遊び心に溢れ挑発的、探求心に富んでいて神秘的ーー。そんな作品を引っさげ、ダレン・ベイダーは混沌としたわれわれの時代を定義づけるアーティストになった。それはいったいなぜなのか

By Nikil Saval, Portrait by Domingo Milella, Translated by Miho Nagano

 ベイダーと私はアルベルゲリア地区を歩いた。狭い路地の上には洗濯物がはためき、日射しを遮っている。第二次世界大戦で爆撃された建物のいくつかが、修復されることなく残されている。ある建物の壁面には、デュレックスという銘柄のコンドームのロゴが、グラフィティアーティストの手によって、巨大なスケールで描かれていた。バカバカしくも深遠で、オチがありそうでなく、哲学的な嘆きにはやや欠けていたが、アーティストにとっては満足のいく作品だったろう。

ベイダーは感心し、スマホを取り出し写真を撮った。現代アート界の“断層”を検知するベイダーの感覚は、彼いわく、異なる伝統の世界からたどり着いたからこそ、得られたものだという。彼はコネチカット州のフェアフィールドで育ち、ニューヨーク大学に進んで、映画と美術史を学んだ(彼は1800年代以前のヨーロッパ絵画に関する知識と愛情を持ち続けている。彼がある古本屋で、ロンバルディア・ルネサンスのあまり知られていない画家、ヴィンチェンツォ・フォッパの文献を指でめくっていたときに、私はそのことを発見したのだった)。

画像: ロンドンのセイディ・コールズHQで開催された2018年のベイダーの《おおよそ》と題されたインスタレーション展。アンカ・ムンテアヌ・リムニックとマイケル・E・スミスらのアーティストとのコラボレーション DARREN BADER, INSTALLATION VIEW, ‘‘MORE OR LESS,’’ SADIE COLES HQ, LONDON, U.K. PHOTOGRAPH: ROBERT GLOWACKI ほかの写真をみる

ロンドンのセイディ・コールズHQで開催された2018年のベイダーの《おおよそ》と題されたインスタレーション展。アンカ・ムンテアヌ・リムニックとマイケル・E・スミスらのアーティストとのコラボレーション
DARREN BADER, INSTALLATION VIEW, ‘‘MORE OR LESS,’’ SADIE COLES HQ, LONDON, U.K. PHOTOGRAPH: ROBERT GLOWACKI
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 ベイダーは、実験映画の伝統を作ったホリス・フランプトンやスタン・ブラッケージの作品をアンソロジー・フィルム・アーカイブスで観て、実験映画がまだ全盛期だった頃の現代アートの世界に足を踏み入れたと語る。

 彼は2001年にロサンゼルスに引っ越し、ほかの仕事もしながら、現代美術館内の書店で働いた。その経験は美術史の勉強の仕上げになった(彼は現在、ニューヨークを拠点にしている)。彼はアルテ・ポーヴェラ(“貧しい芸術”)などの美術運動について学んだ。1960年代、アルテ・ポーヴェラの一派は、主に岩や土などのありふれた素材を使い、時間の経過を重視し、朽ち果てていくさまを表現する彫刻を作った。この運動を先例に、ベイダーがファウンド・オブジェにこだわるようになったのは明らかだ。

 1990年代には、ある特定の場所をまったく別のものに変容させるような、非常に複雑な3次元の作品、インスタレーション・アートが人気を博した。その「映画的な要素」に彼は惹かれた。「映画のセットで仕事をするのは好きじゃなかった。耐えられなかったよ」。映画を作るのをやめた理由のひとつを、彼はこう説明した。もうひとつの理由は、資金がまったくなかったからだ。「何年も待ちたくなかったんだ」と彼は言った。「自分が作りたいものを作るのにね」

 最初の展覧会で、ベイダーがいかに包括的に物事を受け入れていくかを表現した方法は、彼の作品が今でもいかに機能しているか、を物語る鍵だ。それはつまり、欠けているものを補塡するという試みなのだ。「展覧会をやるときは」と彼は言う。「何をそこに"入れる"のかを見極めないと。それが僕の仕事だ」

 最近では2014年のホイットニー・ビエンナーレで、主催者から何か出品してくれと頼まれて、どうしたらいいかわからなかったときに、ちょっとした遊びを思いついた。
 ビエンナーレへの彼の出品作のひとつが「ビエンナーレまでに(たぶん)間に合わないもの」と題されたビデオ映像だ。この映像の中で、彼は立っていて、アイデアに名前をつけている。「水たまりを発進させるのに車の鍵を使う」とか「目に見えない鏡の特許を取る」などと。

 これは、いかにもベイダー流の、ちょっとしたなんでもない作品なのだが、それでも彼のアート的宇宙がいかに徹底してコンセプチュアルか、(さらに、いかに自らをパロディ化しているか)を垣間見られるようになっている。彼のアート的宇宙は、ほとんどすべてが軽い思いつきのようなアイデアで構成されている。そしてそのうちのいくつかが、時折、ギャラリー会場でお披露目されるのだ。

 彼の作品は、限りなく穏やかで、まったく意味をなさないものであり得る。しかし、それでいながら、ベイダーが思考を通して追い求めようとする論理の極限状態に、めまいを覚える。めまいは時に彼を完全にとらえ、それは時に非常に激しくなる。

 彼は道路標識を指し、それが彫刻としていかに展覧会の出品作品になり得るかを語った。「もし誰かがこの作品を買うとする。すると僕は、『道路標識はこうやって使います』という説明文を添えた証明書を発行する。または単純に、作品の縦や横のサイズを示し、この作品を所有者が自由に扱っていいという証明書を発行する。そういう意味で言えば......」と彼は続けた。「自分の作品は彫刻だと思えるね。昔はもっと意識的に、自分の作品は彫刻だと考えようとしていたけど、世界はどんどん複雑になってきた。わからないんだ。3次元なのか、2次元なのか。何が彫刻なのか、そして、イメージを作るとは何なのか。誰が知っていると言うんだ? 僕にはわからない」

 近年、彼はこうした疑問をインスタグラム上で追究してきた。彼のアカウントのひとつである@rt_rhymeで、語呂合わせ的なぞなぞを出すのだ。アーティストたちの実際の作品の前に、そのアーティスト名と韻を踏むオブジェを並べて、それを撮影する。たとえばジェフ・“クーンズ”のバルーンアート風の彫刻の前には、“スプーン”を花束のように持つ男性が立っている。ほかのショットでは、靴カバー(“スパッツ”)が、アレックス・“カッツ”の絵画の前に掲げられている。ついに――いや、必然的にか?――今年4月に、ベイダーは彼の別のインスタグラムアカウント、@mined_oudを売りに出した。売却する旨をアカウント上で発表し、彼のディーラーたちの連絡先も載せ、正式に売買を証明する保証書を出すと発表した(この作品は6月に売却されたが、売値がいくらだったか彼は語らない)。

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