BY MATTHEW ANDERSON, TRANSLATED BY T JAPAN
ベルリン、午前11時過ぎ。ヴォルフガング・ティルマンスのスタジオは活気を帯びてきた。光あふれる巨大な空間の一角にアシスタントが集まり、ティルマンスにプランを説明している。何百点もの作品が梱包され準備は順調に進んでいるが、忙しい日々はまだ続く。
ベルリンでは最近、マスクをすることが少なくなったが、みな顔を隠している。ティルマンスは、9月12日から来年1月1日までニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催される回顧展「To Look Without Fear」の最終準備が、コロナウイルスにより中断されないかが心配だったのだ。ニューヨークで行われる初の大規模な展覧会は、パンデミックのために1年半も延期されていた。
その数日前、ティルマンスが自ら設計し、自宅と展示スペースを備えた新しい建物のオープンを、多くのスタッフとともに祝ったばかりだった。「その後、みんなでバーでタバコを吸いながら大騒ぎしたよ」と言いながら、マスクの奥で顔をしかめた。スタジオの従業員の一人は、後に陽性と判定された。
翌週には、MoMAの技術者が作品を回収してニューヨークへ運ぶことになっており、その賭けは高くついた。ティルマンスにとって「To Look Without Fear」は、美術館の6階のギャラリーをすべて使った過去最大の展覧会となる。彼が35年にわたり見続けてきたものは、若者文化やマスメディアと隣接していたために、必ずしも真剣に受け止められていなかったが、それが芸術的使命に基づくものと証明され、世界で最も重要な存命中のアーティストの一人としての彼の地位が確立されるだろう。
MoMAはティルマンスの作品を40点以上所有しているが、展示される作品はすべて、ティルマンスのアーカイブから取り出したり、この日のために再プリントされたパーソナル・プリントとなる。彼の主要な展覧会はすべてこの方法で構成され、本人が各画像のサイズと品質を完全に管理することができるようになっている。ティルマンスと彼のチームは、額装されていないプリントをバインダークリップで吊るしたり、壁にテープで貼り付けたり、グループごとにまとめたりして、軽やかに配置するが、実際にはミリメートル単位でコントロールされている。
展示では、ポートレート、静物、風景といった美術史的に認知されたカテゴリーに属する作品と、ルポルタージュやファッション撮影といった写真のジャンルに当てはまる作品、空や星の描写、光とカメラを使わない抽象的な作品などがまぜこぜになる。しかし、それらの写真が集まって初めてティルマンスの全体的なビジョンが明らかになると、彼の長年にわたるロンドンのギャラリストであるモーリーン・ペイリーは言う。「彼の作品とは、作品のインスタレーションであり、1枚の画像だけで定義できるような人物ではないのです」。
しかし、ティルマンスの単体の写真の多くは、アルバム『ブロンド』のジャケットとなったシャワー中のフランク・オーシャンのポートレートや、2002年にロンドンのナイトクラブで2人の男がイチャついているスナップ「The Cock(Kiss)」など、美術館の常連客でなくてもMoMAの訪問者にはおなじみのものばかりである。「The Cock(Kiss)」の画像は、2016年にフロリダ州オーランドのナイトクラブ「パルス」で起きたホモフォビックな大量殺戮事件の後、ソーシャルメディアで拡散された。
ゲイの欲望に対する賛美から公民権に対する反抗的な主張へと写真の意味が変化したことは、ティルマンスの作品自体の変化を反映する。初期の作品は、性の解放、国境のない旅、一体感の楽しさといった彼の個人的な世界に見る者を誘うものだったが、最近の作品や政治運動家としての関与を強める中で、彼はこれらの自由はもろく、保護されなければ失われかねない勝利に基づくものだと主張してきた。
