BY MARI SHIMIZU
歌舞伎古来の大胆な要素と近代的精神に則った細やかな心理描写とを融合させ、巧みなせりふ術で観客を魅了したという初代吉右衛門が、評判を取った役のひとつに、今月夜の部で上演されている『寺子屋』の松王丸がある。
物語の舞台となるのは、武部源蔵という人物が営む平安時代の寺子屋。源蔵は藤原時平によって失脚させられた菅丞相(菅原道真)の子・菅秀才を匿っているのだが、それが時平方に知れ、菅秀才の首を討って差し出すよう命じられたところから始まる。首の検分役を務めるのが、時平に仕える松王丸だ。豪華な刺繍が施された衣裳に、病であることを示す紫の鉢巻を締め、月代が伸びた大ぶりの鬘での登場となる。
「雪持ちの松に鷹が描かれた見事な刺繍です。どんなに病に伏せっていたとしても月代があんなにも伸びるはずはないですし、そこに病鉢巻の紫で色気を醸し出す。今だったらとても考えつかない、素晴らしい発想だと思います」
インパクトある登場の、その瞬間から松王丸は心情的に「辛い役」なのだという。なぜなら、源蔵が恩義ある菅丞相のために下した決断は、その日新しく入門した寺子を菅秀才の身替りに討つことで、その子供こそ松王丸の実子なのである。時平に仕えながらも秘かに菅丞相に心を寄せていた松王丸は、身替りとなることを承知で、我が子を源蔵のもとへ入門させた。彼が”菅秀才の首”として検分するのは、我が子の首。これはすべて、松王丸の作戦だったのだ。
「子供を身替りに死なせて辛くない親はいませんよね。でも事実を知られたらすべてが台無しになる。だから絶対に悟られてはいけない。その一方、大半のお客様は討たれたのが松王丸の子であることをわかってご覧になっています。父としての苦しい心情を常に抱きながらも、最初から底を割ってしまったら芝居としてつまらないものになってしまう。演じる身としてはそこが難しいところで、作劇として非常によくできています」

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』松王丸=中村吉右衛門
PHOTOGRAPH BY NARUYASU NABESHIMA
我が子の首と対面するその時まで、ものごとが作戦通りに進行したか否かは松王丸にはわからない。そこにいる人々と松王丸との細やかな心理戦が展開される。かと思えば、かっと目を見開きその一瞬にすべてを凝縮させる、歌舞伎独特の演技である見得で周囲を圧倒する。目を離せない場面が続く。
作戦を成功に導いたのは松王丸と源蔵の、菅丞相を敬う心。『寺子屋』は、菅丞相という絶対的存在を軸に、松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟の運命をからめて描いた、壮大な大河ドラマ『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の終盤の物語なのだ。
「我が子を犠牲にするなどありえない話ですが、それだけ菅丞相つまり菅原道真公が素晴らしい人物だったということです。そして昔の人にとって天神様として崇め奉られた道真公は今よりもずっと身近な存在だったのでしょう。時代物で大切なのは、想像力を最大限に膨らませてその時代の人になることです。そしてその中に今を生きる人間としての思いを乗せて、松王丸という人物や歌舞伎という芝居の面白さをいかにお見せできるかなのです」
虚実も時代も超えて吉右衛門さん演じる松王丸に心を寄せる観客が、その心情に共感し、同化しているかのような様子を、初日の劇場で目の当たりにした。
「お客様が一緒に松王丸の苦しさに耐え、同じ気持ちで泣いてくださるような芝居ができたらと思うのですがまだまだです。本当に難しいです」
さらなる高みを求めて今なお邁進するその姿を、今月、菅秀才として舞台上で見つめているのは尾上丑之助さんだ。令和最初の月となった5月に初舞台を踏み、尾上菊五郎家の大切な名跡を七代目として襲名した、吉右衛門さんにとっては外孫である。5歳の丑之助さんは今、昭和、平成、令和の名優が演じる松王丸に何を感じているのだろうか。そしてそれは令和の先の歌舞伎界に何をもたらすのだろうか。それがわかるのは、ずっとずっと先のことだ。