チリの海岸を舞台に現代の建築家たちが創造した数々の家。周囲に広がる風景さながらに荒涼で壮大なその家は、どれも見る者を惹きつけてやまない

BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY JASON SCHMIDT, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 チリの南北の距離は約4,301kmにも及ぶが、東西の距離は平均すると約178kmしかない。国土は広大だが細長く、岩だらけの海岸沿いとそびえ立つ山々のあいだに、人が住める地域はごくわずかな面積しかない。数年に一度は火山が噴火し、郊外を灰で覆う。地震で町が揺れ、建物が壊れ、津波が海岸線の町に押し寄せる。チリの詩人で、ラテンアメリカ初のノーベル文学賞受賞作家となったガブリエラ・ミストラルは、最初に出版された彼女の詩集『悲嘆』(1922年)で母国を「海が山を浸食する」と書き、チリの空を「苦しみに口を開けた巨大な心臓」になぞらえた。

ミストラルの後継者であり、チリで二人目となるノーベル賞受賞詩人のパブロ・ネルーダは、後世に影響を与えた作品集『地上の住処』(1925年〜45年)の第一巻で、母国についてこう書いている。「私の人生と地球に執拗に関わってくる/決して屈服しないと公言し、人なつこさは皆無」(本誌訳)。詩人として活躍する一方で、名誉あるチリの外交官として自発的な亡命ともいえる優雅な海外生活を送ったネルーダは、『不純な詩へ向かう』と自ら題したマニフェストを1935年に出版した。「地球上のあらゆる場所を、人類の存在が覆い尽くしていく」と彼は記している。「これがわれわれの探し求める詩だ。まるで酸によって腐食するかのように、人類の手と労働によって少しずつ破壊されていく……」(本誌訳)

 チリの新しい建築を代表するのに最もふさわしい家とは、風土を尊重し、土地に自然と溶け込むようなものではなく、むしろネルーダの「不純な詩」のように、疑う余地もないほど人工的で、洗練などされておらず、粗削りで、時に現実離れした建築物だ。海を見下ろす崖や山のふもとに建つ家々は、その土地の所有権を誇示し、「征服されず、人なつこくない」世界に住む人間の存在を表明し、人間という不完全な存在に深く根ざした詩を高らかに謳い上げるのだ。

 グローバルな建築シーンにチリがデビューしたのはほんの30年ほど前だが、この国に最初にモダニズムが登場したのは約1世紀前にさかのぼる。1930年、パブロ・ピカソのパトロンとして知られるエウヘニア・エラスリスがル・コルビュジエに自宅のデザインを発注した。首都サンティアゴから西へ数時間ほど行った太平洋沿岸の岩場に建つ邸宅だ。当時、輸入建材を手に入れることは不可能だったため、ル・コルビュジエは彼のお気に入りの鉄筋コンクリートの代わりに、地元の自然石と巨大な岩を集め、それを地元の材木で組んだ型の上に取りつけようと考えた。屋根部分には、近くにあったコテージの伝統的な屋根をひっくり返して使い、それが「バタフライ・ルーフ」と呼ばれる現代建築の原型となった。

のちに、この屋根のデザインは世界中のモダニズム建築に採り入れられ、とりわけカリフォルニア州じゅうの郊外の農場主たちはこぞってこの屋根を採用した。ル・コルビュジエが書いた設計図どおりの家は実際には建設されることはなかったが(エラスリスは友人であったパブロ・ピカソから高価な絵画を買いすぎたために破産してしまったのだ)、その自邸のコンセプトは、郊外の家をチリの建築デザインの実験場にするという前例を残した。

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