BY CHIKAYO TASHIRO
人が走る、ただ一心に走る。その姿を見るだけで熱いものがこみあげてくるのは人間の根源にある何かが揺さぶられるからだろうか。『ボストン1947』は、奇跡のようなストーリーとともに、まさに熱い感動に胸揺さぶられる映画だ。自身もずっとマラソンに心動かされてきた、と言うカン・ジェギュ監督に話を聞いた。
「大学生の頃『炎のランナー』を見て、走ることがなんでこんなにかっこいいんだろう、なぜこんなに魅力的に見えるんだろうと感じて、それ以来、機会があれば、自分もマラソンや走ることの映画を作りたいなとずっと思ってきました」
普段からマラソンに関心があっただけに、ソン・ギジョンという存在は知っていたけれど、この映画に出てくるエピソードまでは知らなかったそう。なので、本作のシナリオを読んだ時に自分たちの歴史の中にこんな宝石のような話が隠れていたのかと思ったという。
「確か2018年だったと思いますが、私の後輩のプロデューサーがこのシナリオを持ってきて、ぜひ私にこの作品を演出してほしいと提案してくれました。私はマラソンに関する映画を撮りたいなと思ってはいましたが、それを誰にも話したことはなかったのに、このシナリオが手元に来た。これは運命なのかと思いました。実際そのシナリオはとてもドラマチックで、これは本当に私への贈り物だと思いました」
走ることの映画を撮りたかっただけに、監督が本作で最もこだわった思い入れのあるシーンはやはりマラソンのパート。
「作品のスタート段階から、この映画はこのマラソンがちゃんと成功するか否かによって作品自体の成功も左右されるだろうと思っていました。ソ・ユンボク役を演じたイム・シワンさんにも、君がちゃんと本当にマラソンランナーのように見えないとこの作品は失敗してしまうということを言い聞かせていましたし、彼もちゃんとわかってくれていました。だから一緒に頑張ろうと思いを一つにしていました。で、そういう意味でも本作のボストンマラソン大会シーンの約20分近くのマラソンの場面、ここに一番自分自身も力を入れて演出をしたと思っています」
この映画の成功を左右するソ・ユンボク役を監督が託したのが、ドラマや映画で、尖がった役どころも果敢に演じるイム・シワンだった。
「ドラマ『ミセンー未生ー』や映画の『名もなき野良犬たちの輪舞(ロンド)』を見てなかなかいい若者が現れたと注目していました。そして、本作は実話に基づくので、ソ・ユンボクさんと身体的な条件や様々な面でよく合う人を選びたいと考えた時に、イム・シワンさんが本当に身体的条件も含めてとても合っていると思いましたし、機会があればぜひ一緒に仕事をしてみたいと思っていたのでお願いしました」
実際に仕事をしてみて、イム・シワンの努力に感嘆したそう。
「最初から彼にもこれは本当に並大抵じゃないことだけどちゃんとできそうか、という話はしていました。やはり身体作りをするということは重要で、準備の期間だけではなく、撮影中もずっとその体型も含めてキープをしなくてはいけない。そのために当然、継続的な運動や食事の制限もしなくちゃいけないんです。撮影も続けながら果たして最後まで耐えられるかなと心配していましたが、本当に彼は頑張ってくれました。撮影中どころか撮影後も、撮り直しや追加撮影が起こりうることを考えて、彼はキープし続けてくれていました。本当にすごい人だなと思います。準備期間から含めると1年近くですからね。私はイム・シワンさんが撮影に来るという日は、今日は一体どんな演技を見せてくれるかな?と、とてもワクワクしていました」
イム・シワンが一心に走る姿は有無を言わさぬ感動として胸に熱く迫ってくるが、この努力の裏付けがあってこそ、見る者を熱くさせるのだろう。
映画は本当に試練に次ぐ試練で、それを突破していく情熱に大きく感動させられるのだが、撮影の過程も苦労があった。ボストンマラソンではあるが、諸事情が合わず、撮影自体はメルボルンで行われた。
「当時の1947年のボストンの風景が感じられるような場所を探そうということで、本当にもう世界中の都市を探して歩きました。南米のいろんな国をはじめ、ヨーロッパなどいろんなところも探しましたが、そんな中でオーストラリアのメルボルン近郊の小さな都市が、幸いなことにかつての1947年のボストンと似たようなイメージを抱かせてくれる場所だったので、そこで撮影することになりました」
劇中に出てくる、ボストンを象徴するチャールズリバーやフェアモント コプリー プラザホテルもCGで再現しているのだそう。
本作は、一人一人の熱い思いが世の中を動かし、そうやって成し遂げた出来事が奇跡となって私たちに励ましをくれる映画だが、こうした作り手たちのとことんまでのこだわりや苦労が映画の内容と重なって感動させられる。
▼あわせて読みたいおすすめ記事