1980年代のポーランド・ワルシャワの団地を舞台に、旧約聖書の“十戒”をモチーフに描かれた十篇の物語『デカローグ』が舞台化される。最初の作品で「ある“運命”に関する物語」をテーマにした「デカローグ1」に、伯母・イレナ役で出演する高橋惠子。その心境に迫る

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY TADAHIKO NAGATA

画像1: 高橋惠子が受け容れた
自身の“運命”とは?
そして、“死生観”を語る

演出家・小川絵梨子への信頼と期待

『デカローグ』はポーランドの名匠クシシュトフ・キェシロフスキが発表し、1987年から88年にかけてテレビ放映用ミニ・シリーズとして撮影された。そのうち「デカローグ5」と「デカローグ6」の2本を再編集し、1988年にテレビ放映に先駆けて劇場公開バージョンとして上映。それがカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど、国際的に高く評価された作品である。この十篇の物語をそれぞれ1時間前後のオムニバス形式の作品として舞台化され、2024年4月から7月にかけて新国立劇場で上演される。高橋惠子は何が決め手となって、この前代未聞のプロジェクト作品「デカローグ1」に出演することになったのだろうか。

高橋惠子(以下、高橋) 小川絵梨子さんが演出をなさると伺って、内容や演じる役ついて詳しく知る前にどんな役でもいいと申し上げてお引き受けしました。小川さんとご一緒するのは、今回の『デカローグ』が3作品目になるんですが、過去の2作の現場では、私自身がとても刺激を受けましたし、大好きな方なので、お声がけいただいてすごく嬉しかったんです。
 前回の小川さんの稽古場では、稽古前によく“シアターゲーム”をしたんです。小川さんが進行役となって、いかにうまく嘘をつけるのかということを競い合ったんですが、スタッフの方々がとてもお上手(笑)。小川さんは、このゲームを進行しながら一人一人を見ていたんでしょうね。嘘をつくということが演じることにも繋がるでしょうし、黙っている訳にもいかないので、コミュニケーションを取る場にもなっていました。今回の『デカローグ』は関わっている人もとても多くて、プログラムAの中で「デカローグ1」と「デカローグ3」で、昼の部と夜の部に時間を分けて稽古を行うという今までにはない形で稽古が進んでいるので、残念ながらシアターゲームはできません(笑)。
 また、小川さんは「こういう風にしてもらって良いですか」という何かリクエストをされて、我々がそれに応えると、必ず「ありがとう」っておっしゃいます。おそらく、一日のうちで100回くらい言っているんじゃないかと思うほど、よく耳にしました。この「ありがとう」はすごい言葉で、それを聞いただけで、受ける側の気持ちも違うんです。小川さんは制作発表会見でも「人生というものを肯定的に捉える」とおっしゃっていましたが、小川さんご自身の人に対する思いが接し方に表れているのだと思います。目の前で生き生きしている人が見たいというお気持ちや段取り芝居やありきたりなものは求めていないというところにも惹かれる演出家です。

 実際に稽古が始まってから感じた作品の印象についても触れた。

高橋 台本は事前に読んではいましたが、実際に読み合わせをしてみると、公演の中でこういう感じになるんだと、面白いというか、ちょっと違った印象でした。私が出演する「デカローグ1」が最初に上演され、その後20分の休憩があってから「デカローグ3」が上演されます。「デカローグ1」では過酷な結末でしばらく茫然とした状態で幕が下りますが、「デカローグ3」では同じ団地に住む人たちの話ではあるけれども、全く違う物語が展開していきます。別々の作品なのに緩やかにリンクしていて、実は密かな繋がりもあるので、贅沢と言えば贅沢ですし、それが面白いと思います。小川さんが十篇の作品を絵に喩えて、「エピソードの一つ一つが一枚一枚の美しい絵で、それが重なって、十枚になったときにまた一枚の壮大な絵になる」とおっしゃっていたので、私もそれを体感したいから、全部を観たいです。

