19世紀末から20世紀前半、スウェーデンで活躍した画家カール・ラーション。理想の家を築きながら暮らしそのものを芸術に変え、人々に自国の文化的アイデンティティとその意義を再認識させた。その家は今もスカンディナビアの理想的な住まいの象徴として愛されている。

BY NANCY HASS, PHOTOGRAPHS BY MIKAEL OLSSON,TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

カール・ラーションの家【前編】はこちら

画像: スンドボーン村から約13㎞離れた町ファルンに、ラーション夫妻の冬の家がある。現オーナーは夫妻のレガシーを大切に守り、カールの絵画制作用アトリエだった空間には彼の好きなグリーントーンの椅子を置き、カーリンの緻密で複雑な織物を思わせる大きなタペストリー(パキスタンに住むアフガニスタン難民が制作した)を飾っている。

スンドボーン村から約13㎞離れた町ファルンに、ラーション夫妻の冬の家がある。現オーナーは夫妻のレガシーを大切に守り、カールの絵画制作用アトリエだった空間には彼の好きなグリーントーンの椅子を置き、カーリンの緻密で複雑な織物を思わせる大きなタペストリー(パキスタンに住むアフガニスタン難民が制作した)を飾っている。

「リッラ・ヒュットネース」のダイニングルームは、夫妻の美意識を象徴する、深みのあるトマトレッドとフォレストグリーンで彩られている。当時、裕福な家では壁や天井を羽目板(註:小幅な板)で仕上げるのが普通だったが、夫妻はあえて、主にキッチン用とされていた手頃なジョイント式パネルを使った。窓の前には造り付けの長椅子がある。その上には、近隣のダラフローダ村の女性が刺しゅうしたベッドカバーをカーリンがシートクッションに作り替えたものと、四隅にひまわりの花びらを刺しゅうしたサファイアブルーのクッションが置かれている。長椅子の上にあるのは『Four Elements』と題されたタペストリーだ。プラム、ロイヤルブルー、レッドオレンジの抽象的な波模様が、ピラミッド形のモダニズム的な幾何学モチーフと交差する。白いリネンのテーブルランナーにはラーション家の家系図が赤い糸で刺しゅうされているが、遠目には象形文字のように見える。

画像: 「リッラ・ヒュットネース」のリビングルームで目を引くのは、カールが自身の絵画作品と交換して入手したという、柄入りタイルで覆われた1754年製の豪華なストーブ。天井にはストーブの柄とよく似た花のモチーフが描かれている。

「リッラ・ヒュットネース」のリビングルームで目を引くのは、カールが自身の絵画作品と交換して入手したという、柄入りタイルで覆われた1754年製の豪華なストーブ。天井にはストーブの柄とよく似た花のモチーフが描かれている。

 華やかで独創的な雰囲気から、計算しつくされたシンプルさまで、夫妻それぞれのテイストを複雑に織り交ぜたスタイルは、道路を挟んだ向かいにある「スパーダルベット」にも見られる。「スパーダルベット」は19世紀初頭に造られた小さな農場で、夫妻はここを1897年に購入して、家族のために肉や野菜を自家生産し、頻繁に来訪する宿泊客を迎える場所にした。カールの末娘ケルスティの孫、引退したエンジニアのクラース・フリーベリ(67歳)は1990年にほかの家族から所有権を譲り受け、この農場で家族と暮らし、管理人も務めている。玄関は簡素な佇まいだが、18世紀の重厚なパイン材の扉には、意匠を凝らした17世紀製の鉄の蝶ちょう番つがいと、カールの末娘ケルスティの夫であるアクセル・フリーベリが1931年に制作した白樺の彫刻があしらわれている。「200年の長い歴史を経て、さまざまな要素がひとつにまとまったという印象ですね」とクラース・フリーベリは言う。ラーション家らしい穏やかなグレイッシュグリーン(スウェーデンでは「カール・ラーションのグリーン」と呼ばれている)を基調とした壁には、かつてカール自身が飾りつけたというアンティークのヘイム(荷馬の首に装着する器具の一部)と、彼の記念碑的大作『グスタヴ・ヴァーサのストックホルム入城』(1908年)の習作で、カンヴァスに描かれた馬の油絵数点が配されている。この大作は100年以上にわたり、ストックホルムにあるスウェーデン国立美術館の階段ホール上部の壁に鎮座しつづけてきた。また、玄関ホールと小さなリビングルームの間には、カーリンが織った黒白の幾何学模様の、フリンジつきのテキスタイルが掛けられている。2 階の真ん中を柱のように貫いているのは、漆喰仕上げの長方形の煙突だ。バタークリーム色とコバルトブルーの渦巻き模様と、スウェーデン語で「ここに幽霊はいません」と書かれたトロンプルイユの額縁は、1897年に夫妻が描いた。

