自伝的映画『フェイブルマンズ』の制作を通じて、彼は家族のつらい秘密と向き合い、現代のアメリカでユダヤ人であることの意味にも思いをめぐらせた。映画に対する愛と、映画界がいま直面する論争点についても率直に語る貴重なインタビューをお届けする

BY A.O. SCOTT, PHOTOGRAPHS BY CHANTAL ANDERSON,TRANSLATED BY YUMIKO UEHARA

画像: 自身の成長過程を映画にしようと考えたのはパンデミック期間中だった、とスティーヴン・スピルバーグは語る。「自分がまだ撮っていない作品で、撮らずに終わったらひどく後悔するのはどんなストーリーだろうか、という問いがわきあがってきたのです」

自身の成長過程を映画にしようと考えたのはパンデミック期間中だった、とスティーヴン・スピルバーグは語る。「自分がまだ撮っていない作品で、撮らずに終わったらひどく後悔するのはどんなストーリーだろうか、という問いがわきあがってきたのです」

 スティーヴン・スピルバーグは、これまで50年以上、世界に存在しうるありとあらゆるものをテーマに映画を手がけてきた。サメ、恐竜、友好的な宇宙人とそうでもない宇宙人、海賊、スパイ、兵士、実在の英雄も架空のヒーローも。多彩さという点で彼に並ぶ映画監督はそう多くはいない。ただし、例外として避けてきたテーマがある──自分について語ることだ。

 その例外に挑んだのが、新作映画『フェイブルマンズ』である。スピルバーグ自身の生い立ちをほぼ忠実になぞりながら、ひとつの家族の姿をさらけ出し痛ましいほどまっすぐに描いている。スピルバーグという映画監督の若き日のポートレイトであると同時に、一組の夫婦が破綻していくストーリーでもある。主人公のサミー・フェイブルマン少年(ティーンエイジャー時代をガブリエル・ラベルが演じる)は、母ミッツィ(ミシェル・ウィリアムズ)と父バート(ポール・ダノ)のもとに生まれた第一子だ。父母、サミー、そして妹たちで構成されるフェイブルマン一家は、1950年代から1960年代にかけて、ニュージャージーからアリゾナへ、そして北カリフォルニアへと移り住む。映画というものに出会ったサミーは、家庭や学校で、ときにはボーイスカウトの仲間たちと一緒に撮影に没頭し、これが自分の天職だという確信を深める一方で、母が満たされない思いに苦しさをつのらせる様子、そして父が母と向き合えない様子も目の当たりにすることとなる。

 脚本を手がけたのはスピルバーグ本人と、『ミュンヘン』、『リンカーン』、『ウェスト・サイド・ストーリー』でもタッグを組んだトニー・クシュナー。2022年11月から全米公開となった本作で、スピルバーグはこれまで語ることのなかった領域に踏み込んでいる。11月初旬のテレビ電話による本誌インタビューでは、自身の過去に立ち返る旅について、そして映画というものの現在と未来について話を聞いた。以下に編集・抜粋した内容で紹介する。

『フェイブルマンズ』は、あなた自身がたどってきた長い年月を描き出すストーリーですね。作品にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

  パンデミックが起きるまでは、映画として語ってみようと本気で考えたことはありませんでした。

 最初の感染拡大が始まった頃に、私たち夫婦が住む家に、東海岸で暮らしていた子どもたちが越してくることになりました。それぞれ昔使っていた子ども部屋で生活し始めて、ケイト(スピルバーグの妻、ケイト・キャプショー)と私のもとに急に家族の大勢が戻って来たというわけです。仕事に行けないのは不安でしたね。映画監督というのは大勢の人と一緒に働く職業なので、私も日々たくさんの人と交流する生活に慣れきっています。Zoomの世界にはどうもなじめませんでした。

 時間もたっぷりあったので、しょっちゅう何時間もドライブをしていました──ロサンゼルスのあちこちをめぐり、パシフィックコースト・ハイウェイに乗ったり、カラバサスまで行ったり、トウェンティナイン・パームズのほうまで行ってみたり。運転しながら、今まさに世界で起きていることについて、じっくり考えをめぐらせました。

 そうしたら、自分がまだ撮っていない作品で、撮らずに終わったらひどく後悔するのはどんなストーリーだろうか、という問いがわきあがってきたのです。何度考えてみても、答えはひとつでした。私という人間が形成された7歳から18歳までの年月のことを語りたい、と。

