ケリング「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを受賞した石内都に聞く、アルルでの受賞スピーチや受賞記念展にこめた思いとは? 

BY AKIKO TOMITA

 日本を代表する写真家として第一線で活躍する石内都が、2024年ケリング「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを日本人として初めて受賞した。グローバル・ラグジュアリー・グループのケリングと、フランスのアルル国際写真フェスティバルが共同で2019年に創設した同賞は、“自らの選択やキャリア、世界観を通じて女性の立場向上に努める傑出した女性”、あるいは“才能ある次世代の女性”に毎年授与される写真賞だ。選出にあたっては、石内が《Mother’s》や《ひろしま》などの作品を通じて、戦争を経験した日本の歴史や、それが個人に与えた影響、特に歴史的な物語のなかで見すごされてきた女性たちと向き合い続ける姿勢などが評価されたという。石内はアルル国際写真フェスティバルの開催2日目、オープニングセレモニーで行われた授賞式に登壇し、受賞を記念した個展『BELONGINGS』(〜9/29)がアルルでスタートした。 

画像: アルルの個展会場にて。石内の背後には、フリーダ・カーロの遺品を撮影した《Frida by Ishiuchi》が茄子紺色の壁に配置されている。石内は展覧会ごとに展示壁の色を変え、また作品の配置も空間に合わせて変化をつけることで知られる PHOTOGRAPH: YUSUKE KINAKA

アルルの個展会場にて。石内の背後には、フリーダ・カーロの遺品を撮影した《Frida by Ishiuchi》が茄子紺色の壁に配置されている。石内は展覧会ごとに展示壁の色を変え、また作品の配置も空間に合わせて変化をつけることで知られる

PHOTOGRAPH: YUSUKE KINAKA

 帰国した石内に、真っ先に尋ねたかったのが、授賞式での受賞スピーチについてだ。自身の作品とこれまでの歩みを紹介するため最初にスクリーンに映したのは、車の前に立つ石内の母親を写した戦前の写真だった。手に職をつけるため自動車免許をとり、タクシードライバーとして働いていたのだという。他界後、生前にうまくコミュニケーションがとれなかった母親と向き合うために、喪失感のなかで遺品を撮り始めたことが、代表作《Mother’s》シリーズの始まりだった。

画像: 写真賞授賞式の会場となったのは、2500名の聴衆が集まったアルルの古代劇場。石内は、友人の被爆した母親の着物を着て登壇し、受賞スピーチで自身の作品について語った。背景に映るのは戦前に撮られた石内の母親の写真 PHOTOGRAPH BY YUSUKE KINAKA

写真賞授賞式の会場となったのは、2500名の聴衆が集まったアルルの古代劇場。石内は、友人の被爆した母親の着物を着て登壇し、受賞スピーチで自身の作品について語った。背景に映るのは戦前に撮られた石内の母親の写真

PHOTOGRAPH BY YUSUKE KINAKA

「写真はどこか普遍的なところがあって、たくさんの人に見られることでその質は変化するんです。《Mother’s》もヴェネチア・ビエンナーレの日本館に展示されたとき、その意味がどんどん変わっていくのを感じました。会場で女の人が作品の前で泣いているところに遭遇したのですが、そういう方がほかにも何人かいたそうです。このとき、もう私だけの問題ではないんだと自然にわかったんです」

《Mother’s》は、メキシコの女性画家フリーダ・カーロの遺品を撮った《Frida by Ishiuchi》や、原爆で亡くなった人々の衣服などを被写体にした《ひろしま》を制作するきっかけにもなった作品。今回の受賞記念展でこの三つのシリーズを展示することにしたのは、石内いわく「ヴェネチアもメキシコも、そして今回のアルルもみんな母が連れていってくれたようなもの」だからであり、それゆえ展覧会名を“遺品(BELONGINGS)”としたのだという。

画像: 母の遺品を撮影した《Mother’s》より。「母のことはいまだによくわからない」と言う石内。その真意は「写真は展示する国や場所が替わるたび、自分との関係性も変化する。その繰り返し。今回初めてアルルでこの作品を見て、また新たな発見がありました」と語る言葉に表れている ©Ishiuchi Miyako《Mother’s#39》COURTESY OF THE THIRD GALLERY AYA