画像2: 高橋惠子が受け容れた
自身の“運命”とは?
そして、“死生観”を語る

自分の人生に見出した運命

「デカローグ1」では“運命”が描かれているが、高橋は自身にとって“これは運命だ”と実感していることはあるのだろうか。この問いには「あります」と、はっきり答えた。

高橋 俳優という仕事に就いたことです。それを確信したのは映画のスタジオで最初のカメラテストのようなものがあった時、真っ暗なスタジオでライトの光を浴びながらカメラで撮られているときに“やっと自分の居場所が見つかった”と思った時ですね。
 14歳でスカウトされて、15歳から始めて何度も辞めたいと思いましたが、演じることへの面白さやまだやりきれていないという思いがあって、ここまで続けてこられたのでしょうし、天職なのかなと思うと、これから先も80歳くらいまではできる限り続けたいと思っています。

 そして、運命を受け容れた中学生の時の心境も、鮮明に覚えていた。

高橋 近所の写真屋さんに家族旅行で行った写真を現像してもらったことがあって、その私が写っている旅行写真が大映のとあるスチールカメラマンの方の目に留まったんです。その方は写真屋さんのお友達だったそうで、後日写真屋さんを通して「お宅の娘さんを女優にしませんか?」というお話をいただきました。父には俳優になりたかったという夢がありましたし、母も宝塚歌劇に憧れて歌うことが好きでしたから、反対するどころか、大喜びしていました。それで、親のためにやってみようと決意したんです。でも、自分の中では3年やってダメだったらやめるということで引き受けました。
 当時、親の仕事の都合で、転校することが多くて、転校生として好奇な目で見られることもあったので、早くクラスの皆に溶け込めるように、私なりに気を遣っていました。そういう状況にいたからこそ、カメラの前で自分の居場所を見つけたことに運命的なものを感じたのだと思います。

画像3: 高橋惠子が受け容れた
自身の“運命”とは?
そして、“死生観”を語る

悔いなき人生を生きる

 自身にとって“運命”だと受け容れて歩んできた“俳優”という道。その道を振り返って見た時、あれがあったからこそ“今”があると思える作品を挙げてもらった。

高橋 どんな仕事も縁があって出会っていると思いますので一つに絞るのは難しいですが、やはり蜷川幸雄さんからお声をかけていただいて出演した『近松心中物語』ですね。当時は子どもがまだ小学生と中学生だったので地方公演に行くのも難しいと思いましたし、何よりも私はまだ20代だったときに舞台から逃避してしまったことがあったので、自分が舞台に携わっていいのかどうかという葛藤もありました。だから最初はお断りしました。それでも20代の過ちについては「もう時効だよ」とおっしゃっていただいて……。3度目にお声がけいただいた時、夫が「これはチャンスだから、家のことはなんとかするのでやった方が良い」と言ってくれて、それで引き受けることにしました。当時は42歳でしたが、あれから27年が経ちました。あの作品に出演していなければ、今回の『デカローグ』への出演もなかったと思います。自分ができる役がなければ関わることもできなかったでしょうから、声をかけていただいたことに、本当に有り難いと思っています。

 今回の「デカローグ1」で高橋が演じるイレナは12歳の甥・パヴェウから、“死”について問われる。こうした子どもからの率直な質問に、自身であればどういうふうに答えるだろうか?

