NYのアパートで手作りされる
「ルー ダラス」の幻想的な服

The Designer Making Dreamy Baroque Clothing in Her New York Apartment
ファッションブランド「Lou Dallas(ルー ダラス)」を手がけるラファエラ・ハンリー。彼女は、デッドストックの素材を美しくパンキッシュな服へと変身させる

BY MERRELL HAMBLETON, PHOTOGRAPHS BY NICHOLAS CALCOTT, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

 デザイナーのラファエラ・ハンリーの頭の中は、歌手ドリー・パートンのことでいっぱいだ。2019年春夏NYファッションウィーク(彼女のブランド「ルー ダラス」の最新コレクションを発表することになっていた)を間近に控えたこの数日間も、彼女は1977年に放送された、人気TV司会者のバーバラ・ウォルターズによるパートンのインタビュー映像を観てばかりいる。Youtubeで見つけたのだ。ここに映るのは、スターダムにのし上がる直前の、31歳のパートンの姿――彼女の最初の大ヒット曲、『ヒア・ユー・カム・アゲイン』がちょうどビルボードランキングTOP100の第3位になったころだ。しかし意外なほどに、彼女の生活はまだ質素である。

画像: デザイナーのラファエラ・ハンリー。自身のブランド「ルー ダラス」のアトリエも兼ねているアパートメントにて ほかの写真もみる

デザイナーのラファエラ・ハンリー。自身のブランド「ルー ダラス」のアトリエも兼ねているアパートメントにて
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 パートンは、ウォルターズを、11人のバンドメンバーと過ごすツアーバスへと案内する。折りたたみ式のベッドや、ステージ衣装でいっぱいの狭いクローゼットを見せるパートン。彼女が言うには、衣装はモーテルの台所の流しで自ら手洗いしているのだとか。とりわけハンリーの胸を打ったのは、インタビューの最後、狭いツアーバスのキッチンでウォルターズと膝が触れ合うほど間近に座り、パートンが“スーパースターになりたいの”と言い切った場面だ。ハンリーは言う。「まさにそのとき、もっとビッグになりたくて、彼女はその戦略を練っていたのよ」

 なぜこの映像がハンリーの心に響いたかは容易に理解できる。明らかにそれとわかる彼女の作品――幻想的でバロック風、DIY精神に満ちたのボロボロの衣服――は、雑誌に頻繁に掲載されるようになり、メットガラといった注目度の高いイベントでも着用されるようになった。最初のレディ・トゥ・ウェア・コレクションは、セレクトショップ「OPENING CEREMONY」が買いつけた。

とはいえ、彼女は今もまだ必死に収支をやりくりしている状態だ。ボーイフレンドでアーティストのアンドリュー・ゴンザレスとシェアしている、NYのコロンビア・ストリート・ウォーターフロント地区にある自宅アパートで仕事をし、フリーランスでカーテンもつくる。服のパターンカッティングはすべて自分で行なっているし、さらに彼女の言うところによれば、「ミシンは下の階、私の両親の部屋にあるの――サステイナブルな(持続可能な)システムじゃないわね」。ドリーと同様、ハンリーももっと高いステージに上がる準備をしているのだ。

画像: 「THINK OTHERWISE!(別のやり方を考えろ!)」と書かれたTシャツは、父であるチャーリー・ハンリーとのコラボレーション。シリーズ化されており、NYのチャイナタウンにあるショップ「プラネットX」が買いつけている。「あらゆることに疑問を抱いていかないと」と彼女は言う ほかの写真もみる

「THINK OTHERWISE!(別のやり方を考えろ!)」と書かれたTシャツは、父であるチャーリー・ハンリーとのコラボレーション。シリーズ化されており、NYのチャイナタウンにあるショップ「プラネットX」が買いつけている。「あらゆることに疑問を抱いていかないと」と彼女は言う
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 メジャーになって成功したいという目標は、ハンリーの反資本主義的でアートを学んで育ったバックグラウンドとは対立するように思えるかもしれない。画家とインテリアデザイナーの両親のもとブルックリンで育った彼女は、著名な美術大学、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)へ進んだ。そのときの専攻はファッションではなく、絵画だった。大学で学びながら、彼女は「まとまりがあるようにはとても思えない素材を集めてまとめ上げる」才能に磨きをかけた。さらに消費することに対する批評眼も養った。「作品に使う素材を買わないようにするというのは、RISDにいたときに身につけた考え方ね」と彼女は言う。「ゴミの中から使えるものを探したり、再利用することは、アーティストの義務だと思う」

 卒業後、ハンリーはファッションへと引き寄せられていった。ファッションブランド「エクハウス ラッタ」を立ち上げたRISDの卒業生仲間であるマイク・エクハウスとゾーイ・ラッタが、最初のコレクションを発表するときにはアシスタントをしていたし、他にもさまざまな風変わりな仕事をした。当初は、服のデザインは金を稼ぐ手段で、絵を描くための足しになればと考えていた。現在29歳のハンリーは、ほぼ独学でここまできた――例外が大学卒業後の1年間で、彼女はパーソンズ美術大学のMFA(美術学修士課程)で学んだ。そこで技術に磨きをかけたが、のちに中退した。だが独学でよかったと彼女は思っている。「誰からもファッションを教わっていないの」と彼女。「だから私のファッションへのアプローチは、完全に自分だけのものだという気がするの」

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