しかし、ティルマンスの膨大な作品群に一つの物語を押し付けることは不可能である。彼は写真家であることは確かだが、ビデオ・アーティスト、インスタレーション製作者、DJ、歌手、レコード・プロデューサー、建築家でもあるのだ。また、本の編集を行い、パフォーマンスに関するレクチャーを行い、哲学者、ポップスター、科学者へのインタヴューを発表している。MoMAの展覧会のキュレーターであるロクサーナ・マルコシは、「彼は本当に多才な人物です」と言う。
「彼のことを写真家としてのみ考えたことはありません。彼の作品は、音楽であったり、彫刻であったり、レコードのジャケットであったり、雑誌のレイアウトであったりするのです」と、彼女は続ける。
ティルマンスが初めてブレイクしたのは、雑誌の世界だ。1980年代後半、イギリスのストリートマガジン「i-D」の依頼で、彼はドイツのハンブルグでアシッドハウスのクラブシーンを撮影していた。 最初の大きな取材プロジェクトのひとつは、「テクノはヨーロッパの音」という見出しで、ドイツのフランクフルト、ロンドン、ベルギーのゲントの汗臭いダンスフロアの写真を集めて掲載された。この記事が掲載されたのは1991年、欧州連合加盟国間の自由な移動の先駆けとなるマーストリヒト条約に欧州の指導者が署名する1年前だった。
「私たちは新しい時代に突入していました」とティルマンスは回想する。「新しい90年代、新しいヨーロッパ、国境を取り払い、そこで私たちは一緒に生きてゆく。そこから私の言葉が生まれました」。当時の彼の写真は、「その瞬間の特別な経験を、普遍的な写真に変換する」ものだったという。「"これは私のパーティーです "と言うのではなく、むしろ"あなたもこのパーティーの一員になれますよ "と言うものでした」と彼は付け加えた。
ティルマンスは、ベルリンのラブパレードやロンドンのユーロプライドなど、パーティと抗議活動との境界線が曖昧な集まりも撮影した。彼による反戦運動のパレードの写真は、カーニバルのような雰囲気を伝える。しかし彼はまた、ズームアウトして宇宙空間を哲学的に眺めたり、舗道に生えた雑草や椅子の上に投げ捨てられた衣服など、見落とされた細部の詩情にも目を向ける。カメラを使わず、暗室で印画紙に懐中電灯を当てて撮影した「Freischwimmer」シリーズなどの抽象的な作品には、リズムや動きはあるが、何についての作品でもないのだ。
ティルマンスはベルリンとロンドンを行き来しながら生活しているが、頻繁に旅もしている。7月にはナイジェリアのラゴスで「Fragile」という展覧会を開催し、アフリカ8都市での巡回展を終えた。MoMAの展覧会では、ロシア、中国、ジャマイカ、アルゼンチン、サウジアラビア、コンゴでの写真に加え、ニューヨークと自宅のあるファイアー・アイランドでの30年にわたる写真も展示される(「この写真は、ファイアー・アイランドにある最後の家のひとつ」、とティスマンスは言う。「パーティーとはかけ離れた場所なんだ」。)
ニューヨークとの個人的なつながりを「とても意味深い」と語るティルマンスは、2015年のデヴィッド・ツヴィルナーでの大規模な展覧会を含め、90年代からニューヨークのギャラリーで13の展覧会を開催し、MoMA PS1になる前のPS1 Center for Contemporary Artで抽象作品の展示を行なっている。
1994年にアンドレア・ローゼン・ギャラリーでニューヨークで最初の展覧会を行う際、2年間の予定でニューヨークに移住した。イースト・ビレッジのバーで、ティルマンスは同じドイツ人で夢のような風景画を描く画家、ヨッヘン・クラインと出会い、 "私の人生の恋人 "と呼ぶようになった。1996年、二人は一緒にロンドンに移り住み、共同で制作した油絵は、現在ミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネに収蔵されている。しかし、そのロマンチックでアーティスティックな物語は、翌年、クラインがエイズ関連の肺炎に倒れ逝去することにより、途絶えてしまった。同じ頃、ティルマンスもHIV陽性であることが判明した。
