦)やその他の穀物─を新鮮な鶏を毎日配達してくる農民たちに持ち帰らせた。
「食材がまわりまわって自分のところに帰ってくるって感じだった」とハムは言う。彼は鶏の肉と皮の間にフォアグラ、黒トリュフ、バターやブリオッシュ生地のパン粉などを混ぜたペーストを詰め込んで焼き上げた。その味は最高で─2013年発行のニューヨーク・マガジンのレストラン特集記事によれば「通常では考えられないほど高価だ」と評されている。当時の価格は79ドル(註:2013年当時の換算レート、1ドル約99円で計算すると約7,800円)だった。
それから12年以上たった今、アッパー・イーストサイドにある店、シェ・フィリでは、フォアグラがのった「半身の」ローストチキンの価格が78ドル(約12,100円)する。ワックスマンはローストチキンの隆盛をリアルタイムで体験した生き証人のようなレストラン経営者だ。彼の店ジャムズは1989年に閉店したが、その後継店のひとつ、バルブートは今でもウェスト・ヴィレッジで人気を博している。
バルブートの開店時から、ジャムズの頃以上にワックスマンが作る半身のローストチキンをめあてに客が集まるようになった。彼の鶏肉料理にはサルサ・ヴェルデと呼ばれる野菜から作った緑色のソースがかかっている。バルブートが成功したことで、2015年にはジャムズがミッドタウンに再オープンし、また昨年にはバルブートの2号店がブルックリンハイツに開店した。
この両方のレストランの一番人気の料理は何か、想像してみてほしい。「もし鶏肉料理を作らなければ、私はこの街から追放されるだろう」とジョナサン・ワックスマン(75歳)は私に言う。「いいかい、私の墓には死んだ鶏の頭部が置かれるに違いない。自信をもってそう言わせてもらうよ」。彼はこの街のほかの多くの店がチャージするような高額な値段をつけずに、人気の鶏肉料理を常連客たちに提供しようと奮闘中だ。今のところ、彼の店での価格は40ドル(約6,200円)を少し下回るあたりの価格でギリギリ推移している。
「自分はいまだに昔の時代の感覚で生きてるよ」と語るのは、イ・カヴァッリーニでエグゼクティブ・シェフを務め、同店の主な所有者のひとりでもあるニック・クゥルトラ(43歳)だ。ちなみに彼が言う「昔」とはほんの10年前のことを指す。「パスタの値段を20ドル(約3,100円)より高く設定してメニューに載せたとき、『これはさすがに常軌を逸している!』と思ったのを覚えてる。今じゃパスタに30ドル(約4,700円)や32ドル(約5,000円)の値段がついていても誰も驚きやしない。自分にとってはそのことのほうが、49ドル(約7,600円)の値段がついた鶏肉料理よりもクレイジーだと感じるよ」

左上から時計回りに:
ボルゴの薪オーブンで焼いた鶏肉。キャベツのピカタが詰め込まれている。イ・カヴァッリーニのロースト・ヘリテージ・チキン。つけ合わせは煮込んだにんにくと栗。バルブートのローストチキン、サルサ・ヴェルデ(緑のソース)添え。ジミズの鶏肉のバスク風煮込み
イ・カヴァッリーニで私が食事をした晩には、5 つの「一皿目の料理」がメニューに載っており、ニョッキが28ドル(約4,300円)でリゾットが33ドル(約5,100円)だった。店内の豪華な雰囲気を加味すればもっと高価な設定でも可能だったろう。イ・カヴァッリーニの客席はとても狭い。バーカウンターの席に座っていた私は、隣の客の身体に肘をぶつけないように、ナイフやフォークの動かし方に気をつけなければならなかった。
だが、ニューヨークでは空間自体が高価なのだ。需要の高い地区では商業用の家賃が物価上昇よりも速いスピードで値上がりした。クゥルトラいわく、彼が2015年に40席あるザ・フォー・ホースメンを開店したときには、月あたり5,000ドル(約77万5000円)の家賃でリース契約を結んだという。その10年後に70席ほどあるイ・カヴァッリーニを開店するときには、月家賃1 万5000ドル(約232万5000円)以上を払わなければならなかった。まったく同じ区画で、同タイプの店構え、かつ面積は元の2倍以下だが家賃は3倍に跳ね上がった。ニューヨークのレストランの不動産リース契約の専門家であるダニー・ヴォルク(47歳)と話したときに、彼はちょうどファイナンシャル地区にある床面積1 万5000平方フィート(約1400㎡)の2フロア分の物件を月家賃7万5000ドル(約1162万5000円)で、あるレストランの所有者たちに貸し出す契約を結んだところだった。また、彼はアッパー・イーストサイドにある床面積3000平方フィート(約280㎡)の物件を月3万ドル(約465万円)で貸し出す別の契約も成立させていた。それが現在の相場の金額であり、このアッパー・イーストサイドやファイナンシャル地区ですら、レストランの店舗家賃が最も高い場所ではないのだと言った。彼いわく、最も家賃が高いのは、ソーホー地区なのだそうだ。
