1945年、アウシュビッツ収容所の隣に居を構える、収容所所長の一家。幸せそうに暮らすその家族の日常を通して、観る者の心を恐怖で揺さぶる演出で各国の映画賞を多数受賞した『関心領域』。監督のジョナサン・グレイザーに、「無関心」が引き起こすものについて聞いた

BY KURIKO SATO

画像: 裕福な一家の暮らしの隣で何が起こっているのかを、観客の想像力を最大限に刺激して問いかける『関心領域』 ©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

裕福な一家の暮らしの隣で何が起こっているのかを、観客の想像力を最大限に刺激して問いかける『関心領域』

©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

 ナチスのホロコーストを題材にした映画は後を絶たないが、マーティン・エイミスの同名の小説を元にした本作は、「こんなやり方があったのか」と驚かされるほど、斬新な手法で描かれている。強制収容所と壁を隔てた隣に暮らす収容所所長の優雅な生活を描写し、囚人も暴力も見せることなしに、すべてを連想させるに留めているのだ。観客はしかし、画面の奥に見える鉄条網を張り巡らせた塀や煙突から出る煙、始終どこかから聞こえてくる叫びや不穏な物音によって、そこに映し出されていないものを想起することから逃れられない。

 2023年のカンヌ国際映画祭でグランプリと国際批評家連盟賞を受賞し、今年のアカデミー賞では国際長編映画賞と音響賞をダブル受賞した新作、『関心領域』を監督したのは、ユダヤ系イギリス人のジョナサン・グレイザー。レディオヘッドなどのミュージック・クリップで名を馳せ、『記憶の棘』(2004年)、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013年)といった作品でその創造性を発揮してきた逸材である。

画像: ジョナサン・グレイザー(写真中央)1965 年ロンドン生まれ。レディオヘッド、ジャミロクワイの MV を手がけ、1997 年にはMTV のディレクター・オブ・ザ・イヤーを受賞。映画監督としてはニコール・キッドマン主演『記憶の棘』(2004年)、スカーレット・ヨハンソン主演『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013年)を経て、今作が約10 年ぶりの長編となる ⓒKuba Kaminski

ジョナサン・グレイザー(写真中央)1965 年ロンドン生まれ。レディオヘッド、ジャミロクワイの MV を手がけ、1997 年にはMTV のディレクター・オブ・ザ・イヤーを受賞。映画監督としてはニコール・キッドマン主演『記憶の棘』(2004年)、スカーレット・ヨハンソン主演『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013年)を経て、今作が約10 年ぶりの長編となる

ⓒKuba Kaminski

 彼はなぜ今、このような作品を撮ろうと思い立ったのか。

ジョナサン・グレイザー(以下、グレイザー) じつは前作の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』を作り終えたとき、もう10年以上も前ですが、ナチスをテーマにした作品を撮ろうと考えていました。そんなとき、加害者の視点から語ったエイミスの原作に出合い、心に留まるものがあったのです。小説のなかでは架空のキャラクターが主人公ですが、実際のアウシュビッツの所長であったルドルフ・ヘスと妻のヘートヴィヒがモデルになっているのは明らかでした。それで彼らについて、綿密に調査を始めました。アウシュビッツ=ビルケナウ博物館の研究者の協力も得て、資料をもらい、ヘスの庭師や使用人だった人々の発言も目にしました。彼の家族は映画のなかで描かれているように、強制収容所と壁ひとつを隔てた隣の、大きな庭のある邸宅に住んでいた。おそらく、加害者の視点を描こうとする興味は、原作に出合う前からわたしの中にあったと思いますが、エイミスの小説によってわたしはある種の許可を与えられたような気持ちがした──芸術的に身を置くにはとても不快な場所ですが、エイミスの勇気に後押しされたのです。もっとも、原作を忠実に映画化するつもりはありませんでした。実際にリサーチをするなかで、わたしはますます史実に寄り添うようになったのです。

 プロジェクトのことを聞いたグレイザーの父親は、人々が忘れたがっているものを今さらまた映画にする必要があるのか、と息子に尋ねたという。だが彼は本作を、過去に終わった出来事として描くつもりはなかったと語る。

