建築家フランク・ゲーリーがニュージャージーのかつての馬牧場にアーティスト・蔡國強のドリームハウスを建てた

BY M. H. MILLER, PHOTOGRAPHS BY STEFAN RUIZ, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 ふたりが友人になったのは、ビルバオのグッゲンハイム美術館で、2009年に蔡の個展が行われたときだった。芸術家にとっては、その空間を使いきることがかなり難しい美術館だ。『I Want to Believe』というタイトルの個展中、「Head On(正面から)」と題された作品で、99匹の狼のぬいぐるみが展示室を走りぬけガラスの壁に突きあたるさまが表現された。その個展のオープニングで、ゲーリーは「狼のように床に這いつくばっていた」と蔡は言う。「彼は、私の空間の使い方にとても興奮していたんだ」。

その後、ゲーリーは北京にある蔡の家を訪ねた(蔡は1995年にニューヨークに移り住んだが、北京の家はそのまま残してある)。その家には絵画やドローイングが山のようにあり、ゲーリーは「人が住んでいた気配がなかった」と言う。蔡は以前から、ゲーリーのロサンゼルスの家を称賛していた。サンタモニカのピンク色のバンガローの残骸を使って建てられた、脱構築主義のアイコン的建築だ。その構造があまりにも急進的だったため、1978年に最初に完成したときには、ロサンゼルス・タイムズ紙に『ゲーリーの芸術性あふれる家が、近隣の住民を逆なでし、混乱させ、怒らせた』という見出しが踊った。蔡はそんな家が欲しかったのだ。ニュージャージーの家の建設は、蔡が建物を2011年に購入してまもなく始まった。

画像: 家の裏側は、馬小屋に並んだ穀物サイロに接している。蔡は、いずれこの土地と建物を財団にして、一般に公開する計画を立てている

家の裏側は、馬小屋に並んだ穀物サイロに接している。蔡は、いずれこの土地と建物を財団にして、一般に公開する計画を立てている

画像: 馬小屋はリノベーションされ、現在は蔡がスタジオとして使用している。広さは1万4,000平方フィート(約1,300平方メートル)

馬小屋はリノベーションされ、現在は蔡がスタジオとして使用している。広さは1万4,000平方フィート(約1,300平方メートル)

 ふたりのつき合いはそこから深まり、2013年には蔡とゲーリーは、蔡の故郷である泉州市内に、現代美術館を建設する企画案をプレゼンするため一緒に旅をした。泉州は中国の南東海岸に位置する港町で、1000年以上の歴史がある古都だ。市の中心部には歴史ある建物が建ち並ぶ。地元政府は旧市街の外側に新しい市街地を開発しはじめていた。蔡とゲーリーが構想した美術館は、花を思わせるような構造をし、その色は泉州で伝統的に使われてきた屋根瓦をイメージした赤錆色だ。

「単に西洋人の建築家がデザインする西洋風のビルといったものを、はるかに超えたプランだ」と蔡は私に語った。「ゲーリーは、この土地の文化と歴史を建築で表現しようとしているんだ」。彼らの計画は、地元の規制やしがらみに阻まれて進まずにいるが、蔡は楽観的だ。一方、ゲーリーはそうなることを予想していたのだろうが、見通しは明るくないと見ている。「彼らは私たちにデザインしてほしいみたいだが、実際に話がまとまるとは思えないな」と言うのだ(蔡は泉州市郊外の清原山に、小規模な文化研修所を造る計画を立てている。ツァイ・グオチャン現代美術文化研究所と名付けられたその施設の設計も、蔡はゲーリーに頼んでいる)。だが今のところは、この家が生活と仕事の場であり、蔡とゲーリーの友情の小さな記念碑だ。

画像: 客用の棟と母屋をつなぐ、ガラス張りの空間の外観

客用の棟と母屋をつなぐ、ガラス張りの空間の外観

 ゲーリーの作品へのよくある批判が、彼の建物は視覚的には圧倒的に優れているが、実用的ではないという点だ。蔡もそんな批評を耳にしているが、こう言って否定した。「彼は細部にとても気を配っているよ」。敷地内を散歩したあと、私たちは、母屋と客用の棟をつなぐ通路のような小さな部屋に腰を下ろした。

蔡は言う。「ゲーリーがデザインしているときは、ここは無駄な空間だと思っていたんだ。でも、いざ住みはじめてみると、うちの家族全員がここに座るのが大好きなことに気づいた。まるで自然の中にいるように感じられるんだ」。彼は立ち上がってドアを開けた。外気と虫が部屋に入ってきたが、まったく気にする様子はない。私たちはしばらくそこに座って鳥のさえずりを聞いていた。

「フランク・ゲーリーが馬牧場に作り上げた蔡國強の家<前編>」へ

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