チリの海岸を舞台に現代の建築家たちが創造した数々の家。周囲に広がる風景さながらに荒涼で壮大なその家は、どれも見る者を惹きつけてやまない

BY MICHAEL SNYDER, PHOTOGRAPHS BY JASON SCHMIDT, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 またサンティアゴでは、1950年代に建築家のセルヒオ・ラライン・ガルシア=モレノが、ドイツのバウハウスからアイデアを得たカリキュラムを、チリ最高峰の建築学部を擁するポンティフィシア・カトリカ大学(通称PUC)に導入。これによって、エラスリス邸と同じような先進的なプロジェクトが一気に流行した。ちなみにララインはホルヘ・アルテアガとともに、チリ初のモダニズム建築物である、巨大な箱のような形と丸みを帯びた角をもったオベルパウル・ビルを建設している。

1960年にはチリ南部を地震が襲い壊滅的な被害が出たが、その地震に先立ち、チリでは合理的かつ現地の社会的環境を意識したモダニズムをすでに採り入れており、そのモダニズムが地震後の復興の中心的役割を果たした。1960年代中頃には、コペレック・ビルの建設により、チリ・モダニズムの隆盛は最高潮に達した。南部の町チヤンにあるコペレック・ビルは、砂時計型をした柱と射撃孔のような細い縦型の窓をル・コルビュジエ風のパズルのように組み合わせた建物だ。また、サンティアゴに隣接した肥沃な土地ロスレオネスにあるベネディクト会の修道院の美しい建物も、同時代のモダニズムの代表作である。

 だが、1960年代後半にチリ経済が下降するにつれて建築のクリエイティビティも下火になっていき、1973年に米国が後押ししたクーデターによってアウグスト・ピノチェト将軍が独裁者として実権を握ると、創造性の消滅は決定的となった。ララインの孫娘で、サンティアゴを拠点とする57歳の建築家セシリア・プガは、ピノチェト独裁が終わりを迎える頃に大学を卒業した。彼女いわく、当時、ディベロッパーから重宝されていた建築家は、政治的左派と深く結びついていたモダニズムを拒否し、英国のジョージアン風の切り妻壁がある家や、アメリカのショッピングモールのような形の住宅を好んで建てていたという。「独裁政権が犯した罪はたくさんあるが」とPUCの有力な教授であるロドリゴ・ペレス・デ・アルセは語る。「そのひとつは文化の不在だった」

 独裁時代のあいだに、PUCのカリキュラムは実践から理論へと変わり、大学は独自の雑誌と隔年鑑の刊行を始めた。「建築の仕事がないと、自然とそうなるんだ」。PUCのファインアーツ・建築学部でかつて学部長を務め、最近、サンティアゴにあるチリ国立美術館のディレクターに指名されたフェルナンド・ペレス・オヤルスンは言う。ピノチェト独裁がついに崩壊した1990年になると、貿易が再開され、亡命者たちがメキシコやヨーロッパや米国から戻ってきた。この1990年代初頭には、実践派や思考派の建築家たちがPUCを卒業していった。

画像: クリスティアン・イスキエルドが2015年にコキンボの近くのプラヤブランカに建てた家。湿地を望む砂丘の上に建つ。松材を用いた構造物に4枚の羽根のような扉と3つの寝室、居間がひとつある

クリスティアン・イスキエルドが2015年にコキンボの近くのプラヤブランカに建てた家。湿地を望む砂丘の上に建つ。松材を用いた構造物に4枚の羽根のような扉と3つの寝室、居間がひとつある

 独裁後の時代に建てられた最初の重要な建物は、とあるカントリーハウスだ。1991年にマティアス・クロッツが手がけたもので、サンティアゴの約402km北に位置する漁村トンゴイの、海岸沿いの乾燥した土地に建つ邸宅だ。海に面して建つシンプルな木製の箱といった構造で、長方形の建物がぽつんと寂しげに砂の上に浮いている。ミニマリズムを体現した形状と、周囲の風景に溶け込むことを拒否するその姿で、この家は今も若い建築家たちにとって記念碑的な存在となっている。そうした新進の建築家のひとりが、36歳のクリスティアン・イスキエルドだ。彼は2016年、トンゴイから15分ほど北にある砂丘に、サンティアゴに住む老夫婦の週末の静養先となる家「カーサ・モリロス」を完成させた。

  前述したトンゴイの邸宅同様、カーサ・モリロスも重さを感じさせず、空中に浮いているように見える。まるで水辺に着陸した未確認飛行物体のようだ。チリ産の松材だけを用い、近くの町コキンボの熟練した大工たちが組み立てたこの家は、かつてル・コルビュジエがエラスリス邸をデザインしたときのように、この土地ならではの制約という足かせがあるがゆえに、こうした構造に進化した。だが、ル・コルビュジエが設計した家と違うのは、この約204m²のシンプルな家は砂丘の上にあるため、あらゆる方角に同時に面しているという点だ。荒々しく吹きつける砂交じりの風から外壁を守るため、72個の木製の扉は白い特殊な化学塗料で塗られている。その扉を開け放つと、太平洋だけでなく、乾燥した内陸の山々まで同時に視界に飛び込んでくる。ル・コルビュジエは人が生きるために使う道具をつくったことで有名だが、カーサ・モリロスは、イスキエルドに言わせると「見るための道具」なのだ。

 

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