BY KANAE HASEGAWA
世界が同質化しつつあるとすれば、欧米諸国や他の大陸の国々と長らく文化や慣習を異にしてきた日本にこそ、これからのモノづくりのヒントがあるかもしれない。日本人は文化にしても習慣にしても、渡来したものを土地の風土や習慣に合わせてじっくりローカライズすることで独自の世界を醸成してきた。異なるから受け入れないのではなく、自分たちにないものだからこそ、そこから学び取り、自分たちに合うように“和える”という姿勢。それは、海外でファンを獲得しつつある日本の家具ブランドのスタンスにも通じる気がする。
ミラノデザインウィーク中、市内のショップや歴史的建造物で行われる展示会には出展側への審査はないのに対して、ミラノ郊外で開催されるミラノサローネ国際家具見本市(通称ミラノサローネ)は、主催者が選考した企業しか参加できない。こちらは世界各地の企業が集う“商談の場”なのだ。
そんな見本市で10年来出展しているのが、日本の木製家具ブランドのマルニ木工だ。1928年、広島で創業したマルニ木工は、第二次世界大戦後、西洋化する日本人の暮らしに合わせて欧米の家具様式を取り入れた彫刻的な椅子づくりに注力し、曲げ木と削り加工の技術を磨いてきた。欧米人が見ると「純粋な欧米のスタイルではない」という声が上がるかもしれない。しかし、当時の日本では欧米に倣った“洋風”の家具で十分だった。
その後、日本人の志向が変わる中、創業時からのクラシカルな家具を作りつつも、同社のクリエイティブは独自の方向へと大きく舵をきる。2008年、プロダクトデザイナーの深澤直人を起用し、木工技術を生かしつつ「世界の定番」を目指した家具づくりに取り組み始めたのである。さらに、2011年に英国人プロダクトデザイナー、ジャスパー・モリソン(JASPER MORRISON)がデザイナーに加わったことも大きかった。ヨーロッパと日本の異なるまなざしが出会い、お互い様子を伺うように歩み寄っては突き放す、それを繰り返しながらモノづくりに取り組んできた。
「ヨーロッパにおける家具づくりの場合、昔と違って今はさまざまな部材を外部から調達したり、製造工程の一部を外注するケースが多いのです。そうした中、マルニ木工は木製家具を作るための設備がすべて自社内にある。これは大きな強みでしょう」と、モリソンがかつて話してくれた。すべてを自社工場内でまかなうことは製品の改良の迅速化にもつながる。2008年に発表した「HIROSHIMA」アームチェアは、工作機械をコントロールするコンピュータのプログラミングを40回以上改良することで、クオリティを保ちながら生産性を高めてきた。
英国のジャーナリストは「マルニ木工のように先端のマシンをとり入れた工業化と、長年の経験を持つ人の手で最後の仕上げを行うクラフト性が融合しているブランドは稀有です」と話す。こうした点も、マルニ木工の椅子が世界各地の名だたる建築家が手がけた空間にしっくりと収まる理由のひとつとなっている。