小柄で太っちょ、動物の言葉を話せる博物学者のドリトル先生の物語は、今もなお、子どもたちの心をとらえ続けて離さない。『ドリトル先生航海記』の新訳を手がけた生物学者、福岡伸一さんにこの物語が持つ深い眼差しについてうかがった

BY CHIWAKO MIYAUCHI, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO

 ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズの中で、福岡少年が一番最初に出会ったのが『ドリトル先生航海記』。その偶然の出会いは、ちょっぴりおたくで虫が大好きな少年の心をすっかり奪ってしまった。

画像: 福岡伸一(SHIN-ICHI FUKUOKA) 1959年東京都生まれ。京都大学卒業。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。分子生物学者としてのキャリアに裏打ちされた科学の視点と、抒情的な文章が人気を博し『生物と無生物のあいだ』がベストセラーに。『動的平衡』など著書多数。翻訳本には、絵本『ダーウィンの「種の起源」― はじめての進化論』(岩波書店)などがある PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

福岡伸一(SHIN-ICHI FUKUOKA)
1959年東京都生まれ。京都大学卒業。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て青山学院大学教授。分子生物学者としてのキャリアに裏打ちされた科学の視点と、抒情的な文章が人気を博し『生物と無生物のあいだ』がベストセラーに。『動的平衡』など著書多数。翻訳本には、絵本『ダーウィンの「種の起源」― はじめての進化論』(岩波書店)などがある
PHOTOGRAPH BY YUSUKE ABE

「私がドリトル先生の『航海記』を読み始めたのは、ちょうど物語の主人公のスタビンズくんと同じくらいの年齢の時でした。いつものように放課後、図書館に行って本棚の間を行きつ戻りつしていると、一冊の小さな本が目に留まりました。私が目に留めたというより、その背表紙がそっと私に呼びかけているような気がしたのです。本を抜き出してみると、それが岩波少年文庫版の『ドリトル先生航海記』で、立ったまま一行目を読み始めた瞬間から、私はたちまち物語に吸い込まれてしまいました」

 そのまま福岡少年は「スタビンズくん」になって、ドリトル先生の暮らすバドルビーという架空の町に流れる川のほとりの石垣に腰かけて、水面を眺めていたという。そんな印象的な出会いもあって、ロフティング自身による『航海記』冒頭のイラストは、ことのほか思い出深く、今も大好きな絵の一つだ。

 なぜドリトル先生の物語は、時代を超えてなお子供たちの心を魅了するのだろうか。その質問に福岡さんは、「ドリトル先生は、子供の時に出会うべき理想の大人だから」と答える。
「まず、子供を子供扱いしない。どんな子供も対等に扱ってくれる。貧しくて学校にも行けないスタビンズ少年のことを、町の人たちは、小僧とか、ラットとか、おいとしか呼ばなかった。ドリトル先生だけが、初めて『ミスター・スタビンズ』と呼びかけてくれるんですね。スタビンズくんだけでなく、ドリトル先生は、動物や虫、魚たちとも同じスタンスで接するナチュラリストです。ドリトル先生は、生きとし生けるものに対する『フェアネス』、『公平さ』の意味を私たちに教えてくれる物語なんです」

画像: ロフティングによる『航海記』冒頭のイラスト。架空の町バドルビーの川べりに行き交う船を眺めるスタビンズ少年。貧しい靴職人の息子で、学校にも行かせてもらえないが、もうすぐドリトル先生とのわくわくする出会いが…。未知への憧れが込められた美しい挿画

ロフティングによる『航海記』冒頭のイラスト。架空の町バドルビーの川べりに行き交う船を眺めるスタビンズ少年。貧しい靴職人の息子で、学校にも行かせてもらえないが、もうすぐドリトル先生とのわくわくする出会いが…。未知への憧れが込められた美しい挿画

 フェアネスとは平等であるという意味だが、それはドリトル先生が博愛主義であるということを意味しない。そこには著者ヒュー・ロフティングのドリトル先生に託した生き物への深い眼差しが読み取れると福岡さん。
「フェアネスとは、生命に対する眼差しが平等だということです。生きていくということは、他の生物の犠牲の上に成り立っています。食うか食われるかという、他の生物を糧とせずして自分は生きてはいけないという現実を受け入れた上で、できるだけ生命に対して公平な立場を取るというのが、ドリトル先生のスタンス。それをドリトル先生は物語の中でちゃんと体現している。ドリトル先生はアヒルの“ダブダブ”や、犬の“ジップ”、豚の“ガブガブ”、サルの“チーチー”といった動物たちを家族として暮らしていますが、ドリトル先生の大好物はソーセージやスペアリブ、ベーコンです(笑)。私は動物を殺すのはいやだから、ベジタリアンになるとか、そういうことは言わない。そこに偽善がないんです」

 たとえば物語の中に、猟犬がキツネを追いかけるシーンがある。その猟犬に対してドリトル先生はこんなふうに諭す。「君たちは飼い主からいつでも餌をもらっているだろ。でもキツネは生きるのに必死になっている。だからもうお前たちはここから去れ」と。「ドリトル先生の行動には、あらゆる面でフェアな姿が発露しているんです」と福岡さん。

 子供たちがドリトル先生に憧れるのは、それだけではない。他にも大きな理由がある。“抑圧”から解放してくれる唯一の大人だからだ。
「子供というのは常に親から抑圧されている存在です。親は愛してくれるけれど、同時に自分に命ずる存在でもあるわけです。学校に行けば先生が教えてくれる存在ですが、やはり勉強しなさいと命ずる立場です。少年少女は基本的に縦社会にいて、それはある種の抑圧としていつも働いています。ですから、少年少女にとって一番大事なのは、「斜めの関係」の大人に出会うこと。フェアに接してくれるけれども、命令するわけじゃない、しかし、世話をしてくれるわけでもない。そういう人と出会うことによって、世界が格段に広がるんです。そういう存在としてドリトル先生は描かれている。だからドリトル先生の物語は、少年たちの心をくすぐって、限りなく解放的にわくわくさせてくれるんです」

 ドリトル先生は、物語のヒーロー的な存在として描かれているが、子供たちが一番に憧れるのはドリトル先生ではないと福岡さんは言明する。
「子供たちがなりたいのは、動物語が話せて、世界中を冒険する愉快なドリトル先生ではなくて、子供ながらその助手に任命されるスタビンズくんのほうです。100年経ってもドリトル先生の物語が読み継がれている秘密は、スタビンズ少年が語りべとなって、自分が体験した冒険旅行のワクワク感を語っているからです。だから、かつて私がそうだったように、一瞬にしてスタビンズくんと一体化できてしまう。それがこの物語の最大の魅力でしょう」

 スタビンズくんが登場するのは、シリーズ二巻目の『航海記』から。この作品から語りが三人称から一人称になり、がぜん物語が生き生きと動き出す。福岡さんいわく、「スタビンズくんは、ヒュー・ロフティングの大発明」。

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