BY KEI WAKABAYASHI, PHOTOGRAPHS BY YASUHIDE KUGE
企業は炎上する。しょっちゅうだ。理由はいろいろある。キャンペーンにおける過ちであったり、ずさんな社内人事であったり。そのたびに企業は「時代錯誤な組織」と誹(そし)られる。制御不能なSNSというモンスターは、企業にとってますます大きなリスクとなっていく。企業を責めるのは簡単だ。けれどもおそらくは、責める側も責められる側も、その背後にある大きな変化がどういうものであるのかを明確に特定できていない可能性がある。「企業の中立性(コーポレート・ニュートラリティ)は終わったのです」。
2メートルはあろうかという長身のイタリア人ビジネスマンはそう語る。「これはファッション業界に限った話ではありません。政治が混乱し、巨大IT企業が国家よりも影響力をもってしまった時代のなかで、企業の役割は変化してきています。10年前まで企業は、政治に足を突っ込むことをことさら嫌がってきました。なんらかの政治的な立場を明かすことはむしろタブーでした。『みんなに好かれること』が企業にとっては大事だったからです。ところがこの2、3年で状況は激変しました。今、企業は自分たちがどんな価値を支持するかを表明せざるを得ません。特に若い世代の消費者がそれを望んでいます。ブランドエンゲージメントとロイヤリティの観点から言えば、立場を明らかにして誰かに嫌われるよりも、立場を明らかにしないことのほうがはるかに大きなリスクとなります」
「企業の中立性は終わった」。言われてみれば、みながうすうすと気がついていることではあるのかもしれない。けれども、それを明言し、その状況のなかで、政治的なステートメントも含めてブランド戦略を構築し、しかも事業としてサステインさせていくということは、多くの企業にとって初めての体験となるはずだ。当然、それは一朝一夕で解決の方程式が見つかるようなものでもない。マルコ・ビッザーリが「中立性は終わった」と明確に感じたのは、わずか2、3年前のことだったという。2、3年前といえば、トランプ大統領とブレグジットに世界が激震した、その頃だ。そこから時代は激変した。2016年を境に、ビジネスの世界はそれまでの世界とは完全に断絶したと言っていいのかもしれない。それはごく最近に起きたことだが、その余波を本当の意味で体感していくことになるのはむしろこれからなのだ。
マルコ・ビッザーリは2015年よりグッチのCEOを務める辣腕ビジネスマンだ。経営コンサルティング企業のアクセンチュア出身。その後いくつかのブランドでの職を経て、ステラ・マッカートニー、そしてボッテガ・ヴェネタのブランドCEOを務めたのちに、グッチのCEOに就任した。彼が当時無名だったデザイナー、アレッサンドロ・ミケーレを大抜擢し、数年でブランドを劇的にターンアラウンドさせたサクセスストーリーについて、ここでくどくど説明するまでもないだろう。
ファッション業界は今、大きくそのビジネスモデルを変化させなくてはならない局面に来ている。それまでのラグジュアリーファッションを支えてきた手法や産業構造は、スマートフォンやSNSの登場によってドラスティックな変化を迫られてきた。もちろん時代の変化を察知することを生命線とするファッション業界は、猛然とデジタル化を遂行し、若年層の取り込みを図ってきた。それが完遂すればひと安心かと思えば実は違った。むしろそれらは前触れでしかなかった。ミレニアル以降の若者たちの価値観に対する最適化は、たとえばダイバーシティ、たとえばインクルージョン、たとえばサスティナビリティといったことに「本気で取り組む」ことを企業に対して要求し始める。そして、その要求は、一企業はおろか産業構造自体を見直すよう強く迫っている。
持続可能性という言葉がこれだけ長いこと世の中で語られてきたにもかかわらず、たとえばファッション業界において、売れ残りの衣料をめぐる問題がクローズアップされ世界的に問題化したのは、実に2018年になってからのことだった。その問題は、世の企業はこの間ずっとサスティナビリティの重要性を口にはしてきたものの、産業構造自体を抜本的に見直すような本質的な改善には取り組んでこなかったということを白日の下に晒した。
ダイバーシティといったテーマも広告キャンペーンを通して語るのは簡単だ。ダイバーシティに取り組んでいるフリはいくらでもできる。とはいえ世の中には、ゲイライツや多民族社会や#MeToo に反対する人たちはいくらでもいる。その人たちもまた「お客さま」であると考えるのがこれまでの企業が殉じてきた「中立性」だった。けれども、今やいったん「ダイバーシティ」を語ったとたん「本気で取り組んでいるかどうか」が問われることになる。それは、人事や採用のあり方の抜本的な変更を最終的には要求するだろう。いま企業は「そもそも企業とは何か」という問いから大きな再考を迫られている。
