By Nikil Saval, Portrait by Domingo Milella, Translated by Miho Nagano
実際、ベイダーは実験的なライティングを学ぼうと思ったことがある。彼はブラウン大学のファイン・アーツ修士号コースに応募して落ちたが、何冊かのものすごく奇妙な本を執筆している。現代生活の破片をちりばめたようなイメージ満載の本だ。彼の処女作『James Earl Scones』(2005年)は奇妙なプロジェクトの詳細を綴った一連の手紙によって構成されている。
「親愛なるトム・クルーズとNASA(アメリカ航空宇宙局)へ」という出だしで始まる。「私はアーティストだ。どんなアーティストかはどうでもいい。自分自身をあれやこれやと定義しなくてはいけないのは、まったく骨が折れることだ」
この文はまさにベイダー節だ。米国の宇宙計画と、米国で最も高額のギャラを取る映画スターのひとりを組み合わせ、文体はわざと古めかしい味を出している。ベイダーからの提案はこうだ。「きわめて簡単だ。クルーズ氏と(性別のない)5歳児を大気圏外で撮影したい」。宇宙では、と彼は続ける「『スペースカプセル』にはあらゆる空腹な人が食べても十分な量の卵サラダが用意されており、『適切な』量を超えた大量の卵サラダがあるという感覚を持ち続ける」
その本の続きは日記と、さらなる手紙で構成されており、手紙のうちの何通かはオルセー美術館、プラド美術館、カピトリーノ美術館の館長たちに宛てたものだ。彼の提案に対する、彼らの回答がそれに続く。たとえば、ジョット(・ディ・ボンドーネ)のフレスコ画の前で排便するというアイデアへの回答はこうだ。「親愛なるミスターベイダー」で始まるその手紙は、パドヴァにある博物館と図書館の館長からだった。「2003年6月10日に私たちのもとに届いた、あなたのリクエストの件です。スクロヴェーニ礼拝堂におけるあなたのプロジェクトについて、残念ながら来場者がいる状況で行うことはできかねることをお伝えしなければなりません」
もしベイダーの作品が、しばしば不遜で、アート界の底の浅さを揶揄(やゆ)し、バカらしさとくだらなさを聖なるものに昇華する傾向が強いように見えるとしたら、彼もまた、ギャラリーや展覧会会場という場所から影響を受ける存在になったということだろう。私たちが一緒に過ごした一日の終わりに、中世の巨大な要塞であるノルマンニ宮殿に続く狭い道を疾走するスクーターに追いかけられながら、私は彼に、この時代における彼の作品の政治的スタンスについて尋ねた。
彼はその質問に答えるのに難儀していた。アートは“日常的に日々起きることや地元の政治的関心”には関係ないのだと言いながら、巧みに話題の矛先をギュスターヴ・クールベやウジェーヌ・ドラクロワなどに持っていった。彼らは19世紀のフランス人アーティストで、作品を通して社会への提言を行なっていた。
「アートというのは特権が与えられた場所だ。もしそれが切迫した問題への懸念や、危急の事態から隔絶されていないとしたら、アートとは何なんだ?」と彼はついに尋ねた。「それはエリート主義的な概念、もしくは構造のようなものだ」彼はアート界がごくわずかなリソースに頼って存在することについて話したあと、こうも言うのだ。「無限に近いぐらいのリソースがあるようにも思えるんだ。僕がやっていることの大部分は、そういう資源の質について語ること。大いなる泉のようなリソースについてね」
その発言で私は、2012年に出版された彼の著書『レディメイドとしての人生』の追伸の一文を思い出した。このメッセージは、彼の全作品に通じるものかもしれない。「気にかけているかって? たぶんね」