だが、店舗家賃はレストランの営業経費のうちの半分にも満たない。10年ほど前はコックの時給は約15ドル(註:2016年当時の換算レート、1ドル約108円で計算すると約1,600円)だったが、今の相場はその50%増しだ。「時給27ドル(約4,200円)払うのが普通だって聞いたけど」とカフェ・コマースのムーアは私に言う。この数字の背景には、市の法定最低賃金が引き上げられたこと、またコック以外のレストラン労働者に対しても賃上げしたり、労働条件の改善をすべきだという業界全体の意識改革などがある。厨房以外でもウェイター、ソムリエ、バーテンダー、支配人など、さまざまな役割の人々が働いている。ちなみに2024年末に開店したボルゴの客席数は95で、そこに100人の従業員が働いている。
ファイナンシャル地区にある店、クラウン・シャイのエグゼクティブ・シェフのジャシムラン・シン(40歳)は、半身の鶏肉料理で名が知れている。彼の厨房では、肉を切り、調味液に漬け込んでマリネにし、焼き上げて、ソースをかける作業に「6~ 7人」のスタッフが関わっている。スパイシーで柑橘系の風味がきいたこの鶏肉料理は、2019年に同店がオープンした頃からほとんど変わらず、ずっとメニューに載っている2種類のメインディッシュのうちのひとつだ。客たちは45ドル(約7,000円)の価格がついたこの一品をこよなく愛している。メゾン・パサレルのゴーデットも鶏肉料理を作るのに同じような人数のスタッフに頼っているという。その中には厨房内で1 カ月かけて発酵させて作る塩漬けのレモン担当のコックもいる。「とにかく人手がかかるんだよ」と彼は言う。
料理に使う材料の複雑さも半端ではない。レストランはローストチキンのコクを出すのに、新鮮なローズマリーやセージなどのハーブ以外にも多くの材料を使うし、どんな工程も簡単にすませるようなことはしない。ジミズの料理長のマキシム・プラディエ(33歳)に、彼の52ドル(約8,100円)の鶏肉料理のつけ合わせに使われているアイオリソース(にんにくや卵黄などをすりつぶして混ぜたソース)やピペラード(バスク地方の野菜の煮込みで、ピーマンが入ったシチューの一種)を作るのに使う素材はどこから調達しているのかと聞いてみた。すると彼は北米大陸の大西洋側から太平洋側の間の6州と2国(スペインとメキシコ)を挙げた。
また、そんなシェフたちは、スーパーの棚にたくさん並んでいるような、大手企業が大量生産し、短期間で極限まで太らせたブロイラーのような鶏を仕入れたりはしない。シェフたちは多様な種類の種子や穀物を食べて飼育されたいわゆる「ヘリテージ・ブリード」と呼ばれる品種の鶏を生産する小さな農家を探す。それらの鶏は食肉処理に適した大きさまで成長するのに12週から14週の時間がかかる。一方、大量生産される鶏は成長するまで6 週間しかかからない。この成長までの時間の差が、より引き締まった力強い味を可能にするのだ。またヘリテージ・ブリードの鶏は、工場の施設内で身動きできずに大量生産された太った鶏たちよりも、はるかに多くの運動量を確保されている─鶏たちはほとんどの時間を室内で過ごすが、定期的に外に出て運動する時間も与えられている。「肉の味を追求するというよりも、口に入れたときの食感にこだわっている」と言うのは、ニューヨーク州の北部にあるスノーダンス農場の共同オーナーのマーク・ジャッフェ(59歳)だ。「うちの鶏肉は身が引き締まってるんだよ」。スノーダンス農場はニューヨークのレストラン経営者たちに人気で、ジミズやイ・カヴァッリーニやボルゴはここから鶏を仕入れている。ジャッフェは州内のキャットスキルズにある彼の私有地で自ら鶏を飼育してもいるが、ほとんどの鶏はペンシルベニア州のアーミッシュの農場から仕入れている。彼はそれらの鶏をキャットスキルズにある処理場に運ぶ。ここでは処理されたばかりの鶏を氷水に漬け込む(それが一般的な方法だ)ことをせず、枝肉(羽毛、頭、内臓、足の先を取り除いた、骨つきの食肉状態のこと)を低温の空気で冷却する。そうすることでカリカリ感のある皮や肉の締まり具合を、最大限に保つことができる。当然、この工程にはより多くの費用がかかる。