グレイザー もっとも重要だったのは、1945年の出来事を今日にも続くこととして観客に捉えてもらう。そこに本作を作る意義があったのです。

画像: 牧歌的ですらある一家の描写が、収容所で行われていることの残酷さをいっそう浮彫りにする ©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

牧歌的ですらある一家の描写が、収容所で行われていることの残酷さをいっそう浮彫りにする

©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

 本作では、映像で観るものにショッキングなものはない。主人公が建築家たちとどうしたら短時間でなるべく多くの「それ」を燃やせるかと話し合ったり、妻が友人とユダヤ人の指輪について噂しているといったシーンを除けば、わたしたちが目にするのは美しい庭園やのどかな川辺の風景だったりする。だが、それゆえにこの箱庭にいる彼らと我々の違いは何であるのか、ということを、観る者に問いかけてくる。

 奇しくも映画が完成後、パレスチナとイスラエル間で紛争が起こった今日の世界で、本作のテーマは不幸にもますます普遍性を帯びている。さらにアカデミー賞の授賞式でグレイザーがおこなった停戦を求めるスピーチが曲解され、「反ユダヤ的」と同胞から批判される事態まで起こった。だが彼が指摘するのは、人種や宗教とは関係のない、人間性の喪失にほかならない。

グレイザー わたしが考えたのは、人間の原始的な性質である暴力性や、加害者のなかにある我々との共通性について語ることでした。彼らは異常者ではなく、段階的に大量殺人者となった普通の人々であり、自分たちが直接手を下すのではなくその犯罪行為からは大きく隔たっていたために、自身を犯罪者とは思っていなかった。壁の向こうで起こっていることに対する彼らの無関心、世界の恐怖を切り離して無視することは、自身の贅沢と安定を保つためであり、そういった傾向は、わたしたち自身に共通するものでもあるわけです。それこそが本作を今日の観客に関連づける鍵でした。

画像: 壁の向こうと、こちら側。被害者と加害者。観客である私たちは、いつなんどき、どちらにもなりうることを認識させられる ©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

壁の向こうと、こちら側。被害者と加害者。観客である私たちは、いつなんどき、どちらにもなりうることを認識させられる

©Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. All Rights Reserved.

 映画は真っ暗な画面に音楽が流れるプロローグで始まり、同様のエピローグで幕を閉じる。幕開けは暗黒のなかに響く不協和音が心を不安で満たし、観終わった後は映画の問いかけをなかば呆然としながら噛み締めることになる。

 本作の独創性に力を添えているのが、音楽のみならず総合的なサウンドデザインだ。それは感情を煽るような類とは一線を画すものでありながら、観る者の心を刃物で突くような効果がある。グレイザーは語る。

グレイザー 表現主義的とも言えるでしょうか、音楽はわたしにとって、視覚的なものではできない方法でコメントする手段なのです。黒い画面で始めたのは、具体的な映像を観る前に、観客に感情的な経験を与えたかったから。観るより先に、そこにあるべきことを表現するような──。本作の音楽は、前作で仕事をしたミカ・レヴィに依頼しましたが、わたしたちのプロセスは、一緒に長い散歩をしているようなものです。当初は音楽と効果音などのサウンドデザインは水と油のようでした。しかし音楽が編集に情報を与え、編集はサウンドに影響し、サウンドは視覚効果に影響を与え、視覚効果はまた音楽に影響を与える。こうした循環が完全な調和を見出すまで、作業を続けました。

 ここまで読んだ方は本作を、負の力に寄った映画と思われるかもしれない。しかし、監督が映画に込めた思いは、その先にある。

グレイザー わたしたちは暴力に頼ること、そうした思考と負の行動から進化する必要がある。そこから抜け出せないとは思いたくありません。しかし、それに対処しなければならないのは社会ではなく、ひとりひとりです。個人的に思うのは、わたしたちは自分を被害者として見て、他人を加害者として見る傾向があるのではないかということ。それはわたしたちをどこにも導かないでしょう。誰もが加害者になる可能性はあるし、そのとき我々は何を選択するのか。それを考えなければならないと思うのです。

画像: アカデミー賞2冠 5/24公開『関心領域』予告編 youtu.be

アカデミー賞2冠 5/24公開『関心領域』予告編

youtu.be

『関心領域』
5月24日(金)より新宿ピカデリー、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
公式サイトはこちら

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