これまでの映画でも家族を描いてきましたね。郊外に住んでいて親の離婚を経験した子ども時代を描いた作品もあります。でも、ご自身の体験をそのまま語ったことはなかった。そこに踏み込むのは難しかったのですか。

 『未知との遭遇』は、家族に去られてでも夢を追いかけたい父親がみずから離れていく話でした。『E.T.』は、家庭の不和のせいで心にぽっかり穴が開いてしまった少年のストーリーです。たまたま宇宙からやって来た小さい奇妙な生物と一緒に過ごすことで、その穴を比喩的に埋めていく、という。

 今回の作品は比喩ではなく、実体験にもとづくものです。自分で本当にこの話を語るのか、という葛藤がありました。その葛藤は苦しかったですね。形の上ではスムーズだったんです。トニー・クシュナーに声をかけるだけでしたから。こんな感じの興味深く切ない体験をアレンジして映画にしたいから協力してくれないか、と言うだけでした。

 けれど、いざ脚本執筆を始めてみたら──トニーはニューヨーク、私はロサンゼルス在住なので、Zoomでやり取りをしました──ストーリーがひどくリアルなものになっていくのを感じました。身を切られるような思いがして、記憶がどんどんよみがえっていく。これは生易しいことではない、と痛感しました。

 Zoomで腹を割って話すのは難しいものですが、トニーが話しやすい空気をつくってくれたので、私の人生で起きた出来事を振り返り、私と母とのあいだで秘密にしていた事柄に踏み込んでいきました。これまで絶対に誰にも打ち明けなかったことです。私は自伝を出していませんが、出したとしても書かなかったでしょうし、映画で表現したこともありません。そのデリケートな傷跡を、あえて開くことにしたのです。

ユダヤ人というテーマは『シンドラーのリスト』や『ミュンヘン』など過去の作品でも扱っていますが、ユダヤ系アメリカ人の体験に焦点を置くのはこれが初めてです。

 アリゾナ在住の頃は反ユダヤ感情に接することはなかったのですが、北カリフォルニアに引っ越してからは、高校時代を通じてひしひしと感じていました。

 友人たちはいつも私を苗字で呼ぶんです。廊下の向こうで「おい、スピルバーグ!」と叫ばれるたび、ユダヤ人らしい名前の響きが耳につく。気になって仕方がありませんでした。

  アメリカでユダヤ人であるということと、ハリウッドでユダヤ人であるということは、ちょっと意味が違います。ハリウッドでユダヤ系であるというのは、仲のいいグループに加われる、望ましいことなんですよ。すぐに受け入れられます。私自身、本当に多様な人たちに受け入れてもらいましたが、実際にはユダヤ系がかなり多いのです。でも、学校で8ミリカメラの映画を撮っていた時代には、最初は同級生たちに変な目で見られていました。

  何しろそんな子どもはいなかったですからね。誰もカメラなんかもっていなくて、あるとしてもたいていは日本製の8ミリカメラを親が所有しているだけで、せいぜいホームムービーを撮る程度。その点、私にとってのカメラは、基本的には他人の気を引く道具だったんだと思います。スポーツ好きの人気者たちのご機嫌をとれるので、最終的にはみんな私の映画に出たがるようになりました。

  ある意味で、カメラは私にとって社交のパスポートでした。ストーリーを語りたいという思いも強かったんですが、自分がお呼びでない世界に居場所を見つけたいという気持ちも強かったのです。映画を撮ってるんだよ、というのが万能の口実になってくれましたね。

画像: 共同脚本家トニー・クシュナーの支えもあり、「私の人生で起きた出来事を振り返り、私と母とのあいだで秘密にしていた事柄に踏み込んでいきました。これまで絶対に誰にも打ち明けなかったことです」

共同脚本家トニー・クシュナーの支えもあり、「私の人生で起きた出来事を振り返り、私と母とのあいだで秘密にしていた事柄に踏み込んでいきました。これまで絶対に誰にも打ち明けなかったことです」

つきまとう反ユダヤ主義の影を、この作品では多少なりとも追い払っていますね。当時のユダヤ系アメリカ人の多くが抱いていた、「アメリカはきっとこうなる」という、一種の楽観的な思いが反映されています。反ユダヤ感情が最も有害な形で再燃しつつあるような現代においては、また違う衝撃をもって感じられます。