ティルマンスがクラインの死後17年目に撮った写真「17 Years' Supply」では、ダンボール箱に詰められた抗レトロウイルス薬の錠剤が、彼の命を支えていることがわかる。また、南アフリカを拠点とするTreatment Action Campaignなどの支援団体に、資金面でも写真家としても手を貸してきたと彼は言う。2006年には、ケープタウンで開催された医療専門家の国際サミットを撮影し、同団体が政府関係者に働きかけるために使用する写真集を制作した。
「治療を受ける人と受けない人の間にある溝を痛感しました。自分の仕事や才能を活かして、何かできることはないかと考えたんです」。これはティルマンスにとって政治運動への最初の一歩であり、この本のコピーは現在アムステルダムのステデライク美術館に収蔵されている。
MoMAの展示の中心となり、一番大きな部屋のほとんどを占めているのが、"Truth Study Center "と呼ばれるインスタレーションだ。アクリル樹脂で覆った18の木のテーブルからなり、そこにはロンドンの街角で見つけたイスラム教の勧誘ステッカーから、フィナンシャル・タイムズの記事、終末予言者のための雑誌『アメリカン・サバイバル・ガイド』の表紙まで、数百枚の写真と断片を重ね、様々な現実を共存させることで騒がしいポリフォニーを奏でている。
ティルマンスは、2005年にロンドンのモーリーン・ペイリー・ギャラリーで、よりシンプルでテキストを多用しないバージョンの作品を初めて発表した。「当時は、ポスト・トゥルースやフェイク・ニュースなど、誰も話題にしませんでした」。初期の試みは、イラク戦争やアフリカのHIV、ヨーロッパのイスラム教徒、そしてティルマンスが子供の頃から好きだった天文学をテーマに、それらに関する誤った情報を扱っていたが、その後の展示で、作品は時代に合わせて成長し、進化していった。
"Truth Study Center "は、「ひとつの機関、ひとつの権威が、現実を最終的に決定すると主張する」ことの危険性にまつわるものだとティルマンスは説明した。「ジェームズ・ウェッブ望遠鏡が語ることや、科学、そして地球が太陽の周りを回っていることを私が信じているのと同様に、真実を広めるとされる一人の人物に直接誓うものではないのです」。
テーブルの上には、ティルマンス自身が書いた短い文章が散りばめられており、見る者を歴史的な時間の感覚へといざなう。ある文章では、「1993年は公民権法が制定されたのと同じくらい昔のことだ」とあり、別の文章では、「マーティン・ルーサー・キングの『私には夢がある』というスピーチは1990年より27年前のことだ。1990年の27年後、ドナルド・J・トランプはアメリカ大統領に就任した」。これらを見ると、「物事は前に進むが、戻ることもある」ことに気づかされるとティルマンスは言う。
ティルマンス自身のキャリアも、波乱万丈のサイクルで展開してきた。西ドイツの小都市レムシャイトで音楽に夢中になっていた10代の頃、彼はポップスターになることを夢見て、近所の人と何曲かレコーディングをした。ティルマンスがボーカル、友人がシンセサイザーとドラムを担当した。30年後、彼はそのカセットテープの録音に戻り、3曲をリマスターし、新たに2曲を加えて、初のEP『2016/1986』を制作。自身のレーベルFragileからリリースしたのである。
その後、電子音楽のEPを4枚リリースし、昨年、ファーストアルバム『Moon in Earthlight』を発表した。アンビエントノイズ、スポークンワード、脈打つクラブトラック、シングル「Insanely Alive」(この曲の12インチリリース用にPet Shop Boysがリミックス)のように純粋なポップミュージックを組み合わせた53分の連続ミックス作品となっている。MoMAでは、"Moon in Earthlight "は特別にデザインされた部屋に設置されたインスタレーションとして、補完的なビデオとともに展示される予定だ。
「再び音楽を作ることを完全に受け入れるようになった」のは、2014年に写真からサバティカルをとっていたときだった、とティルマンスは言う。トラックを制作しないときでも、ロンドンとベルリンのクラブで時折DJをしており、初期のレイブ写真からチャックDやレディー・ガガといったポップスターの有名なポートレートまで、音楽は彼の写真の中心的な関心事であり続けた。