「企業の幹となるのは、カルチャーです。経営者の最も重要な仕事はそれをつくりあげ、毎日の仕事の中に行き渡らせることです。グッチのCEOに就任した際に、私はこんなふうにブランドのカルチャーを定義しました。グッチはまず『自己表現』を大事にすると。自己表現を大事にするということは、個人を大事にするということを意味しています。個人であることを最大化するためには、どんな人でも等しく尊重されなくてはなりません。そして、私たちはそのカルチャーにどんなスピリットを与えたいのだろうか、と考えました。私たちは、『Happiness』と『Joy』というスピリットを与えることを選びました。こうしたことは、しかし言葉で言っても意味がありません。それがプロダクトやコミュニケーションのあらゆる領域に行き渡っているのは当然のことで、最も大事なのは、会議のやり方、組織内のコミュニケーション、すべてのメールのやりとりにおいても、それが実践されなくてはならないのです。日々実践されないカルチャーはカルチャーではありません」
「ダイバーシティ」についても、それを言いながら取締役に男性しかいなかったり、日本人しかいないということは日本企業にはありがちなことだ。仮に、ビッザーリ氏が日本企業のCEOを務めるとしたらどこから変えるかを問うと「まずは内部を変えることからだ」と即答が返ってきた。しかも、それをトップダウンで実行するとも明言する。
「トップダウンでやるか、ボトムアップでやるのかは、ビジネスのライフサイクルのどこにいるかによって変わります。たとえばグッチで私に求められていたのは素早く業績を回復させるということでしたから、民主的な手続きをしている時間はありませんでした。最初のショーで、私たちが新しく何を体現しようとしているのか、明確なメッセージを素早く出す必要があったのです。ですから私はショーの5日前にクリエイティブ・ディレクターとしてアレッサンドロ・ミケーレを起用したのです。それはすべてトップダウンの決断です。そのショーの前日に私は、アレッサンドロに呼ばれ『どう思うか?』と聞かれたので、私は彼が用意したもののなかから、最も奇抜なものだけをセレクトしました。売れないのはわかっていましたが、その段階ではメッセージを出すことが何よりも重要だったのです。それもまず社内に向けたメッセージです。ビジネスの確固たるフレームワークを作りあげるにはすべてをトップダウンでやる必要がありました」
新CEOの新しいビジョンが、新クリエイティブ・ディレクターの元で現実化されることで、この会社が何に価値を置き、どういう方向に向けて進もうとしているか、そのメッセージは明らかになる。そうしたメッセージの発動から12~18カ月を経るとやがて社内に、その新しいカルチャーがなじんでくる。そこからビッザーリは、ボトムアップの社内コミュニケーションを採用していくこととなる。「実際、最初のシーズンにおける売り上げは50%も下がりましたが、そこは数字を追いかけるタイミングではなかったのです。いずれにせよ、お客さまがそのメッセージを理解し、ブランドについてくるには3~5年はかかると思っていました。よりコマーシャルな路線を狙うにしてもあとからそれをやるほうがラクですから」
アレッサンドロ・ミケーレは最初のショーからジェンダーの流動性をテーマにし、大胆な引用を多用しながら絶妙なバランスで文化の多様性・多元性を表現してきた。そうしたなかで、幾度か文化盗用との指摘を受けたりもしてきたが、ビッザーリの以下の説明は、そうした状況を企業としてどう考え、向き合うのかを端的に表している。
「企業の根幹にあるのはカルチャーです。それが何よりも大事な柱です。それは決して動きません。エステティック、つまり審美的な価値は、むしろ枝葉だと思っています。枝葉の部分は時代とともに変化します。けれども、カルチャーは残ります。そのカルチャーこそが企業を持続させるのです。クリエイティブな思考をリスペクトすることが私たちのカルチャーです。それは勇敢であることをみなに求めるものです。新しいことに挑戦し、実験していく、そのカルチャーがグッチというブランドを永続させるのです」
80年代カルチャーで育った筆者にとってビリー・アイドルというミュージシャンはとても重要な存在だ。今でも折に触れて聴く。グッチは、2019年の春夏シーズンにおいて、そのビリー・アイドルにオマージュを捧げるラインナップを発表した。Tシャツで5万円台。買おうか買うまいか悩んで結局諦めた。グッチがビリー・アイドルを取り上げる。ファン心理からするとなかなか微妙なところだ。「おお、よくぞ!」と思う半面「ダシにされた」と感じなくもない。