  反ユダヤ主義の復活を奨励する要因があるからこそ、再燃しているのですよ。単なる周期的な揺り戻しではなく、分断と人種差別、イスラム嫌悪や外国人嫌悪のイデオロギーが強烈にふくれあがっていて、その一部としての反ユダヤ主義があり、そこに誘い込もうとする風向きが生じているのです。猛烈な勢いで逆行が起きています。多くの人は、これまで反ユダヤ感情こそ抱いたことはなかったとしても、有色人種の人たちに対してはそうした類のものがあり、たとえば私や私の妹たちが幼い頃から思っていたこと、信じていたこととは、違った感じ方があったのでしょう。そのくくりの中に、最近になって急に、また反ユダヤ感情が含まれるようになりました。悪意をもって人を叩く道具として、2015年か16年あたりから、いっそう焚きつけられているのです。

カメラは居場所をつくる手段だった、という先ほどのご発言が印象的でした。サミー・フェイブルマン少年にとって、カメラは人との距離を縮め、仲間に入れてもらうための手段ですが、それと同時に、彼が周囲から浮いてしまう原因ともなっています。カメラをもつことで、彼が観察者という立場に身を置くからです。

読者のためにネタバレはしませんが、サミーはカメラを通してあることを見たせいで、両親に関する重大な秘密に気づいてしまいます。あれは本当に起きたことなのでしょうか、それとも、映画というのはこんなふうに描くのだ、というメタファーなのでしょうか。

  本当に起きたことです。あれをさらけ出して描くかどうかは迷いました。本当に難しい選択でした。私自身が16歳のときに気づいて以来、私と母とのあいだで何より固く守られてきた秘密でしたから。自分の親も人間なのだと気づくには、16歳は幼すぎます。これを両親にぶつけてはいけないという苦悩もありました。

悟ってしまう流れも印象的でした。あなたの作品では、さまざまな心の揺れや心理的情報を台詞で説明せず、それ以外の方法、たとえばボディランゲージや、表情や、シーンに流れる言葉にならないエネルギーのようなものを通じて伝えています。映画制作者としてのあなたのそうした手腕には、いつも感銘を受けてきましたが、今回の作品を見ると、あなたは偶然に、たぶん直感的に、そうした描き方をしているのですね。

 直感なのかもしれませんね。いつも妻と話しているんですが、偶然というものはないんです。「冗談として言ったつもりかもしれないけど、それは冗談じゃなくて真実ね」と妻はよく言うんですよ。

それはフロイト的ですね。

 私は自分が撮る映画のことはすべて自分で決めてきました。12歳のときから、作品の舵取りはずっと自分がしてきました。でも、あの瞬間の気づきに対しては、そうではなかった。16歳の少年にとっては、自分のすべてが崩れてしまうかのようで、なのに自分にはどうにもできない。あの感覚は生涯忘れないと思います。母と私のあいだでも、口に出したのは数十年が経ってからのことでした。

この体験があったからこそ、ストーリーや映像について、自分がちゃんと舵を握っていたい、という思いを強めたのでしょうか。

 そうですね。この体験があったからこそ、ハッピーで楽しい映像を撮ってきたのかもしれません。セラピーなどは受けませんでした。父のかかりつけの精神科医のところに通っていたことはあります。僕は頭がおかしいからベトナムに行って戦うことはできない、という診断書を書いてもらおうと思って。それが精神科にかかった唯一の体験ですね。ただし、その医者はベトナム戦争賛成派で、そんな診断書は書いてくれなかったので、時間のムダでした。学生時代の2カ月間、週に3度も通ったのに。

 ですから、たぶん映画が私にとってのセラピーだったのでしょう。ケイトや子どもたちとの関係や、親しい友人たちとのつながり、そして映画として語ることにしたストーリーと向き合うことが、フロイト式やらユング式やらのセラピーを受けるに等しい価値があったのだと思います。