画像: 「リッラ・ヒュットネース」の道を挟んだ向かい側にある、ラーション家の小さな農場「スパーダルベット」。壁には、アンティークの馬具や油絵が並ぶ。馬の絵は、スウェーデン国立美術館の階段ホール上部の壁に今も飾られている大作のための習作。

「リッラ・ヒュットネース」の道を挟んだ向かい側にある、ラーション家の小さな農場「スパーダルベット」。壁には、アンティークの馬具や油絵が並ぶ。馬の絵は、スウェーデン国立美術館の階段ホール上部の壁に今も飾られている大作のための習作。

 ラーション夫妻は1906年以前に入手したもう一軒の家も、見事な芸術作品へと生まれ変わらせた。場所はスンドボーン村からおよそ13㎞離れた地域最大の町ファルン(夫妻の子どもたちはこの町の学校に通っていた)。18世紀築の8部屋から成る簡素なこの家で一家は冬を過ごし、夏には「リッラ・ヒュットネース」へ移り住んだ。この家の通りに面した門扉には、カールたちが暮らしていた頃に作られた、高さ約1.8mのトーテム像風の木製レリーフがあしらわれている。現在この家の住人で、元TVプロデューサーのビョルン・ヘンリクソン(80歳)とその妻カイサは、この印象的なオブジェをデザインしたのはカーリンかもしれないと言う。1900年代に使われていた家具や当時の壁面装飾はもはや跡形もないが、ビョルンとカイサは、カールが家の裏手に増築し、晩年の多くの絵画作品を制作した広いアトリエに染み込んだ、夫妻の感性をいつまでも残したいと考えている。現在、家族の集いや小さなコンサート会場として使われているこの元アトリエの壁には、表面の起伏と陰影が美しいタペストリーが掛けられている。もしカーリンがこれを目にしたら、そのスケールの大きさと伝統工芸の見事さに感嘆したことだろう(ビョルンはこの布をドキュメンタリーの撮影で赴いたパキスタンから持ち帰った)。大きなラウンドテーブルに掛かっているのはシダ色のフリンジつきの布。周りには、緑色にペイントしたきゃしゃな紡錘形の脚が特徴のクイーンアンチェア(註:18世紀初頭、イギリスのアン女王時代に流行した優雅な曲線を描く椅子)が置かれている。

画像: 冬の家の数歩先にある小さなコテージは、カールの銅版画の元アトリエ。彼はここで最期を迎えた。コテージを保存、管理しているのは地元のコミュニティ。ベッドには、カーリンがナバホ族のブランケットに着想を得てデザインしたカバーが掛けられている。

冬の家の数歩先にある小さなコテージは、カールの銅版画の元アトリエ。彼はここで最期を迎えた。コテージを保存、管理しているのは地元のコミュニティ。ベッドには、カーリンがナバホ族のブランケットに着想を得てデザインしたカバーが掛けられている。

 小さな庭を挟んだ向こう側には、カールが愛用していた特別な空間─ふたつの部屋を備えた赤いコテージ─があり、ファルンのコミュニティの支援によって、当時の状態のまま残されている。子どもたちが学校に行っている間、カールは巨大なプレス機を使って日々銅版画の制作に取り組んでいた。かつて現代技術の驚異と称えられたその無骨な機械は、隣のオークル色の壁の小さな寝室と同じように、今はただそこにじっと静かに佇んでいる。カールは寝室のシンプルなベッドで時折昼寝をしていたそうだ。ベッドの上の回り縁には、19世紀初頭の日本の木版画がずらりと並んでいる。

「カーリン、私はもうじきこの世を離れるよ」。1919年1月の凍てつくような夜、カールがコテージで、カーリンの腕をつかみながらこう告げたと、彼女はのちに語っている。カーリンはカールの手を引いて幅広のパイン材を敷き詰めた床を進み、コットンのベッドカバーの上に彼をそっと寝かせた。このカバーは、ナバホ族のブランケットに着想を得てカーリンがデザインしたもので、ベージュとプラムカラーの縞模様が入っている。腰窓から差し込む太陽光に包まれたこのシンプルなカバーは、今も変わらずにカールが愛用したベッドをそっと覆っている。

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