多才なデザイナー、ウォード・ベネットは1963年、豪邸が立ち並ぶニューヨーク州ハンプトンズにモダニズム様式のビーチハウスを建てた。優美さとシンプリシティの象徴として、この家は今も特別な存在感を放ちつづけている

BY CHRISTOPHER BOLLEN, PHOTOGRAPHS BY JASON SCHMIDT, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 NY州サウサンプトンのメドウレーンに入ると、イボタノキの垣根―― 高級住宅街を象徴する緑の壁――は姿を消し、テンキグサ、セイタカアワダチソウ、痩せた松の木が視界に飛び込んでくる。ひっそりしたシャインコック湾と大西洋に挟まれた全長約8kmのこの細長い土地はアメリカ随一の地価を誇り、ひっきりなしに建設工事が行われている。新たな大富豪が引っ越してくるたびに、元の富裕層が住んでいた城は取り壊され、またいつか滅びるであろう宮殿が建てられるからだ。こうした豪邸の間に、質朴な趣の、20世紀半ばの一時期にこの地を席巻したモダニズム建築の偉業が点在している。そのひとつが1963年築の《シュガーマンの家》だ。でこぼこした長方形のきわめてミニマルなこの“コンクリートの聖堂”は、砂の城のようにも、独身者の隠れ家のようにも見える。設計したのはアメリカ人デザイナー、ウォード・ベネットだ。この家は、これまで過小評価されてきた彼の功績を知るうえで、大きなカギとなる作品である。

画像: ビーチから見た家

ビーチから見た家

 ベネットはほぼ独学でデザインを学び、2003年に85歳で逝去するまで約50年間、幅広い分野で活躍した。建築家の資格をもたない彼が手がけた建築物は数えるほどしかないため、オフィス家具のデザイナーとしての知名度のほうが高い。彼が取り入れた「ガラスと鉄でできた高層ビルのシンプルな機能美」は、1950〜60年代のデザインの潮流となった。その代表作には、イギリスの伝統的なサイドチェアをよりシンプルにした《ランドマークチェア》や、19世紀の折りたたみ式ビーチチェアを想わせる《シザーチェア》などがある。家具にとどまらず、テキスタイルやカトラリー、ティファニーのグラスまであらゆるものを制作した。だがベネットの美学を明確に映し出しているのは、やはり《シュガーマンの家》のように、隅々までこだわりが詰まったインテリアや住宅建築だろう。

 ベネットが手がけた一連の邸宅、特にそのインテリアには、心地よいアメリカン・モダニズムともいうべき雰囲気が漂う。それはつややかなメタルフレームとコンクリート壁が特徴のインターナショナル・スタイル(註:1920~50年代に現れた建築様式)と一線を画すものだ。過剰さを嫌い、修道院のような簡素さを追求しながらも、彼はいち早くアンティークとコンテンポラリーアートを織り交ぜ、インテリアに機能的な素材を取り入れた(コルクの床やメタルメッシュの間仕切りなど)。そのニュートラルな空間は、落ち着いた静けさを漂わせながら、実は極端なほど対極的な要素を多くはらんでいる。古いものと新しいもの、安価なものと贅沢なものを共存させ、病院で用いるステンレスの台車にヴィンテージのガラスの花瓶をあしらった。

画像: ベネットがハンプトンズで手がけた数少ない家のひとつ。青石を敷き詰めたプールは砂に囲まれ、その先にはビーチが広がる

ベネットがハンプトンズで手がけた数少ない家のひとつ。青石を敷き詰めたプールは砂に囲まれ、その先にはビーチが広がる

 卓越した彼の才能に目をつけたのはハイモダニズム(註:科学技術を絶対視した厳格で抽象的な建築様式)の主唱者たちだ。1961年、そのひとりである銀行家でロックフェラー家3代目のデイヴィッド・ロックフェラーに、ベネットはチェース・マンハッタン銀行の社屋の室内装飾を任される。彼はベージュの布張りのボックスシートをデザインし、ウォールシェルフを床すれすれの低位置に取り付けた。その約10年後には、フィアット社の社長ジョヴァンニ・アニエッリと妻マレーラの依頼で、建築家フィリップ・ジョンソンとコラボレーションを行った。ふたりは、従来ガーデン向けとされてきたオブジェや素材(籐製品やハンモック、シュロのマット)を取り入れて、夫妻のローマのアパートをロフト風の開放的な空間に変えた。

 スイス系フランス人のル・コルビュジエや、フィンランド出身のアルヴァ・アアルトなど、当時のヨーロッパの建築家やデザイン理論家が基盤にしたのは、哲学や宗教、社会的構造だった。かたやベネットの“使い手にとって心地よい、軽やかなモダニズム”の根底にあったのは、彼の流浪の人生だ。ベネットはマンハッタンのワシントンハイツで、ボードビル(註:通俗的な喜劇・舞踊・曲芸)芸人の父のもと、ハワード・バーンスタインとして生まれた。13歳で家を出て、衣料品街で台車配達をして自活していたが、のちに女性服のスケッチを描く職を得る。20代の一時期には仕事で渡欧し、彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに会う機会を得て、彼を師と仰いだ。NYに戻ってからは、ウィンドーディスプレーを手がけたり、ファッションデザイナー、ハッティ・カーネギーのために毛皮の服をデザインしたりした。また、彫刻家ルイーズ・ネヴェルソンとアトリエを共有し、ドイツ出身の抽象表現主義の画家ハンス・ホフマンによる夜間クラスに通った。陶芸やジュエリーデザインにも挑戦し、1946年にMoMAで催されたグループ展ではジュエリーを出品した。

 40年代後半になると、ベネットは引く手あまたのインテリアコーディネーターとなり、確かな腕をもつ家具デザイナーとしても人気を博した(テキサス州オースティンにあるリンドン・ベインズ・ジョンソン大統領図書館には、ベネットによる、滑らかな曲線が美しい《ユニバーシティチェア》がそこかしこに置かれている)。だが、彼の革新性がより鮮明に表れているのは、インテリアデザインの分野だ。1962年にベネットは、ニューヨークのセントラルパーク・ウエストにある「ダコタ・ハウス(高級集合住宅)」の最上階を購入する。急勾配のマンサード屋根の下にメイド部屋が密集した空間を、彼は開放的なスペースに変え、傾斜した壁には目がくらむようなパノラマが見渡せる大きな窓を設けた。ロフトスタイルがまだ流行していなかった当時、こうしたインテリアはきわめて独創的だった。その数年後、ベネットはニューヨーク州イーストハンプトンのスプリングスに、自らの隠れ家を造った。当時、ボヘミアンムードと自然にあふれていたこのエリアには、ウィレム・デ・クーニングなど多くのアーティストが集まっていた。ベネットの家には、2m²大のピラミッド型の天窓や、床から天井まで届くアカスギ製のアコーディオンドアがあり、ドアを開ければ眼前に海の景色が広がった。それはまさに一時代を画すような斬新なインテリアだった。

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