画像: 50年を超えるキャリアの中でも、この作品ほどスピルバーグ自身の心に深く踏み込んだ映画はなかった

50年を超えるキャリアの中でも、この作品ほどスピルバーグ自身の心に深く踏み込んだ映画はなかった

一緒に仕事をする俳優たちが、あなたに近しい人、そしてあなた自身を投影したキャラクターを演じるというのは、これまでの映画制作とは勝手が違いましたか。

 うまく説明できるかわかりませんが……最初はほかの作品と同じようにキャスティングを進めようとしたんです。役に適した最高の俳優を見つけよう、と。でも、それではうまくいかないと気づきました。実績ではなく、身内感のようなものが大事だったのです。当初はただ優れた役者を探していたのですが、私が求めていたのは、別の映画で私に、「ああ、この人は母に似ている、父に似ている」と思わせた役者でした。それからもちろん、あまり客観的な認識とは言えないでしょうけれど、「この子は私自身のようだ」と思わせた役者。可能な限り、私にとっての私の家族像に沿って、似ている人はいないかと探す必要がありました。

 そういうわけでキャスティングは本当に厄介でした。何しろ特殊な印象を求めていたのですから。彼女は母を思わせるところがある、彼は父を思い出させるところがある、という感覚を以前に私が抱いた役者でなければならない。条件がかなり限定されていたわけです。

 多くの俳優を検討しましたが、最終的に、ポール・ダノとミシェル・ウィリアムズという素晴らしい俳優を選ぶことになりました。ふたりは私がこれまで仕事をしてきた中でも最高の役者です。

ポールとミシェルの過去の出演作の中に、あなたにとって特に感慨深い作品があったのですか。

 ミシェル・ウィリアムズの出演作では『ブルーバレンタイン』が好きですね。でも、演技が一番ストレートに迫ってきて、彼女のほかの作品のどれとも違っていたのは、「フォッシー&ヴァードン~ブロードウェイに輝く生涯~」(註:2019年のテレビドラマ)のグウェン・ヴァードン役です。それまでに見てきたミシェルの演技から、あらゆる面で大きく逸脱して、キャラクターを通じて彼女自身のまったく新しい姿を表現していました。それが私の背中を大きく押したのです。

ミッツィ自身、音楽やダンスを通じた表現者ですね。彼女の個性として非常に重要で、映画の中で心を打つ部分でもあります。

 彼女はパフォーミングアーティストであり、それと同時にひとりの母親として、母親という役どころを演じる表現者でもありました。なんとなく腑に落ちる話ではないかと思いますが、母は親というより仲間みたいな存在でした。私の妹たち3人は、幼い頃から母を「母さん」とか「ママ」とは呼ばず、ファーストネームで「リア」と呼んでいたほどです。「母さん」「ママ」と呼んでいたのは私だけでした。彼女自身、悪ガキたちの一員でいることを望んでいて、家庭の中の教育指導員みたいな、お目付け役の立場になることに興味はなかったのでしょう。だから、息子や娘たちがきょうだいのひとりかのように接することを望んでいたのですね。

それは映画を通して確かに感じられていたように思います。ミッツィとバートの気質はその点でも正反対でしたね。根本的に相容れないのだということを両親自身が気づき、そして息子も気づいてしまう。

 父は私と同じく音痴でしたが、クラシック音楽が好きで、母のピアニストとして、そしてクラシック音楽愛好家としての芸術的感性を称賛していました。ふたりはクラシック音楽への愛情は共有していたのです。

(フィラデルフィア・オーケストラの)演奏会に連れていかれたことはよく覚えていますよ。幼い私はクラシックなんて理解できず、威圧的で恐ろしくて、うるさいとしか思えませんでした。私を挟んで座る母と父はうっとり聞き入っていました。ときどき左右から手を差し伸べて、私の膝の上で握り合うんです。涙を浮かべていることもありました。でも、心が通い合うのはそこまで。それ以上はわかりあえないのです。あくまで父は科学の人、母はパフォーミングアートの人でした。

画像: 『フェイブルマンズ』で父親を演じるポール・ダノ(写真左)、主人公のサミーを演じるガブリエル・ラベル(中央)、母親役のミシェル・ウィリアムズ(右) © STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

『フェイブルマンズ』で父親を演じるポール・ダノ(写真左)、主人公のサミーを演じるガブリエル・ラベル(中央)、母親役のミシェル・ウィリアムズ(右)
© STORYTELLER DISTRIBUTION CO., LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

この作品は映画についての映画でもあり、セシル・B・デミル(註:『十戒』などの作品を撮った映画監督)に始まり、ジョン・フォード(註:『荒野の決闘』などの監督)に至るまで、映画史について語っていく映画でもありますね。あなた自身も加わる映画制作という職業の歴史をひもといてみせたのだと解釈しました。