2015年、ティルマンスはファッション誌『ファンタスティックマン』のためにベルリンでフランク・オーシャンを撮影し、その後、2人はテクノクラブ「ベルクハイン」に出かけたという。その後、オーシャンはティルマンスのトラック『Device Control』(弾むような、しかしメランコリックなシンセポップ・ナンバー)の一部を、ニューアルバムの短いイントロとして使いたいと申し出た。オーシャンが2016年夏に『Endless』を発表したとき、ティルマンスは冒頭の抜粋だけでなく、アルバムの最後に全曲が収録されていることに驚いたという。
「どういうわけか、その年で最もホットで期待されていたリリースに手を出してしまった 」とティルマンスは言う。「そして、ニューヨーク・タイムズの批評家は、この曲が『エンドレス』のベストトラックだと書いているんだよ? 完全にシュールな話だ」。彼は、音楽制作を「副業」とは考えておらず、自分の芸術活動の一部と同等に考えていると付け加えた。
また彼は政治活動を自分の美学的実践の一部として捉えており、ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という概念を参照し、創造的な政治的行動が社会を再形成すると述べている。2016年の時点において、ティルマンスはロンドンに20年にわたり住んでおり、EU内の自由な移動を利用して国際的なキャリアを築いていた。英国のEU離脱の是非を問う国民投票を前に、ティルマンスは自身とスタジオのリソースを英国残留のためのキャンペーンに費やした。スローガンや長いテキストを使ったポスターやTシャツをデザインし、中には自分の写真に重ねて、空の写真の上に「失われたものは永遠に失われる」と書いてあるものもあった。残留を主張するために多数のインタビューにも応じている。
「市民運動なんて、まったく考えてもいなかった。これは私にとって、文字通り市民の緊急事態だった。私の人生の基盤の一つであるEUと欧州の協力が危機にさらされているのを見たのです」
世論調査の結果、52%が離脱に投票したとき、生涯英国びいきのティルマンスは、打ちのめされた。「面白いとか、かわいいと思っていることが、実はそうでもないことに気づきました。例外主義やナショナリズムの根強さは、本当に心配になる」その後数ヶ月間、彼はファイヤーアイランドに滞在した。
ティルマンスが「2016年の大地震」と呼んだものは、彼に「” unkaputtbar”とされるもののもろさ」を感じさせたと、ドイツ語で「壊れない」という意味の言葉を使いながら語った。「市民の権利は守らなければならないし、民主主義は守らなければならない。私は常にそれを意識していた。近年は、その意識はますます強くなっている」。
ティルマンスはその後、2017年のドイツ連邦議会選挙に向けて、多くの世論調査で国内第3位の支持を得ていた極右政党「ドイツのための選択肢」に対抗するポスターキャンペーンを制作したり、ベルリンのアートセンター「世界文化の家」と協力し、"ファシズムに抗うヨーロッパの文化 "という講演会やワークショップのシリーズを開催している。
彼はこうしたキャンペーンの多くを、2017年に設立した "ヒューマニズム、連帯、民主主義の推進 "を目的とする財団「Between Bridges」を通じて行っている。Between Bridgesは、ロンドンで作品があまり知られていないアーティストの展示に専念する展示スペースとして始まり、2014年にティルマンスはこのプロジェクトをベルリンに移し、5年間市内の店舗で運営した。そして廃墟だった土地を、彼のアートと支援運動のプロジェクトのための意欲的な新施設に開発する間は閉鎖した。
