BY NICK HARAMIS, PHOTOGRAPHS BY ALLEGRA MARTIN, TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

美術商ニコラス・ワード=ジャクソンの住まいのポルテゴ。壁には、ギルバート&ジョージによるフォトコラージュと、天井から20世紀初頭のシャンデリア。
ベネチアの伝統住宅には一般的に「ポルテゴ」と呼ばれるホールがある。建物の長辺に沿って部屋と部屋をつなぐ広々とした柱廊だ。そのポルテゴの運河側に置いた青緑色のベルベットのソファに、ワード=ジャクソンは座る。背後の壁には、レガッタで勝利するイタリア人選手を描いた18世紀の絵画2枚――ワード=ジャクソンいわく「少しチープ」な絵――の横に、ドイツ人の写真家トーマス・シュトゥルートによる風景写真も飾られている。この空間で最初に気づくのは、静けさだ。次が、壁に飾られた縦約2.5mの巨大なコラージュ作品だろう。イギリス人アーティスト二人組、ギルバート&ジョージが1977年に発表した《DIRTY WORDS PICTURES》のシリーズで、タイトルは《Lick》。セルフポートレートと都会のわびしい風景のコラージュ作品だ。妻が集めてきた作品のひとつだが、この設置については「吉と出ているかどうか確信はないけれどね」とワード=ジャクソン。そばにあるのはベネチアン・ガラスの花をあしらう複雑な形のシャンデリアだ。ニッケルめっきを施した銅製のフロアランプは、1962年に建築家兄弟アキッレ・カスティリオーニとピエル・ジャコモ・カスティリオーニがデザインしたもの。「空間全体をコンテンポラリーフォトでいっぱいにすることも考えたのですが、それだと旅行代理店のオフィスみたいだから」とザンゾットは首を振って笑う。

ポルテゴ(柱廊)の扉の脇に、カスティリオーニ兄弟による「フロス」のフロアランプ。扉の内側のキッチンにも、兄弟がデザインしたペンダントライトがあり、その下にはエーロ・サーリネンによる台座風テーブルと、ジオ・ポンティの椅子。
玄関の左側、キッチンかららせん階段を上がると、裏庭を見晴らすルーフトップテラスに出る。遠くにサンマルコ寺院の鐘楼も見える。キッチンではコンロ背後のタイルを一部残し、床にはレンガと石灰を砕いて混ぜたパステローネ技法を用いたほか、薄緑色のモミ材キャビネットでモダンな雰囲気を出した。手前にはジオ・ポンティがデザインした鮮やかなビーチチェア、天井からはイタリアの「フロス」の樹脂コーティングしたペンダントライト。書斎の壁は、ダークな色合いの木製の梁をもつ天井や、石造りの装飾用暖炉などとバランスをとって、ザンゾットが大胆なテラコッタ色に塗った。イサム・ノグチの彫刻のような和紙照明、ラッカー塗装の赤い天板と真鍮を使ったウィリー・リッツォによる円形のコーヒーテーブル、ジャン・プルーヴェがデザインしたバーガンディカラーの革張りの椅子など、モダンな家具も置いている。「くつろげる場所にしたかったんです」とザンゾット。「『まるで王宮だな』と思ってしまうような、いかにもな感じではなく」

書斎。ジャン・プルーヴェの椅子、ウィリー・リッツォのテーブル(手前)、イサム・ノグチの照明《アカリ10A》。書棚は、改装を手がけた建築家マリアンジェラ・ザンゾットのデザイン。壁に掛けられた18世紀の絵画の左右に、18世紀ベネチアの鏡枠。
ワード=ジャクソンは、家具よりも壁を飾るもののほうに興味があるようだ。イタリアの歴史を凝縮したような、絵の具を厚く塗り重ねたインパスト技法の絵画2枚は、18世紀初頭のベネチアの画家アントニオ・マリア・マリーニによるもので、嵐や闘いを描いている。青年の肖像画はルネサンス期の画家パオロ・ヴェロネーゼの流派だ。ワード=ジャクソンのもとで働くスタッフが現れ、エスプレッソをすすめたが、彼は断った。「今日はもうくたくただよ」。建物内の別室にはスタッフのひとりが居住している。友人や家族がイギリスから訪ねてくることもあるが、もっぱらワード=ジャクソンはこの家にひとりきりだ。妻のマルゲリータと10代の息子ふたりは、今はロンドンを拠点にしている。だが自分が別の場所に住むことは想像できないそうだ。「実を言うと、狂おしいほどの気持ちなんだ」と打ち明ける。「この場所にとらわれてしまったんじゃないかと思うね」
もう横になるからと話を打ち切る前に、彼はしばらく一枚の絵を眺めた。作者不詳だが、描かれているのは18世紀ドイツの貴族で、ベネチアに惚れ込み、イタリア総督の養子になりかけた人物だという。「イタリアに住んだ外国人で一番高貴な人物かもしれないね」。その彼もまた、この地に居場所を見つけ、とどまることにした旅人のひとりなのだろう。
▼あわせて読みたいおすすめ記事