BY MICHINO OGURA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA
滋賀県の大津駅で電車を降り、比叡山方面に車を走らせること20分。共同アトリエ「山中suplex」にたどりついた。敷地に足を踏み入れると3 棟のプレハブ小屋が現れる。その一角で、テキスタイルデザイナーの向井詩織は制作と向き合っていた。この1月にここにアトリエを移したばかりという向井は、一年の3分の1はインド西部のグジャラート州にある地域カッチで過ごし、残りは滋賀で制作を行う生活を続けている。
生地にぐっと版を押しつけ、コンコンと木版の背を叩いて隣へ進む。リズミカルに進めていくスタンプの作業は1 分半ほどで1.5mの布地の端から端へ。向井が手がけているのは、ブロックプリントの手法のうちのひとつ、アジュラックと呼ばれるもの。藍や茜あかねなどの天然染料を使い、一般的なブロックプリントよりも落ち着いた色調になる。およそ4,000年前からインドで受け継がれている伝統的な染色技法だ。その複雑な工程は16にもおよび、一枚の布ができ上がるまでに長い時間を要する。彼女がこの古い技術と出合ったのは9 年前。生まれ育った北海道から上京し、武蔵野美術大学のデザイン情報学科に入学してからのことだった。「学生のうちに世界を見ておきたくて、大学2 年までの単位を取得し、退学してグアテマラやメキシコ、ペルーなどいろいろな国を旅しました。あるとき、たまたまインド西部のグジャラート州アーメダバード市にあるキャリコ博物館を訪れ、インド全土から集められた伝統的なテキスタイルの一級品の数々を目にして、衝撃を受けました。滞在中に三度は通いましたが、染織や刺しゅうなど一枚一枚に費やされた時間や労力にただただ圧倒されるばかり。一生かけても学びきれないけれど、この道に進みたい、と心に決めました」
博物館で出会った人々に、ブロックプリントを学ぶならカッチ県がよいと勧められて向かい、半年ほど滞在してフィールドワークを行なった。その後、染織の基礎を学ぼうと武蔵野美術大学のテキスタイル専攻へ編入するために帰国。卒業後、本格的にテキスタイル職人の道へ進むべく、再びカッチへ。「本場の職人技が見たくて、アジュラックの名工スフィヤン・カトリ氏の工房を訪ね、ここで技術を学びたいと伝えました」。後先を考えずに夢中で飛び込んだと本人は笑う。「ムスリムの男性のみが働く環境でしたが、世界中からバイヤーが訪れ、インターンシップの学生を採用していたこともあり、すんなりと受け入れてくれました」
カッチでの生活を始めてから6 年目の現在、向井はインドでは4 つの工房を行き来する。前述の工房のほか、グジャラート州ブージにある絞り染めや板染めの工房、現地のNGO「シュルジャン」で働く。同NGOから派生した工房では、職人たちの仕事の監修も務める。一年のうち4カ月はインドに滞在して自身の作品をつくったり、企業からのオーダーも請け負う。日本に戻ると、制作のほかに全国各地でワークショップを精力的に行なっている。アジュラックの技法をもっと世に広めたいという一心で足を運んだ先は、京都の老舗染色材料専門店である田中直なお染料店だった。
「何のつてもなくワークショップをやらせてほしいと営業に行きました。門前払いされるかと思いきや、偉い方々と直接話せる機会をいただきました。そして、ワークショップのみならず、家庭でも染色の工程を楽しめる『ナチュラルブロックプリントキット』やペーストを一緒に開発し、つくることになりました。ちょうどコロナ禍で草木染めが注目を集めていた頃でしたね」
惚れ込んだ伝統技法を学ぶだけでなく、それを足がかりにして世界へどんどんシェアしていきたいと考える向井は、臆することなく新たな扉を開いていく。
「インドはクラフトの歴史が長く、いろいろな文化が底なしに絡まっています。やればやるほど技術は深まりますが、現地の職人にかなわないところもある。でも、日本から来た私だからこそ何か違うことを持ち込めるのではないかと考えました」。田中直染料店と共同開発した『ナチュラルブロックプリントキット』の売り上げをインドの小学校建設のために寄付し続けているのも、そのひとつ。「ブロックプリントを広める環境を整え、よい循環をつくっていきたい」と向井は言う。
向井は、インドの人々について「伝統を守り、かつ新しいものも積極的に吸収しようとする。必要な技はすべて身につけようとするパワーがある」と評する。そのエネルギーを得て、向井自身も、クラフトへの愛で国境や言語、宗教の壁を超えていこうとしている。「アルメニアから声がかかり、ワークショップを企画しています。アフリカにもいつか行きたい。世界にたくさんあるクラフトの技を見てみたいんです」
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