クロイツベルク地区の角地にあるシンプルだが美しい6階建ての新施設を設計したのは、ティルマンス本人である。階下には展示・イベントスペース、スタジオ、資料室があり、ペントハウスには自宅と、ティルマンスが借りている最中だという8戸のアパートがある(そのうちの1室には、すでにウクライナからの難民が住んでいるという)。 Between Bridgesのキュレーターであるヴィクトール・ノイマンは、この場所での今後の活動について、「展示、対話、パフォーマンス、近隣イベント、読書会、印刷物、その他」を含むと語った。
ティルマンスは、財団の草の根的な活動の一方で、組織的な権力とも密接な関係にある。ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツとベルリンのアカデミー・デア・キュンステという、居住する両国の最も権威ある芸術家アカデミーの会員であり、ドイツ最高の栄誉のひとつである功労十字章を授与されている。2009年から2014年までテート美術館グループの理事を務め、現在はロンドンのICAの理事長を務めている。
彼は、これらの活動と自分の作品のアナーキーな精神との間に断絶はないと考えている。「見ることの詩的な表現に携わり、音楽、ナイトライフ、ミュージシャン、若者文化に触れているからと言って、物事が実際にどのように機能するかに興味を持つことは矛盾しない」と彼は言う。
しかし、展覧会が始まる時に彼は54歳になり、最近では、「そろそろ責任を取るべき時かもしれない」と考えている。人々は「どんどん政治にのめり込んでいる」というが、「誰も政治の世界に入っていない」という。では、彼自身が立候補することは考えるのだろうか。
ティルマンスは、この記事のために行ったいくつかのインタビューの中で、ゆっくりと、慎重に話してくれた。「考えたことはありますよ。民主主義の熱烈な支持者であるなら、候補者になることを考えなければならない」。そして、選挙政治に進出するのは「ドイツ国内だけ」とし、「無所属の方が有益な役割を果たせる」とは思っているが、代表制民主主義は「皆がそう言っているだけではうまくいかない」と付け加えた。
ティルマンスは、ドイツの下院である連邦議会への立候補について、議員に会ったことがあると述べた。「意見交換は行った」と言うが、誰に相談したかは明かさなかった。しかし、彼は、ドイツの極左政党であるディ・リンケとの協力は否定し、保守派の政治家や有権者にも「同じように耳を傾ける」ことが有益であると付け加えた。
この先どうなるにせよ、まずはしばらくゆっくりすると言う。新しい建物が完成するとともに、「MoMAと同じくパンデミックによって延期されていたアフリカでの展示も終わって、新しいサバティカルが始まるような気がする」と述べた。「7年周期で考えるのが好きなんです」と彼は言うが、すでに前回からそれ以上の時間が経っていた。立ち止まり、振り返る時だった。
スタジオ訪問の日の昼、ティルマンスと私は一休みして、階下のイタリアンレストランに行った。彼の仕事場は、1930年代前半に建てられたモダニズム建築の別館で、大きな四角い窓が特徴的だ。バウハウス建築家のマックス・タウトが、労働者が共同経営する百貨店として設計したもので、ユートピアのプロジェクトだったが、長続きしなかった。ナチスが権力を握ると、消費者協同組合を「ユダヤ・マルクス主義」の組織として糾弾したのである。
「この建物に興味がある?じゃあ、見せてあげますよ」とティルマンスが言った。ロビーに通されると、壁の一面は外の広場の巨大なモノクロ写真で埋め尽くされていた。ビルのファサードはピカピカで、前を歩く1930年代初頭のロングコートにハットをかぶった人々の姿とは違和感があった。ティルマンスは、円錐形の土台を積み重ねて宇宙船のように見える街灯を指差した。
「ドイツがいかにクールであったか、ヨーロッパがいかにクールであったか、わかるでしょう? それは終わりを迎えることもあるのです」。
展覧会『Wolfgang Tillmans: To Look Without Fear』はニューヨーク近代美術館(Museum of Modern Art, 11 W.53 St., Manhattan, (212) 708-9400, moma.org.)にて開催中。2023年1月1日まで。