BY MAX LAKIN, PHOTOGRAPHS BY SIMON WATSON, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
ロサンゼルスは、気もそぞろな人間を惹きつけてしまう。この土地は今の暮らしを捨てて、ここに引っ越してくるべきだという無数の理由をあなたの耳に甘くささやく。華氏72℉(約摂氏22℃)の気温とまばゆい日射しで(実際は気温や天候がそのとおりでなくても)この街は果てしなくどこまでも広がっていくように感じられる。新しい自分を発見できるというワクワクする期待に満ち、何をやるのも完全に自由という開拓精神に溢れた土地だ。おまけに、安いアボカドと、たっぷりの太陽光もついてくる。ロサンゼルスは、かつてデイヴィッド・ホックニーが「西洋世界の端っこ」と称した、その状態のまま、今に至っている
ニューヨークを拠点とするエージェンシー、シャンデリア・クリエイティブの共同創業者で、42歳のリチャード・クリスチャンセンは、10年ほど前からロサンゼルスに強く惹かれるようになった。現在、彼はダウンタウンの北東にあるイーグルロックという名の地域に住んでいる。彼が私に電話をしてきたのは、埃っぽい丘に配置された、メソポタミア文明のピラミッドのような形をした煉瓦造りの階段からだった。この丘は彼の庭から新居へと続いている。シャーベットピンクのお菓子のような家が、日没に近い午後の陽光に照らされて輝いていた。
クリスチャンセンは、粘土色のゆったりとした服を着て、つばの広い麦わら帽子をかぶっていた。傍らにはゴールデンドゥードル(註:ゴールデンリトリバーとプードルの交配による犬種)がふわふわとご機嫌な様子で佇んでいる。彼は約2万8,300㎡の、まるでバビロニア帝国の階段式の空中庭園のような庭の手入れをしていた。かつては単なる砂の丘で、植物は何も生えていなかったその場所に、リュウゼツランやプルメリア、シャクナゲや6種類ほどのバジルが育ち、彼の爪の先には、三日月形に土が詰まっていた。
以前、彼がこの街で広告キャンペーンの仕事をしていたとき、友人宅のある通りの向こう側の丘の上に、このスペイン植民地時代風スタイルの広大な家がひっそりと建っているのを見つけた。1940年代に、長年連れ添った男性カップルが建てた家だった。ふたりは米海軍の船員として南太平洋に駐屯していたときに出会った。家は朽ちかけており、窓にはガラスがなかった。そんな状態にもお構いなしでクリスチャンセンはこの家に惚れ込み、年老いた家主を何カ月も訪問しつづけた。家主はジョンという名の親切な男性で、ガウンを羽織り、ヒョウ柄の下着姿でドアを開けてくれた(ジョンのパートナーのラルフはクリスチャンセンとジョンが出会って間もなく亡くなった)。
結局、ジョンはこの家を、室内にごっそりたまったインテリアごと黙って引き取ってくれるなら、売ってもいいと同意した(クリスチャンセンは家の中をまだ見たことがなかった。彼らはいつも庭で話をしていたからだ。庭といっても、当時はカラカラに乾燥しきった植物が絡まり合っている場所だったが)。売買が成立するまで、家の中がどうなっているのかはわからないままだった。
2013年に契約がすむと、新しいオーナーは家の歴史をひもときにかかった。床から鏡張りの天井までうずたかく積み重なるほど、20世紀中頃に撮影されたポルノ映画の撮影用リールやスライドが何千本と残されており、それを見ると簡単に謎は解けた。
ジョンとラルフは、ゲイやストレートのエロチカ映画を製作するフィルムスタジオのオーナーだったのだ。彼らは1950年代から80年代初期にかけて、この家の中で、大量の撮影をこなしていたというわけだ。
「ここは、あらゆるクレイジーなことが行われる神聖で特別な場所だったんだ」とクリスチャンセンは言う。「ポルノをジョークのネタにするのは簡単だが、彼らは誰からも見られることがないこの丘の上の隠れた場所に、アートや表現のための場所を作り上げたんだ」