BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY TADAHIKO NAGATA
役者人生で未体験の最大級の恐怖
これまで出会った数々の役の一つ一つを深く追究し、自らが掴み取ったものを巧みに表現してきた内野聖陽。そんな彼が演じることへの“恐怖”の度合いとして“最高級”だと語るのは、井上ひさしが描いた俳諧師の松尾芭蕉役だ。彼ほどのキャリアを持つ俳優が抱いた恐怖とは何か。その恐怖がどうすれば解消されるのかを尋ねた。
内野聖陽(以下内野) 恐怖は、これまでの経験を思い返しても、すべての作品にあります。僕らには台本というものがありますが、まずは、それがどんな風に立体化されるのかが自分の中でまったく見えていないということですかね。さらに、一人芝居に限って言えば、当然ですが逃げ場がない(笑)。台詞が詰まろうが間を外そうが、すべて自分のせい、すべてが自分に返ってきます。そして、舞台上にいるのが僕だけだから、お客様はそんな僕を見るしかない(笑)。その恐怖をどうやって克服していくのか。それは、稽古しかありません。克服できるかどうかは、試行錯誤を重ね、どれだけ充実した密度の濃い稽古ができるかに、尽きます。
『芭蕉通夜舟』には、これまでにない“最高級”のレベルの“恐怖”を感じています。初演の小沢昭一さんも再演の坂東三津五郎さんも公演は観ていませんが、特に小沢昭一さんは“昭和の怪優”と呼ばれた方で、そもそも『芭蕉通夜舟』は井上(ひさし)先生が小沢さんに当て書きされた作品です。僕自身、小沢さんとの面識はないのですが、小沢さんのラジオは聴いたことがあって、なんと魅力的な話し方をされるのだろうと思っていました。そういう話芸の達人のために書かれた作品なので、ものすごくプレッシャーは感じています。最初の頃はそんな、いろんなことを自分の緊張感を高める材料にしてきましたが、今は、もう開き直って自分のやり方でこの山を登頂してやろうという思いでいますね。自分の中では確実に難易度の低い山ではないけど、この本にいろんな角度から揺さぶりをかけられれば、僕自身もまだ知らない世界へ導いてくれるような気がしています。内野聖陽版の芭蕉一代記をお客様と一緒に楽しめるよう励みたいと思っています。
それでは、稽古を前にどんな準備をしているのだろうか。松尾芭蕉という人物をどのように捉えているのかについても聞いてみた。
内野 改めて松尾芭蕉はすごい芸術家だなと感じています。彼を演じることに身の引き締まる思いですね。この戯曲を最初に読んだ時は、“芸術論”という印象が強かったんです。芭蕉さんは新しい俳諧の世界を創り上げようと苦闘していましたが、人生の様々な局面で世俗という力に引っ張られ、自分が目指す俳諧芸術と庶民が求めているものの溝がなかなか埋まらないことに苦しんでいたのではないかと思いました。芸術性と大衆性の溝は、ものを表現する人なら誰でも直面する問題だと思いますが、芭蕉さんの芸術家としての苦しみに、自分も表現者の端くれとして、感じるところはありました。井上さんは、その苦闘した芭蕉さんをやさしく包み込むような愛情で描いているような気がします。
舞台では戯曲にある通り、芭蕉の人生を三十六景の中に込めなくてはならないのですが、文字面だけを追っていても理解が深まらないところもありますし、実際に芭蕉が見た風景を通して彼が感じたことを僕自身も体感したくて、“プチおくのほそ道”を旅しました。車でね。芭蕉さんが聞いたら怒られてしまうかもですが(笑)。白河の関から始まって福島を通り抜けて、松島、平泉の方まで行って「夏草や兵どもが夢の跡」の句を詠んだ丘に登ったり、「岩に染み入る蝉の声」を詠んだ立石寺へ登ったり……。陸奥と出羽の方へ足を伸ばし、芭蕉さんが300年以上も前に呼吸した空気を感じて、なんだか自分の血の中に芭蕉さんが入ってくるような感じがしました。おかげで少しイメージも立体的になってきた感じはしていますが、芭蕉さんの魂に近づくためにやるべきことはまだまだたくさんあります。
松尾芭蕉の知られざる一面を描く
徹底した役作りのために行動に移すその真摯な姿に、内野版の芭蕉像への期待が高まる。さらに台本を読み込んでいる彼は、井上ひさしの視点から見た芭蕉についても言及した。
内野 僕のイメージでは、松尾芭蕉という人は、侘び寂びの風雅の極みを目指し、物質的に貧しければ貧しいほど豊かになるという考えが根底にあって、ストイックで厳格な方。ところが井上ひさし先生が描写する芭蕉には、とても人間味があります。歴史的な偉人は語り継がれるうちに神格化されていく面がどうしてもありますが、井上先生の“そうじゃないでしょう”という視点が結構あって、例えばお便所でのシーンが随所にちりばめられていたり…。男女の睦みごとに無関心ではない微笑ましい様子が描かれていたりと、かなり、おちゃめな人間像に見えてきます。僕自身も、そんな身近な芭蕉さんを深めたくて、いろいろと資料を読んでいくと、まったく女性に興味がなかったわけではないことを知りました。風光明媚な松島を美しい女性に喩えたり、象潟(きさかた)の美景を中国の西施(せいし)という女性に喩えて「象潟や雨に西施がねぶの花」という句を詠んでいたり。もっと人間くさい人なのではないかということが自分の中にあって、そういうところを下品にならないように表現できたらいいなと考えています。