 ショーマンとしては、私はセシル・B・デミルに近いですが、構成の腕という点では昔からジョン・フォードに惚れ込んでいます。彼の手法について勉強もしましたし、ずっと意識してきました。私は彼を仰ぎ見て、彼から多くの素晴らしい教えを得てきました。厳しく叱責されることばかりでしたが。でも、「やばいぞ、おっかない人だ」とかは思いませんでしたね。強く刺激を受けていました。

 初めて会ったのは私がまだ16歳のときで、フォードの評判は何も知りませんでした。どれほど不愛想で怒りっぽいかとか、朝食を食べながら映画スタジオの若手幹部たちに接する態度とか。そういうのはのちにフォードに関する逸話が書かれ始めてから世に出てきたことです。私はよく無事だったと思いましたね。

作品を見ながら、現在の映画が置かれた不透明な状況について考えずにはいられませんでした。大きなスクリーンに映し出されるものに圧倒される、という体験についても。今回の作品でもそれが根幹的なシーンとなっていましたが、この先の世代は、そういう体験をしなくなるかもしれませんね。

 そうですね。でも、過去を振り返ればハリウッドはこれまでに何度も、観客を奪ってしまうテレビの影響力に対抗してきたのですよ。1950年代前半にはシネマスコープ(註:ワイドスクリーン技術)が発明され、その後には3Dの普及もありました。

(1961年からは)NBCで「Saturday Night at the Movies」(註:新作の大作映画などを放送するテレビ番組枠)が始まって、土曜の夜に外出しなくても映画を見ることが可能になりました。自宅にこもったままテレビをつければいい。何しろNBCが、家を出たくない観客のために映画を選んでくれるわけですからね。こういうのは前からあったんですよ。

 パンデミックがきっかけで、動画配信プラットフォームはどこも過去最高レベルで会員が増えました。その一方で、一流の映画制作者仲間の中でも、新作を劇場で封切ることができないという不本意な経験をした人もいます。結局そのまま劇場公開できず、いきなり配信に格下げされて、たとえばHBO Maxで公開となった。問題はそこなんです。そこからあらゆることが変わり始めました。

 高齢の人であれば、床にぶちまけられたべたべたのポップコーンをおそるおそる踏みながら自分の席まで行かなくてもよくなって、ほっとしたところもあったかもしれませんね。でも、仮にそう思っていたとしても、いったん劇場内に入ってしまえば、大勢の赤の他人と一緒に映画を見るという特別な体験が刺激になっているはずです。

 そして映画がよかったなら、きっと映画館を出ながら「今日は映画を見に来て本当によかったね」と言い合うのではないでしょうか。劇場内に照明が戻って来た時点で、観客同士でそんなふうに言えるかどうかは、映画がよかったかどうか。結局はそれしだいなんですよ。

画像: スピルバーグは、動画配信サービス会社が制作する映画にも一定期間の劇場公開を確保してほしいと考えている。しかしその一方で、仮に『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を今撮ったならば、大勢のオーディエンスに届けるためにApple TV+かNetflixでの公開を検討したのではないか、という思いもある

スピルバーグは、動画配信サービス会社が制作する映画にも一定期間の劇場公開を確保してほしいと考えている。しかしその一方で、仮に『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を今撮ったならば、大勢のオーディエンスに届けるためにApple TV+かNetflixでの公開を検討したのではないか、という思いもある

どんな映画なら劇場へ見に行きたくなり、どんな映画なら自宅で見るほうがいいと思うものなのでしょうか。映画業界は、それがどういう形の業界であるにせよ、どう見極めているのですか。

 今まさにそれを見極めようとしているところです。『エルヴィス』のアメリカ国内での興行収益が1億ドルを突破したのは励まされるニュースでした。比較的年齢の高い層で、多くの人があの映画を見に劇場へ足を運んだのです。コロナのパンデミックがエンデミック(風土病)になるにつれ、人々はまた映画館に戻ってきているのだ、という希望を感じました。映画は復活しつつあると思っています。本当に。

 もちろんマーベルやDC、そしてピクサーなどが大作映画やシリーズ作品を出していますし、アニメ作品やホラー映画にも一定数のファンがいます。コメディの人気も戻るでしょう。自宅で見るより、大勢の観客の中で見るほうが、思い切り笑えますからね。