母の遺品を撮影した《Mother’s》より。「母のことはいまだによくわからない」と言う石内。その真意は「写真は展示する国や場所が替わるたび、自分との関係性も変化する。その繰り返し。今回初めてアルルでこの作品を見て、また新たな発見がありました」と語る言葉に表れている

©Ishiuchi Miyako《Mother’s#39》COURTESY OF THE THIRD GALLERY AYA

 そして、石内の受賞スピーチでもうひとつ印象的だったのが、《ひろしま》シリーズについて語ったときだ。被爆者の遺品と、それらと向き合いながら撮影してきた自身の制作について述べたあと、世界で起きている戦争と、再び現実のものとなりつつある核の恐怖に言及した。喝采に包まれてスピーチをいったん中断したあと、石内は「“ひろしま”という四文字を、覚えてください。日本語です」「世界で唯一の被爆国日本です」と続けたのだ。
「私には(被爆地が抱えてきた)本当の痛み、その悲惨さはわからない。でも、“わからない”というところからしか、始まらないんです。私はこの態度を表明したうえで、自分が感じること、イメージできることを写真で伝えます。でも、やるからには最後まで責任をとろうと思っているから、授賞式では言うべきことを言おうと心に決めていたんです」

画像: 『BELONGINGS』展より。出展作品の《ひろしま》は広島平和記念資料館に収蔵された被爆者の遺品、主に衣服を被写体にしたシリーズ。戦前の生活がありありと思い浮かぶような色彩やデザインに驚いた石内は、カラー写真で制作することを決めたという ©Ishiuchi Miyako《ひろしま#5》COURTESY OF THE THIRD GALLERY AYA

『BELONGINGS』展より。出展作品の《ひろしま》は広島平和記念資料館に収蔵された被爆者の遺品、主に衣服を被写体にしたシリーズ。戦前の生活がありありと思い浮かぶような色彩やデザインに驚いた石内は、カラー写真で制作することを決めたという

©Ishiuchi Miyako《ひろしま#5》COURTESY OF THE THIRD GALLERY AYA

 さらに、石内がスピーチの終盤、観客に向けて「しっかり観てほしい」と訴えたのは、アルルで同時開催されている三つのグループ展のことだった。1950年代から現代まで、石内を含む日本の女性写真家26名の作品を紹介する『I’m So Happy You Are Here』展と、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭が企画した6名の女性写真家による『TRANSCENDENCE(超越)』展、そして東日本大震災をテーマにした男女9名の写真家による『REFLECTION- 11/03/11』(いずれも〜9/29。前者二つはケリングがサポート)と、合計で40名超の作家が出展しているからだ。また、「先輩も後輩もない、みんなライバル」と常々口にしてきた石内が、スピーチ冒頭で「日本の女性写真家の代表のひとりとしてここにいる」と宣言したことは示唆的だ。現地では石内を慕う若手写真家との交流を楽しんだようだが、「独学で学んできた自分は教える立場ではない。ただ彼らを見続けたい」という。自立した表現者としての美学を貫く石内らしい発言だといえるだろう。
 
 石内の個展では、会場に入りきらないほどの観客がギャラリートークに詰めかけ、取材が休む間もなく続いたという。大きな反響を呼んだ今回の受賞が、作家にもたらすであろう新たな展開が楽しみでならない。

ケリング「ウーマン・イン・モーション」
グローバル・ラグジュアリー・グループであるケリングが、文化や芸術分野に貢献する女性に光を当て、男女平等への意識改革を促すためのプラットフォームとして2015年にスタート。2019年にアルル国際写真フェスティバルと共同で、象徴的な活躍を見せた女性写真家のキャリアを称えるケリング「ウーマン・イン・モーション」フォトグラフィー・アワードを創設した

石内 都(いしうち・みやこ)
1979年に女性初の木村伊兵衛写真賞を受賞、2005年ヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表作家に選出、’14年に写真界のノーベル賞と呼ばれるハッセルブラッド国際写真賞をアジア人女性として初めて受賞。石内の生まれた土地・群馬県桐生市で『石内 都 STEP THROUGH TIME』展が開催中(大川美術館〜12/15)

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