内野の芭蕉への探求が深まっていくにつれて、作品の核心へと近づいていく。
内野 僕自身が芭蕉さんを演じる上で最も大事にしたいのは、俳人としての人生が言葉遊びから始まって、芸術のレベルまで高めたということ。そこが一番大事になってくるのだろうと考えています。その人生をどれだけ生々しく表現できるか。三十六景の中で芭蕉の吐息を説得力をもって描けたらいいなと、今の時点では思っています。俳諧宗匠としていつも高みに立った自分に嫌気がさして、一人になって旅に出てしまうみたいな現状破壊の衝動は、実際に俳優をやっている僕たちにもありますし、芭蕉さんのそうした生き様と自分がリンクしている部分を探していこうと思っています。
では、これからどうやって芭蕉さんに近づいていくか。今は、自分なりに面白がれる所をたくさん発見することかなと思っています。“そうは言っても違うよね?”というちょっと意地悪な目線も大事にして。例えば一人旅といってもいつも弟子がいたり、行く先々でご馳走になったりして、まんざら寂しい旅ではなかったのではないかと思える節があったり…。時間の許す限り、松尾芭蕉を多面的に見て、自分なりの感性と遊び心で、実はこうだったんじゃないかということも含め、ふくよかな人物像になったらいいと思っています。
孤独を選んだ謎を探る
こうした役と向き合い、演じる役者というものは、“孤独”な仕事だと内野は語る。孤独に生きようとした人物が描かれた作品と対峙している今、松尾芭蕉が感じていた孤独をどういうものだと感じ取っているのだろうか。
内野 松尾芭蕉の孤独、どうしてそれほどまでに一人を求めたのかが最も大きな謎であると同時に、一番大事なところでもあるんですよね。これから稽古をする僕自身にとっても、その答えを探しに出る旅でもあります。ものを表現する人間として、孤独な時間がどれほど大事なのかは、役者にも重なる部分があると思っています。実際にひらめきや気づきの瞬間というのは、深夜の静寂の中で台本と格闘している時とかが多いし、昼間の喧噪の中ではどうしてもひらめきは浅いんです。何かと交信するためには孤独であることがとても大事で、静寂と孤独の重要性という考えは芭蕉さんにもあったのではないでしょうか? そんな風に、少しでも自分に重なる部分がないものか、あれこれと考えています。
かなりの時間をかけて松尾芭蕉という人物を自分の中に構築していく作業には、特別なものを感じる。彼は舞台作品と向き合うことで、何を感じているのだろうか?
内野 役者として何かとセッションする楽しさを一番肌で感じ取れるのは、生の現場である舞台なんです。相手役だったり、演出家だったり、台本であったり、お客様だったり。お客様とは台詞を交わすわけではないので一方向的なことだと思われるかもしれませんが、観客の吐息や笑い声や集中した空気感と共に役者は常にセッションしているんです。特に、昨年出演した『笑の大学』のような喜劇的な現場ではそれをとても実感しましたね。稽古場で完成度高く創りあげていきますが、画竜点睛はお客さんと一緒。僕たちが演じていることをお客様が見て感じて、初めて完成するのが舞台です。僕にとってセッションの原点ともいえる場所だと思います。
今回の舞台は、いろいろな意味で“最高級“なので、頂上が雲に隠れて山の本当の姿が見えないことがあるように、僕は想像以上の高い山を登ろうとしているのかもしれません。ですから、今は恐れ慄きながらも気合いを充実させて登山の準備をしていますよ(笑)。
彼が見せてくれる新たな景色をともに楽しもうではないか。
『芭蕉通夜舟』
作:井上ひさし
演出:鵜山仁
出演:内野聖陽
小石川桃子 松浦慎太郎 村上佳 櫻井優凜
(東京公演)
会場:紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
上演日程:2024年10月14日〜10月26日
問合せ:こまつ座 TEL. 03-3862-5941
公式サイトはこちら
(群馬公演)
会場:高崎芸術劇場 スタジオシアター
上演日程:10月29日
問合せ:公益財団法人 高崎財団 TEL. 027-321-7300
(宮城公演)
会場:名取市文化会館 大ホール
上演日程:11月2日
問合せ:ニイタカプラス TEL. 022-380-8251
(岩手公演)
会場:盛岡劇場 メインホール
上演日程:11月12日
問合せ:盛岡劇場 TEL. 019-622-2258
(兵庫公演)
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
上演日程:11月16日
問合せ:芸術文化センターチケットオフィス TEL. 0798-68-0255
(丹波篠山公演)
会場:田園交響ホール
上演日程:11月17日
問合せ:丹波篠山市立 田園交響ホール TEL. 079-552-3600
(名古屋公演)
会場:ウインクあいち 大ホール
上演日程:11月23日・24日
問合せ:メ〜テレ事業 TEL. 052-331-9966
(大阪公演)
会場:枚方市総合文化芸術文化センター 関西医大 小ホール
上演日程:11月30日
問合せ:枚方市総合文化芸術文化センター TEL. 072-845-4910
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