 自分の映画を一般の観客と見ることはあまりないのですが、『フェイブルマンズ』はぜひトロント映画祭での上映を見るべきだ、と妻に言われました。「後ろの席に座ればいいじゃない。とにかく一度は見たほうがいい。絶対に素晴らしい体験だから」と。正直、怖かったですね。でも、2000人もの大観客の前での上映ですし、笑える場面ではコメディ映画のような感じになっていました。

 最近では動画配信サービス会社の出資による映画制作も行われていますが、そういう作品も配信限定ではなく劇場公開、それも単に賞の選考対象となるために4回だけスクリーンにかけるというのではない、ちゃんとした劇場公開のチャンスが与えられるよう、映画監督が連携してはたらきかける必要があると考えています。WGA(全米脚本家組合)、DGA(全米監督協会)、そして最終的にはアカデミーに至るまで、関係者全員が声をあげていかなければ。

 駆け出しの頃に動画配信サービス会社から初監督作品のチャンスをもらったとしたら、当然ながらその会社が諸々の決定権をもつわけですが、自分の映画を大型スクリーンで見てほしくない人などいるでしょうか。「いや、私が撮った映画はiPadで見てほしい、自宅のリビングで見てもらったほうがいい」なんていう人がいるとは思えません。

 中にはiPadで見るのに適した映画、リビングで見るのが最適な映画というのもあります。だからこそ、「この映画は配信サービス会社に託すべきだが、こちらの作品は4週間から6週間の劇場公開をするべきだ」という判断を、幹部陣がしっかり下さなければならないのです。たとえばアンブリン・パートナーズ(註:スピルバーグが創業した映画制作会社)における私も、そうした幹部陣のひとりです。映画監督であるだけでなく、小さいとはいえ映画制作会社ひとつを運営するという立場から、そういう判断をしています。

今の映画館は……私が思うにパンデミック以前から、すでに映画館は大型シリーズとか、いわゆる稼ぎ頭の作品、送り出すほうから見て儲かるとわかっている映画ばかりが占めているように感じます。そうした状況を考えると、今のご意見はかなり斬新ですね。IP(知的財産)ビジネスではない映画を劇場にかけることで、儲けの入りを狭めることになるのかもしれません。

  もちろん映画館が倒産することは望みません。ずっと開いていてほしいと思っています。その一方で、本当に率直に言いますと、たとえば私が撮った『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は、ニクソン時代を描くことで現代について政治的な訴えを投げかけた作品でもありました。多くの人がこの国で起きていることをきちんと理解しなければならない、というのが重要なメッセージだと考えました。

 仮に私がこの映画のシナリオをパンデミック後に渡されたとしたら、Apple TV+やNetflixで数百万人に配信されるものとして撮ったほうがいい、と思うかもしれない。あの作品は数百万人もの人に訴えたいメッセージだったのに、それほど大勢を劇場へ足を運ばせてメッセージを受け止めてもらうことはできませんでしたから。私がこんな物言いをするとは、本当に時代は変わったというわけです。

素晴らしい作品だと思う映画の数々が、一時期だけ注目を浴び、その後はアルゴリズムの陰に埋もれていってしまうように感じます。

 子どもの頃の私もそうでしたが、昔はLPレコードを集めるのと同じ要領で、(ビデオ録画した映画の)コレクションをためこんでいたものでした。私自身、レコードのコレクションよりもビデオのコレクションのほうが圧倒的に多いですよ。

 それも最近ではみんなクラウドです。棚にビデオカセットを置く場所もありません。親の小言よりも映画のほうがすっと伝わってくることもあるので、自分の心を成長させたり価値観を学ばせてくれる文化的財産として、大好きな映画をそばに並べておきたかったものですが。作品がモノとして存在感をもっていた頃が懐かしいです。手にとることができて、それをプレイヤーに入れるという、古風な行為が懐かしいですね。古臭いおやじなのでしょうけれど。

 私は今76歳です。大切なものを所有することへの思い入れを知っている世代です。『アラビアのロレンス』の(テーマ曲を収録した)LPを手に入れたときの感覚、それから数年後にDVDで映画本編を所有できたときの感覚は忘れられません。宝物ですよ。

『フェイブルマンズ』
3月3日(金)より、全国公開
公式サイトはこちら

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