いずれにせよ、そこをどう判断するかにおいて重要なのは、「それを、どういう人たちがやっているのか」ということだ。ビリー・アイドルにおよそ興味のなさそうな人たちが、それをやればそれは「文化盗用」と見なされる。逆に「ほんとに好きなんだな」と思わせられるのであれば「よくやった」となる。人は、そのプロダクトの背後にある人を見ている。そしてこのSNSの時代、いくら取り繕ったところで、人は出てしまう。
ビッザーリの語る「カルチャー」とは、そういうことを指し示している。それは、その企業が文化として体現する、あるいは後押しする、あるいは共感するものが合わさった「価値体系」だと言ってもいい。プロダクトは、そうした価値体系の中に置かれるひとつの(にして最も重要な)ピースにすぎない。ビッザーリは、そうした「価値体系」を整合的にまとめあげていくことの重要性をことさら語る。
「これからの時代、お客さまをコントロールすることはますますできなくなっていきます。そして若い世代は、あらゆることに『意味』を求めていくようになっています。ファッションの世界はニーズによってドライブされるものではありません。ひとつジャケットを持っていたら、新しいジャケットは必ずしも必要ないわけです。であればこそ、なおさら、その『意味』が問われることになります。ですから、私たちのブランドの意味・意義を伝え、それがメイクセンスする(意味を成す)ものであることを証明しなくてはならないのです。今後の企業にとって『ナラティブ』はますます大事なものとなっていきますが、それが大事なのは、それを通して『意味』を伝えるものだからです」
アレッサンドロ・ミケーレがクリエイティブ・ディレクターに就任してからこの間、実に150名にも上るコラボレーターとコラボレーションを行ってきたことも、こうした「意味=価値体系」を表現していくうえで有効な戦略だったといえる。インスタグラムなどで見つけた無名の才能を、グッチというプラットフォームに迎え入れ、個々のクリエイターにブランドと自由に遊ぶことを許容することは、世間でオープン・イノベーションと呼ばれる開発手法とシンクロしている。自社のクリエイティビティを、外部のクリエイターと交わらせることで、社内の創造性も、無名の才能も、同時に向上させることができる。ビッザーリは、ミケーレのこうしたやり口を「スーパー・クレバーだ」と称賛する。
「ただし、これをやるためには大きな勇気を必要とします。アレッサンドロのクリエイターとしての稀な資質は、人に聞くことを決して恐れないということです。オープンなのです。クリエイターにありがちなのは、人に聞いたりもしないし、聞かれても教えないというタイプですが、彼はまったく逆。どこにでも出向いて、一緒に仕事をする相手を探してこられるというのは、誰にでもできることではありません。また、ブランドのカルチャーとして『自分が自分であること』を重視してきたからこそ、こうした戦略も意味をもつのです」
「とはいえ、オープンさやインクルージョンが大事っていうのは、そもそものファッションの本義と矛盾しませんか? ファッションって『あなたは特別』と思わせること、つまりはエクスクルージョンが生命線じゃないですか」と筆者が問うと。「おっしゃるとおり、それがまさにファッションの本質です。私たちが『個人』というものを大事にしているのは、だからなのです。『エクスクルーシブ』であるということは『あなたは特別だ』とみなすことです。一方『インクルーシブ』であるということは『あなたは他と違わない』とみなすことです。一見相反する考えですが、『すべての人はそれぞれにおいてユニークである』という立場に立つと両方が矛盾することなく共存することができるのです。それこそがまさに、グッチが謳ってきたことなのです」
驚くのは、何を聞いてもビッザーリの口から出てくる答えがすべて明晰にロジカルだということだ。しかもそれらのすべてが「ビジネスのロジック」として語られていることだ。ビッザーリが「カルチャーが大事」と語るとき、それが意味しているのは、「カルチャーこそが経営戦略の根幹である」ということを意味している。あてずっぽうにそれらしい言葉を並べて「ビジョン」と称してみたところでもはや誰もそこに「意味」や「価値体系」を見いだすことはない。企業というものが、大きな転換を迫られ、その思考回路のドラスティックなアップデートが迫られているなか、企業経営者がただ数字を見るだけの番頭に成り下がってしまっている状況はいかにも貧しい。「日本にはたくさんの優秀なクリエイターがいるのに比べて、ビジネスサイドが貧相のように思えるのですが」と最後に質問してみたところ、こんな答えが返ってきた。
「そのとおりだと思いますよ。日本には世界に名だたる優秀なクリエイターがいますが、彼らが、その才能に見合ったビジネスになっているかと言えば、おっしゃるとおりかもしれませんね」