BY CHRISTOPHER BOLLEN, PHOTOGRAPHS BY JASON SCHMIDT, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO
だが、ベネットが独自のビジョンを突き詰めた傑作は、マービン・シュガーマン(註:アメリカの有名子ども番組『キャプテン・カンガルー』のプロデューサー)と妻ロニーのためにデザインしたビーチハウスだろう。気難しいことで有名な彼は、普段ひとりきりで仕事をするのを好んだが、あまりに大がかりなプロジェクトだったので、当時22歳だったジョー・ドゥルソを助手として雇った(ドゥルソはのちに、1980年代前半のインダストリアルスタイルの代名詞である“ハイテク”デザインを生んでいる)。
海沿いの約1万1,000m²の土地に立つ、漆喰塗りのコンクリートの家。キュビズム様式のこの邸宅はベネットが意図したとおり、海辺の風景に静かに溶け込んでいる。床下が2.7mほどある高床式建築で、竣工当時はこの海辺で最も背の高い建物のひとつだった。何にも遮られることなく大西洋が見渡せるこの住宅は、まるで未来を予見していたかのように、海面上昇のリスクから回避できる構造になっている。
質感も色も砂のような、漆喰の皮膜に覆われたこの建物は、遠くから眺めると砂丘から“自然発生”したかのように見える。建物の中央から斜めに張り出した壁には何十ものチーク板が段状に埋め込まれている。これが砂浜とリビングルームを結ぶ階段だ。手すりのないこの階段をこわごわ上っていくと、ベネットが敬慕していた建築家のひとり、モダニズム建築様式で有名なメキシコのルイス・バラガンを想わせる空間が現れる。室内の壁は、内側に引っ込んだ窓枠以外、ほぼひとつづきになっている。内装材として使われているのは、チーク材、ストーンタイル、漆喰だけである。ベネットはバラガンと同じように、敬虔と呼べるほどストイックなシンプルさを追求し、「空間をつくるのは家具や装飾ではなく、自然の光や影だ」と考えていた。だがバラガンと違って彼はモノトーンを好んだ。黒のガラス製ドアノブ、白い天井に溶け込んだレール式可動照明、ワシの巣のようにそびえる3階の部屋へ導くブラックメタルの螺旋階段という具合に。「ウォードはすべてにこだわっていました」。現在77歳になるドゥルソが当時を振り返る。「大抵の建築家はインテリアにまで関心をもたないものです。でもウォードは、家具はもちろん、シーツやタオルにいたる細部までおろそかにしませんでした。彼にとって、照明のスイッチの位置は、窓と同じくらい大事な要素だったのです」
1978年にシュガーマン夫妻がこの家を売却してから、何度かオーナーが替わった。2012年に入居した現オーナーは長年ベネットを敬愛しており、木工品の塗装をはがし、建設当時のマットな木目に戻すなど、修復作業に3年も費やした。改装はわずかしか行われていないが、一番大がかりだったのがギャレーキッチン(註:機能性を重視したコンパクトな台所)の拡張工事だ。料理というものを軽視していたベネットが造ったキッチンは手狭だったため、テラスの一部をキッチンスペースに加えて拡張した。ちなみに、高床部分をガラス窓で覆って居住スペースに変え(現在は来客用ベッドルームと書斎として使われている。居住面積は計約650m²)、長方形のプールを設けたのは先代のオーナーたちである。メインフロアのアイボリー色の壁には、リチャード・プリンス、エド・ルシェ、サイ・トゥオンブリーなどの作品が並ぶ。X状のスチール脚に籐の座面を組み合わせた《スレッド・チェア》などベネットがデザインした家具も複数置かれている(ハーマンミラーの子会社、ガイガー社は今もベネットの椅子を生産している。腰に問題のあったベネットは、傾斜や角度に徹底的にこだわり、見た目に反して座り心地は抜群である)。長方形のスチール製ダイニングテーブルは、ドゥルソの1970年代の作品で、オーナーが地元のアンティークショップで見つけたそうだ。
機能主義的な厳格さが漂う建物だが、オーナーは心置きなくリラックスできる場所だと言う。「もともと、くつろぐために造られた家ですからね。好きなときすぐに砂浜に降りて散歩ができる、正真正銘のビーチハウスなのです」。ベネットの"家と環境をつなぐ"というコンセプトを際立たせるために、オーナーはプールがある中庭のタイルを砂で覆った。周囲の植栽をデザインしたのは、イーストハンプトンを拠点に活動するランドスケープデザイナー、エドウィナ・フォン・ガルだ。これまで彼女は、同エリアに居を構えるカルバン・クラインや料理研究家のアイナ・ガーテン、写真家で映画監督のシンディ・シャーマンなどの庭園を設計してきた。この家のために彼女は、おもに自生種の丈夫な松や草木、つまり不安定な生育環境下でも定着する砂丘植物を選んだ。プールサイドには、彫刻のように枝がうねったカイヅカイブキが植わっている。「もともとこうだったと思えるような景観を創りたくて」とフォン・ガル。「空から降ってきたようなこの家には、そういう雰囲気が一番しっくりくると思ったのです」
《シュガーマンの家》が完成して数年後、ハンプトンズのアマガンセットでベネットが手がけたのは株式ブローカー、ヘイル・アレンの家だった。さらに壮大なこの家は、ハンプトンズにおける彼の最後の建築物である。コンクリートの要塞に似たこの家は『、ローリング・ストーン』誌の共同創刊者ヤン・ウェナーと当時の妻ジェーンが1990年に購入してから、注目を浴びるようになった。夫妻から改修を依頼された当時72歳のベネットは、プールハウスや精緻なつくりの格子壁、アジアのアンティーク家具などを加えた。だがやはり、ベネットが追い求めた究極のシンプリシティを具現しているのは、メドウレーンの《シュガーマンの家》だろう。その簡素さは、過剰で華美な現代のデザインを暗に批判しているようにも見える。人影もまばらな海辺に光る波しぶきのように、この家の静かで透明で本質的な美は、観る人の記憶にいつまでも残るだろう。