さらにここ数年で卵の生産工程の費用も高騰している─物価上昇や賃金の上昇、鳥インフルエンザの蔓延とそれを食い止めるための対策など─それと連動して食肉用の鶏の飼育費用も上昇したわけだ。これらの上乗せされた経費の一部を客が負担することになるのは避けられない。そしてイ・カヴァッリーニが提供する柔軟性に富んだ肉の食感や、ボルゴ特有の大胆で力強い味を、半身のローストチキンで堪能したい客はさらに余計に支払うことを、自分に許さなければならないのだ。
とはいえ、客たちは納得しているのだろうか? レストランの客たちは複雑な生き物だ。ローストチキンならきっとおいしいはずだという理由で注文する客ばかりではない。習慣や誤解や警戒心や妥協によってメニューを選択する場合もあるのだ。鶏肉料理を頼めば費用を抑えられるから、ほかにちょっと豪華な品目を頼んでも懐はそれほど痛まないはずだと考える客が一定数いる。そして、そんな客の思い込みは鶏の地位が上昇してしまった今でもアップデートされていない。豚や鱒だけでなく、もはやサーモンでさえ、鶏肉よりも安く食べられるレストランが多いというのに。
食事制限をしている客が鶏肉を選ぶケースもある─赤身肉よりは脂肪分が少なく、カロリーも低いからだ。「選択肢は4つある」と言うのはアイナ・ガーテン(78歳)だ。彼女はほかのどのメインディッシュよりも鶏肉料理を選ぶことが多い理由をこう語った。
「まず魚だけど、魚を食べたあと、私は食べる前よりも空腹を感じてしまう。そしてパスタ。パスタを食べたあと、私は自分のことが嫌いになる。だからダメ。ステーキはたまに食べるからいいんだし。そうなると鶏肉になるわけ─ほかに何がある?」
それもひとつの合理的な考え方だ。
だが、矛盾する衝動になぜか突き動かされて鶏肉を選ぶ客もいる─ロブスターや最高ランクの牛肉など、長年豪華な素材だと認識されてきた品目にではなく、あえて鶏肉に大金を払うという行為は、虚栄を張るポーズだ。そして私を鶏肉に駆り立てるのは、そんな卓越した演技ができる自分にこのうえない喜びを感じるからだ。私はレッスンを受けているのだ─それはグルメで高級な食材からは味わうことができないものだ─つまり、より大きな愛を注ぐことで、シンプルな素材からも崇高な喜びを引き出せるということを学んでいるのだ。新しいファッションに身を包んだ旧友に再会するのではなく、身体を鍛え上げて最高のフィジカルを達成した旧友と対面するのだ。そこには再び顔を見ることができた懐かしさとともに、新しい発見や啓示の風が吹いている。そんな独特の愉しみは、旧友と─そして私が─レストランという心地よさを提供してくれる舞台装置の中で出会えば、より増幅するのだ。
マンハッタンのイーストサイドにあるシェフ、ジャン・ジョルジュ・ヴォンゲリステンの店、フォー・トゥエンティ・ファイブではそんな体験が可能だ。鶏肉の主菜が運ばれてきたとき、私は正直言ってがっかりした。肉は平らな形状で、半身の鶏肉にしては量がかなり少ない気がした。肉の下には特に普通と変わりなく見えるマッシュポテトが敷かれており、46ドル(約7,100円)という価格が冗談のように感じられた。だが、この料金には鶏肉以外の要素も含まれていた。周りを取り巻くうっとりするような劇場効果がそうだ─立派な階段を上っていくと、荘厳とした雰囲気のダイニングルームがある。ベンチシートは灰色の豪華で柔らかい張り地で覆われている。私はマティーニを作ってもらうために、12種類以上のジンから好きなものを選んだ。カクテルは手づくりのグラスに注がれて運ばれ、外のパークアヴェニューの街灯の光がグラスに反射して輝いているように見える。
カクテルを味見して落ち着くと、鶏肉を覆っているコーンスターチの膜が、まるで威厳のある黄金のショールのように見えた。鶏肉の皮の表面の繊細な完璧さを愛でながら、その下にある肉のみずみずしさを味わう。じゃがいもに染み込んだ豊満なバターの風味を感じつつ、絶妙に計算された微かな苦みを添えるブロッコリーラベが、まるで鶏肉を丸かっこで包むように配置されている。これらの美しい仕掛けは、この垢抜けない鶏肉愛好者を、まるで世界中で一番分別のある男であるかのように感じさせてくれる。料理を半分ほど食べたところで、頭の中で費用の計算をするのをやめた。ゆったりと座って、ただ料理を堪能した。それは鶏であり、鶏以上の何ものでもなかったが、至福だった。
PHOTO ASSISTANT: BEN BITTON. SET DESIGNER’S ASSISTANTS: MATTIA MINASI, BRIAN FORD, DANA KURYLYK
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