高橋 生と死は表と裏のように切り離せないものだと思います。もしかすると生まれるということは、どこかの世界で死を迎えて、この世に生まれてきているのかもしれません。最近は特に死というものが、辛いとか、寂しいとか、忌み嫌うものではなく、死というものがあるからこそ、今生きていることを大事だと思えるようになりました。そういう意味で死は特別なことではなく、誰しもに訪れるものなんです。イレナも魂とか、神様とか目に見えないものを信じている人で、私自身も肉体はなくなっても魂は生き続けていると思います。今、生きているということは、その魂を磨くということ。だから、いつまたここに生まれてこられるかわからないわけですから、生きるということは、とても貴重なことなんです。私が死について、こうした考えを持つようになったのは、60歳を過ぎてからだったかもしれません。若い頃は死にたいと思ったこともありましたが、考えが本当に変わってきました。
 日本は唯一の被爆国だったり、東日本大震災や今年も能登地震が起きたりと、数多くの人の命が失われていく体験をしている国です。私自身が実際に体験していなくても、戦地に行ってしまって帰ってこない息子を必ず生きているはずだと信じている母親の役を演じることで疑似体験し、死というものを考える機会があります。「人生って贈り物なのよ」というイレナの台詞があるんですが、この世界で生きるということは本当に貴重なことだと思います。あの世に行ったときに、“こうしておけばよかった”と後悔しないように、一つ一つを丁寧にしたいと思います。

 自分に与えられた時間をどう過ごすかは、その人の生き方でもある。どのように丁寧に過ごしているのだろう。

高橋 どこで何をしていても自分らしくいることが、だいぶできるようになりました。それは私にとってとても良いことで、こうしてインタビューで話しているときも、撮影で撮っていただいているときも“自分”であって、何かをさせられている感は全くありません。限られた時間で本心を隠して何か違うものを演じているだけだとつまらないと思うんです。だから自分らしさということを大事にしたいと思うようになりましたし、“自分”が好きになりました。以前は自分に全く無関心で、二の次にしていたんですが、自分の体とは死ぬまで一緒にいるわけですから、今は大事にしています。例えば舞台に立つには足腰が大事なので、犬の散歩をして歩くことを心がけていますし、外の景色を目にすることで自然の移り変わりも感じることができるのもいいですね。

 ありのままの“自分”を好きになる。そんな素敵な人生を垣間見ることができた。

画像: 高橋惠子(TAKAHASHI KEIKO) 北海道生まれ。1970 年に映画『高校生ブルース』で主演デビュー。数々のテレビドラマや映画に出演する傍ら、舞台作品でも活躍。舞台『雁の寺』『藪の中』の演技で第10回読売演劇大賞 優秀女優賞、舞台『山ほととぎすほしいまま』『藪原検校』『ハムレット』の演技で第3回朝日舞台芸術賞の秋元松代賞を受賞。近年ではテレビドラマ『コタツがない家』、『お別れホスピタル』、映画『アナログ』など話題作への出演多数

高橋惠子(TAKAHASHI KEIKO)
北海道生まれ。1970 年に映画『高校生ブルース』で主演デビュー。数々のテレビドラマや映画に出演する傍ら、舞台作品でも活躍。舞台『雁の寺』『藪の中』の演技で第10回読売演劇大賞 優秀女優賞、舞台『山ほととぎすほしいまま』『藪原検校』『ハムレット』の演技で第3回朝日舞台芸術賞の秋元松代賞を受賞。近年ではテレビドラマ『コタツがない家』、『お別れホスピタル』、映画『アナログ』など話題作への出演多数

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自身の“運命”とは?
そして、“死生観”を語る
画像5: 高橋惠子が受け容れた
自身の“運命”とは?
そして、“死生観”を語る

『デカローグ1〜4』〈プログラムA・B交互上演〉

原作:クシシュトフ・キェシロフスキ/クシシュトフ・ピェシェヴィチ
翻訳:久山宏一
上演台本:須貝 英
演出:小川絵梨子 プログラムA(「デカローグ1」・「デカローグ3」) 上村聡史 プログラムB(「デカローグ2」・「デカローグ4」)
会場:新国立劇場 小劇場
上演日程:2024年4月13日〜5月6日
問合せ:新国立劇場ボックスオフィス ☎03-5352-9999
公式サイトはこちら

(出演)
〈プログラムA〉
「デカローグ1」ノゾエ征爾、高橋惠子 亀田佳明ほか
「デカローグ3」千葉哲也、小島聖 亀田佳明ほか
〈プログラムB〉
「デカローグ2」前田亜季、益岡徹 亀田佳明ほか
「デカローグ4」近藤芳正、夏子 亀田佳明ほか

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